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【豊臣兄弟!】市(宮﨑あおい)と娘たちの切ない別れ。三姉妹はどんな運命をたどるのか?

  • 2026.9.4

【豊臣兄弟!】市(宮﨑あおい)と娘たちの切ない別れ。三姉妹はどんな運命をたどるのか?

2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を月1回お届けします。今回は、市と浅井三姉妹についてご紹介します。

第33回「北庄(きたのしょう)城の別れ」では、山口馬木也さんが演じる柴田勝家(かついえ)と宮﨑あおいさんが演じる市(いち)が、手を取り合って北庄城(福井市)の天守から身を投げるという衝撃的な最期が描かれました。今回は、市とその三人の娘たちを取り上げたいと思います。

天下一の美人の由来は?

「お市の方」の呼び名で知られる織田市は、通説では天文16年(1547)生まれとされています。ですが、これは確実なものではなく、「豊臣兄弟!」の時代考証を務める黒田基樹氏は、結婚と子どもの出産年齢から推定して、天文19年(1550)頃の生まれの可能性が高いとしています(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。

仮に、通説の天文16年生まれとして計算すると、天文3年(1534)生まれの織田信長より13歳年下、天文6年(1537)生まれとされる秀吉より10歳年下、天文9年(1540)生まれとされる秀長より7歳年下となります。

父は織田信秀(信長の父)、母親は不詳です。信長と同母だったともいわれますが、定かではありません(和田裕弘『柴田勝家 織田軍の「総司令官」』)。

なお、市といえば、美人の誉れ高く「天下一の美人」と称されますが、尾張国清須朝日村に居住した柿屋喜左衛門の祖父が語ったものをまとめた「祖父物語」(近藤瓶城編『史籍集覧』第13冊所収[忍高1.1])に記された「天下一の美人の聞こえ有りければ」が、直接の典拠だといわれます(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。

信長の養女として浅井長政との結婚?

永禄10年(1567)頃、市は中島歩さんが演じた浅井長政(ながまさ)に嫁ぎます。長政は天文14年(1545)年生まれですので、市の生年を天文16年とすると、長政は市より2歳年上となります。この時、市は信長の養女となったうえで、長政と結婚したと伝える史料もあります。

浅井長政との間に、永禄12年(1569)に井上和さんが演じる長女・茶々(ちゃちゃ/淀殿)、元亀2年(1571)に田牧そらさんが演じる次女・初(はつ/常高院)、天正元年(1573)に西川愛莉さんが演じる三女・江(ごう/崇源院)という、3人の娘を授かります。世に有名な「浅井三姉妹」です。市と長政の間に生まれた子どもは、この三姉妹だけだったと考えられています(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。

織田家に引き取られる

ドラマでも描かれたように、浅井長政は信長を裏切ることになります。天正元年(1573)9月、信長勢の総攻撃を受け、浅井家本拠の小谷城が落城。長政は自害し、浅井家は滅亡しました。

市と3人の娘たちは小谷城から退去し、織田家に引き取られました。市が数えで27歳(生年を天文16年として計算)の時のことです。その後は、諸説ありますが、織田家の庇護下にあったのは確かなようです(和田裕弘『柴田勝家 織田軍の「総司令官」』)。

小谷城落城から9年目にあたる天正10年(1582)の6月2日、市と3人の運命を大きく変える事件が勃発します。本能寺の変により、信長と信長の嫡男・小関裕太さんが演じた織田信忠が、要潤さんが演じた明智光秀に討たれたのです。

柴田勝家と再婚

明智光秀は同年(天正10年)6月13日の山崎の戦いで、信長の三男・結木滉星さんが演じる織田信孝(のぶたか)を主将、秀吉らを主力とする織田軍によって、滅ぼされました。

同年の6月27日、清須城(愛知県清須市)で行なわれた、いわゆる「清須会議」で、市と宿老の筆頭であった柴田勝家の結婚が、取り決められたと考えられています。具体的な日付はわかっていませんが、同年の9月頃に市は勝家に再嫁し、3人の娘を伴って、勝家の居城である北庄城(福井県福井市)に移ったようです。

ですが、平穏に暮らせた日々は短かったと思われます。

勝家は秀吉と対立し、翌天正11年(1583)4月21日、「賤ヶ岳(しずがたけ/滋賀県長浜市)の戦い」で、勝家は秀吉に大敗。北庄城へと敗走します。秀吉軍は柴田軍を追撃し、4月24日、総攻撃を受け、北庄城は落城。市は勝家とともに自害しました。この時、市は天文16年生まれなら37歳、天文19年(1550)生まれだとすると34歳でした。

浅井三姉妹の行方

市の3人の娘、茶々、初、江は、北庄城落城を前に秀吉に引き渡されました。茶々は15歳、初は13歳、江は11歳でした。

三姉妹は、それぞれ数奇な生涯を送っていくことになります。

長女・茶々は秀吉の別妻の一人となり、天正17年(1589)に嫡男・鶴松(3歳で夭逝)を、文禄2年(1593)に秀頼を産み、豊臣氏(羽柴家)の存続のため、最後まで尽力しますが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣の滅亡と運命をともにします。

次女・初は、いとこにあたる京極高次(高次の母は浅井長政の姉妹)に嫁ぎます。京極家は浅井家の主家でした。夫・高次の没後は出家し、三姉妹の中で最も長命をたもちます。

三女・江は、3度目の結婚で徳川二代将軍・秀忠の正室となり、三代将軍となる徳川家光を産むのです。

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