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大航海時代の栄華から、震災、独裁、そして革命へ。ポルトガル・首都リスボンの石畳に刻まれた「歴史の光と影」

  • 2026.7.21

帝国の繁栄、壊滅的な震災、独裁と革命。ポルトガルの歴史が大きく動く舞台であったリスボンの街を歩きながら、風景が語りかけてくる物語に耳を澄ましてみる。


世界の果てを目指した首都リスボンの足跡を辿って

教会の巨大な祭壇。ヴァスコ・ダ・ガマと国民的詩人ルイス・デ・カモンイスもこの教会に眠る。

紀元前にこの地で交易していた古代フェニキア人の“安全な港”という言葉に由来を持つリスボン。その名の通り、古くから様々な変化を受け入れ、そしてまだ見ぬ世界の果てを目指して大洋に漕ぎだした拠点だった。

大西洋へと注ぎ込むテージョ川の河口に広がるこの港街には、今もどこか包み込むような空気がある。異国の旅人を静かに迎え入れるやわらかな気配。初めて訪れたのに、帰ってきたような感覚を覚えるのはそのためかもしれない。

決して歩きやすいとは言えない石畳、古びたアズレージョ、陽光が降り注ぐテラコッタ色の屋根にはこの街が生きてきた時間が刻み込まれている。

【発見のモニュメント】エンリケ航海王子を先頭に、大航海時代の航海者や宣教師たちの姿を刻んだ記念碑。テージョ川を望むベレン地区の象徴的存在。先頭がエンリケ航海王子。その背後の髭を蓄えた人物がヴァスコ・ダ・ガマ。

ポルトガルが栄華を極めた大航海時代。ヨーロッパ各国に先駆けてレコンキスタを終えていたポルトガルは、15世紀になるとアフリカへ勢力を広げるべくイスラムの天文学や造船技術を駆使して航海に出た。当時“暗黒の海”と恐れられていたボジャドール岬を強い信仰心を支えに越えて以降、ポルトガルは欧州の端の小国から世界の覇権を握る海洋帝国となる。

左:ロープや貝殻、植物など海を想起させる装飾を特徴とするマヌエル様式は大航海時代の象徴。右:ジェロニモス修道院の回廊。詩人ペソアの墓も立つ。

アフリカ、インド、果ては東洋まで広がる植民地支配がもたらした富は、精緻な彫刻を施したジェロニモス修道院や数々の宮殿、王族の宝飾品へと姿を変えた。当時の財宝は現在「王室宝飾博物館」に収蔵されており、王族の豪奢な暮らしを今に伝える。

その一方で、富の消費に終始し植民地支配の体力も底をつきはじめたポルトガルは徐々にその国力を衰退させていき、16世紀後半にはスペインとの同君連合下に入り華々しい時代は終焉を迎える。

【コメルシオ広場】1755年の震災後、ポンバル侯爵による都市再建の中心となった大広場。政府機関も数多く擁する、テージョ川へ開かれた現在のリスボンを象徴する空間。外国の賓客を乗せた船は広場中央にある2本の大理石の柱を目印に着岸していた。
広場に続く一本道は観光客で賑わう。

1755年、栄華の残り香の中にいたリスボンの街に追い打ちをかける出来事が起きる。「諸聖人の日」を祝う朝に起きた大地震と大津波、蝋燭の火による大火災だ。人口の4分の1が犠牲となり、キリスト教の祝日に起きた災害ともあって欧州中のキリスト教信者に衝撃を与えた。

宮殿は瓦礫となって跡形もなくなり、知力と国力の象徴だった図書館なども次々と燃えてゆく。リスボンの歴史が「震災前/震災後」で語られるほど、この災害は時代の転換点となった。

震災後、精神的に衰弱した王に代わり、現在に至るリスボンの街の礎を築いた人物がいる。当時の王政で宰相を務めたポンバル侯爵だ。

震災後に整備されたリスボンの街。建物の高さも均一化されるようになった。

かつての街並みを再建するのではなく、碁盤の目状に整理された直線的な構造と開放的な広場を街に導入し、世界に先駆けて近代都市化を進めた。今リスボンにある街角のほとんどはこのころに整備された構造の上に成るものだ。

