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不登校から医学部へ「学校は行かなくても勉強はやらなきゃ」とあせる母「でも息子は何一つやらなかった」

  • 2026.8.7

本人は不本意ながら定時制高校夜間に入学

おおたとしまささん(以下おおた):お母さんの夜遊びに付き合って、いろんな大人たちと話す機会ができてから、ラッパーになりたいと言い出した。かなり唐突な気がしますが。

倉孝子さん(以下孝子):なぜラッパーだったのか、当時はわからなかったんですけど、あとで聞いて初めて知りました。ヒップホップって、しいたげられたひとたちから生まれてますよね。

彼は、自分も完全にアウトサイダーだ、メインストリームではない、という意識があって、そこに共感したそうです。暴力ではなく言葉で訴えるというところも良かったみたいです。

ラッパーになると言って、家で練習したり歌ったりして、「大会に出る」と。私の中には「学校に行けてない子が、ラップの大会なんかに出ていいの?」というためらいがありました。でもそのとき、ある先輩のお母さんが「それもやる気だよね」と言ってくれたんです。

もともと遊びサークルで一緒だった方で、お子さんが小学校の頃から行き渋りがあって、中1で同じクラスだった。先輩不登校のママとして、いろいろ気遣ってくれていた人でした。「そっか、これもやる気か」と思って、大会への出場に、OKを出しました。

当日、すすきののとっても怪しいエリアにある雑居ビルまで送りました。後ろ姿を見て、「生きて帰ってこられるかな……」と不安になるほどでした。すすきのなんて、普段は行かないし、当時は何もわからないので、ただ怖い場所だな、と。

お迎えに行くと「1回戦敗退だった〜」と。でも、とっても清々しい顔でした。100人くらいの観客がいるなかで、ステージに立って歌ったそうです。

おおた:やってと言われても、私だったら遠慮したくなるような、ものすごく怖い場所に、自ら飛び込んでいく。それだけで、ものすごい勇気だと思うんです。

彼にとっては、ただ遊びに行きたいという話じゃなくて、自分を奮い立たせたうえでの「行かせてくれ」だったんだと思います。だからやり遂げて、敗退だったけれど清々しい。それは一つの、「やりきったぜ体験」ですよね。

孝子:そこから、何かが変わりました。圧が去った、というか。そろそろ進路を決めようかな、という気持ちになってきたんです。

孝子:ちょっと時計の針を戻して白状します。いちばん落ち込んでいた時期に、私はいろいろ試しました。塾とか、通信教材とか。

「これ申し込んだから、とりあえずやってみて」という感じで、結構強引にやらせようとしましたけど、行かない、やらない。結局「ダメだったか」と解約する。ということを繰り返していました。

おかしいんですけど、「学校は行かなくていい」と思えるようになっても、「でも勉強はやらなきゃいけない」とは、まだ思っていたんですよね。しかも5教科の勉強。

それも難しいとなると、今度は「5教科は諦(あきら)めても、せめて探究学習をしようよ」と言って、いろいろ探してきたり。息子は何一つやりませんでした。今思えば、あれもこれも、私の独り相撲だったんですね。

おおた:面白いですよね。「学校は行かなくていい」とは思えても、「でも勉強はやらなきゃ」のほうは、まだ手放せていない。しかも、その5教科がダメだとなると、今度は「せめて探究を」と。よくあるパターンだと思います。

孝子:迷走しまくってました。そんななかで、夫の知り合いの北大(北海道大学)の男の子が、家庭教師に来てくれることになったんです。

勉強というよりは、話し相手みたいな感じで、月2回とか週1回とか。でも最初は全然やる気がなくて、家庭教師が来てもあまりやらないし、直前になって「やっぱり嫌だ」とドタキャンする。本当にすみません、と謝る日々でした。

だけど、ラップの大会が終わったあたりから、そのお兄さんとちゃんと勉強してみる、という感じになって。どんな参考書を使っていいかわからない、という話をしたら、一緒に本屋に行って参考書を選んでくれたり。そういうことが始まったんです。

その人とは今でもすごくいい関係で、就職した今も仲良くさせてもらっています。本当に、いい出会いでした。

●おおたとしまさPROFILE

教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。リクルートから独立後、教育に関してさまざまな観点から取材を行い、著書は90冊以上。2026年5月に『フリースクールという選択』(講談社+α文庫)を上梓。どこの組織にも属さない在野の視点で現代の教育への考察・提言を続けている。メディアへの出演や講演も多数。

******次(第4回)は、定時制高校の夜間部で今まで知らなかった世界を見た俊徳さん。「小児精神科医になりたい」と宣言します 。

取材・文/おおたとしまさ(教育ジャーナリスト)

孝子:私は何でも前のめりなんです。高校受験も、私のほうが先に資料請求して、有名な大手通信制高校と、公立の定時制高校をピックアップしておきました。

定時制のほうには、朝・昼・夜の3つのコースがありました。単位制で、最大6年在籍できるけれど、3年で卒業してもいい、という仕組みの学校です。

内申点がもう落ちてしまっていたので、一般的な偏差値順に埋まっていくような高校受験の世界には入っていけない状況でした。通信制か定時制なら、そういう子でもたいがい受け入れてくれます。

