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「私はいま喋っているんだ、後にしろ!」法事の席で一人ずつ注いでいた私。だが、後になって気づいた心遣いとは

  • 2026.8.30

法事の席で、一人ずつお酒を注いでいた

親戚の法事があった日のことです。読経と供養が終わると、場所を移して会食が始まりました。

私は自分の席に着く前に、徳利を手にして親戚の席を順番に回っていました。

昔から法事や親戚の集まりでは、そうして一人ずつ挨拶をしながらお酒を注ぐものだと思っていたからです。

ただ、その日は久しぶりに顔を合わせた人も多く、あちこちで故人の思い出話が続いていました。

話している人の前へ行くと、こちらに気づいてお猪口を差し出してくれる人もいれば、手で「今はいい」と示す人もいます。

私はなるべく会話を邪魔しないよう、話が途切れたところで声をかけるようにしていました。

それでも、なかなか切れ目が見つからないことがあります。

住職の席へ行ったときもそうでした。隣の親戚と話が続いていたため、少し待ってから徳利を示しましたが、気づかれません。

もう一度、「いかがですか」と小さく声をかけた、そのときでした。

「私はいま喋っているんだ、後にしろ!」

思っていたより大きな声で言われ、私はその場で手を止めました。

近くにいた親戚も一瞬こちらを見ました。

言い方には驚きましたが、確かに話の途中で何度も声をかけられれば、落ち着かない人もいるのかもしれません。

徳利を卓の中央に置くことにした

私はそのままお酒を注いで回るのをやめ、徳利を卓の中央へ置きました。

「こちらに置いておきますので、よかったら自由にどうぞ」

そう伝えて、自分の席へ戻りました。

するとしばらくして、親戚の一人が徳利に手を伸ばしました。

自分のお猪口に注いだあと、隣の人にも「飲む?」と聞いています。別の人も必要なときに自分で注ぎ始めました。

誰かが席を回らなくても、特に困ることはありませんでした。

むしろ話を途中で止める必要がなく、そのほうが自然に見えました。

少しして住職の話も一段落したようで、自分で徳利を手に取られました。そのあと私のほうを見て、

「さっきは、話し込んでしまって」と短く言われました。

はっきりした謝罪ではありませんでしたが、先ほどのことを気にしてくださったのだと思います。私も「いえ」とだけ返しました。

隣にいた従兄弟が、卓の中央を見ながら言いました。

「このほうが気楽かもしれんな」

私もそう思いました。

それ以来、親戚の集まりでは最初から徳利を手の届くところに置くようになりました。

注いで回るのも心づかいの一つですが、それが誰にとっても必要とは限りません。

あの日の言い方には今でも少し驚きを覚えます。それでも、自分が当たり前だと思っていたやり方を見直すきっかけになった出来事でした。


※本記事は、GLAMが独自に実施したアンケートで寄せられた60代以上男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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