【エドゥアルド7世公園】丘陵地に広がるリスボン最大級の公園。幾何学的な庭園の先には、旧市街からテージョ川まで続く街並みが美しく広がる。

40年以上続いた独裁と「新しいポルトガル」の幕開け

【ベレンの塔】16世紀、大航海時代に河口防衛のため築かれた要塞塔。マヌエル様式の優美な装飾をまとい、震災を乗り越えた世界遺産でもある。大航海時代には多くの船出を見送ってきた。

震災の影響を免れ、現在も中世の気配を感じさせる場所もわずかだがある。非常に堅牢な構造ゆえに倒壊しなかったベレンの塔やジェロニモス修道院、そして「アルファマ」と呼ばれる旧市街エリアだ。

近代的な建物と古い石壁が隣り合う。

ただし迷宮のような細い路地に哀愁漂うこのアルファマ地区は、震災とは別の意味で時代の影を感じさせるエリアでもある。

19世紀にナポレオンが侵攻してきたことをきっかけにポルトガル王政は衰退の一途を辿り、20世紀初頭に共和制が樹立。しかし政治は長く混迷を極め、軍事クーデターを経て1932年、一人の経済学者が政権を握ることになる。後に「サラザール独裁政権時代」として40年近くポルトガルに暗い影を落とすことになるアントニオ・デ・オリベイラ・サラザールだ。

「ギターラ」を持つ男性。ファドの伴奏者だろうか。

自由民主主義を否定し、秘密警察による監視や厳しい検閲を行った。かわりに娯楽として利用されたのが哀愁漂う歌「ファド」やフットボール。第二次世界大戦の激動する世界から切り離された社会の中で徹底した保守政策を敷いたことで、くしくもアルファマなどの旧市街エリアを保存することにも繫がった。

【4月25日橋】テージョ川を横断する全長約2kmの赤い吊り橋。独裁政権時代に建設され、革命後に「4月25日橋」と改称された街のランドマーク。リスボンの対岸はセトゥーバルエリア。

1974年4月25日、驚くほど穏やかに独裁時代は終わる。兵士が銃口にカーネーションを差し込んだことから「カーネーション革命」と呼ばれる軍事クーデターを機に、ポルトガルは欧州各国に約30年遅れるかたちで民主主義と自由を取り戻したのだった。

【CAMミュージアム】グルベンキアン財団が運営する現代美術館。ポルトガル近現代アートを中心に、建築や庭園空間も含めて高い評価を集めている。2024年に隈研吾氏の設計でリニューアル。縁側をテーマに取り入れた。

それから約50年、リスボンは今も変化のさなかにある。若き起業家が集まるテクノロジーやアートの拠点として新風が吹く一方、ゴールデンビザや不動産投機の影響で地元住民の住環境が危ぶまれている。

路地にはためく洗濯物はリスボン名物。

栄華と衰退、崩壊と復興、抑圧と革命。歴史の中心にいたリスボンに刻まれているのは時代をしなやかに生き延びてきた痕跡だ。

独裁時代には3人以上で歩くのは禁止だった。

そして今も歩み続ける都市の姿を目に焼き付けるように、まっすぐな目抜き通りを、石畳の路地を、踏みしめるように歩いてみる。

Mosteiro dos Jerónimos(ジェロニモス修道院)

ポルトガル大航海時代の繁栄を象徴する世界遺産。ポルトガル独自の建築様式である「マヌエル様式」の傑作。左右対称の堅牢な造りで震災でも倒壊しなかった。

所在地 Praça do Império, Lisboa
電話番号 213 620 034
営業時間 9:30~18:00(冬季~17:30)
定休日 月曜
料金 18ユーロ
https://www.museusemonumentos.pt/

文=CREA Traveller編集部

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