取り寄せた資料を子どもに見せて、「私が見た感じではこういうところが良い。あなたが行きたいなら通信制でもいいけれど、通信制はすごく学費が高い。経済的に我が家のレベルで言うと、できれば公立に行ってほしい。でも、どれを選んでもいいよ」と伝えました。

本人は通信制高校の見学にも行ったんですけど、「塾っぽい感じがする、先生たちが親切すぎる、言葉は悪いけれどビジネスっぽい」と言いました。

もっと普通の学校っぽいところがいい、グラウンドも体育館もあって学校らしいところがいい、ということで、公立の定時制高校を志望しました。

その高校はコミュニティ・スクールで、地域に開かれているんです。金銭的な理由だけじゃなくて、学校としても面白いと感じました。

入試は2パターンありました。作文・面接・内申点で決まる自己推薦型と、ペーパー試験はあるけれど内申点は問わない一般選抜型でした。

出席日数も関係なく入れるので、公立ならここだな、と。まず推薦で、第1希望を昼間部、第2希望を夜間部で出しました。そうしたら昼間は落ちて、夜間で合格できました。

だけど本人はとても嫌がって、「夜間の合格を辞退して、ペーパー試験で受け直したい」と言ったんですが、学校からはそれはできないという返事でした。本人は「通信制もいいところがないから、浪人にする」とまで言ったんです。

でも、寺子屋の大学生やお寺の住職さんが「絶対に夜間に行ったほうがいいよ」と説得してくれて、渋々、夜間部に入りました。

高校受験のために塾に通うことは、結局ありませんでした。時々、北大のお兄さんに見てもらうくらいで。それでも高校には入れます。

90冊以上の著作を持つ教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏が迫ります。

孝子:フリースクールにも通うようになりました。ラップの大会が終わったあとくらいに、大学生が街中のお寺で小学生のための寺子屋活動を始めたという記事を新聞で読んだんです。

「これ、楽しいかもしれない」と思って問い合わせて、「中学生で、不登校なんですけど、いいですか」と聞いたら、「全然いいですよ」と。

連れて行ったら、すごく楽しかったみたいで。大学生のお兄さん、お姉さんたちとのかかわりが楽しくて。週1回、必ず行くようになりました。ほかの利用者はみんな小学生だったので、俊徳(としのり)は遊び相手になってあげる、お兄ちゃん側に立つわけです。

そうしたら大学生たちが、「俊徳、ちょっとスタッフとして一緒にやろうよ」と、スタッフ側に入れてくれて。役割ができたことが自信になって、それが大きかったです。

その寺子屋を運営しているのが、札幌では結構有名なNPOで。そこがフリースクールもやっていたんです。私はそのフリースクールに行かせたかったんですけど、当時、俊徳は行きたがっていませんでした。

それでも「とりあえず一回行ってみよう、知っている人たちがやっているんだから」と、ちょっと無理やり体験させました。行ったらやっぱり楽しくて。そこの大人のスタッフの方と、すごく話が合って。中3の2学期から、フリースクールに通うようになりました。

通ったのは数ヵ月なんですけど、すごく楽しく通えて、元気になっていきました。勉強は何もしないで、自由に過ごす、ただただ楽しく過ごす、居場所系のフリースクールでした。

ビルの2階の一部屋で。朝10時からなんですけど、ちゃんと10時から行っていました。楽しかったら行けるんだ、と思いましたね。

そこで元気になっていったので、中学の先生に伝えたんです。「学校には行けないんですけど、最近元気になって、フリースクールに通えるようになったんですよ」と。

そうしたら先生は、あまり面白くなさそうで。「じゃあ、もう学校は居場所じゃないってことなんですね」と言われて。それから卒業式まで、冷たくなったかもと疑いながら過ごしました。

卒業式で最後にご挨拶しようと思って「お世話になりました」と伝えても、目も合わせてくれなくて、よっぽど嫌だったんだな、と感じました。

その先生は本当に優しくて、いろいろ頑張ってくれていたので、先生にとっては傷つくことだったんだろうな、とは思うんですけど。

おおた:それは驚きのリアクションですね。何はともあれ、生徒が元気になる方法が見つかったのなら、普通は純粋に喜ぶんじゃないかと私の感覚では思うのですが、先生の中では自分とフリースクールを比較してしまって、勝手に卑屈になっちゃったんでしょうね。

学校とフリースクールは全然違う社会的役割をもっているのに、それを知らないがゆえの悲劇だったような気がします。ところで、一気に中学校の卒業まで話が進みましたが、学校に行けておらず、成績もオール1という状態で、高校への進路選択はどのように?

学校外で元気を取り戻すも先生はいい顔をしなかった

“学校は行かなくても勉強は必要”と迷走した母

中2で不登校になり、壮大な紆余曲折を経て、医学部への道を自ら切り開いた元野球少年の俊徳(としのり)さん。親は子どもをどう見守ってきたのか。札幌市在住の母親・倉孝子(くら・ゆきこ)さんにインタビューしました(第3回)。

学校に行かず、昼夜逆転していた俊徳さんは突然「ラップ大会に出る」と宣言。そこで得たものとは? 親が学校や勉強への執着を手放したとき、子どもはどう自信を取り戻すのでしょうか。

ラップ大会出場から変わり始めた

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寺子屋活動でスタッフとして活動する俊徳さん。 写真提供:倉孝子さん

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“フリースクール探し”で最初に読む本、登場! 『フリースクールという選択』(著:おおたとしまさ/講談社+α新書)

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