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メッシ、マラドーナ、バティストゥータ…「アルゼンチン歴代最高の10選手」

  • 2026.6.27

2022年のカタール大会を含め、これまで3度のワールドカップ制覇を成し遂げてきたアルゼンチン。フットボールに対する純粋な情熱、そして記憶に刻まれる数々の名シーンの代名詞となっており、数え切れないほどのタイトルをもたらしてきた。

今回は『Football Fancast』から、「アルゼンチンが生んだ史上最高のフットボーラーたち」をランキング形式で紹介する。

10位:ハビエル・マスチェラーノ

ハビエル・マスチェラーノは、アルゼンチン史上最も華やかな選手ではなかったかもしれない。しかし、彼ほどチームにとって不可欠な存在もいなかった。

「小さな総帥」という愛称でも親しまれた彼は、凄まじい激しさと戦術的インテリジェンス、そして自己犠牲の精神を兼ね備えた守備的MFだった。リヴァプールでプレミア屈指のボールハンターとして名を馳せると、バルセロナ移籍後はセンターバックへと転身し、サッカー界最強のチームの一つで主力を担った。その適応力こそが、彼のサッカー脳の素晴らしさを物語っている。

代表では147キャップを刻み、10年以上にわたってチームの「感情のエンジン」であり続けた。2014年W杯準決勝、オランダ戦で見せた決死のスライディングタックルは今も語り草。彼のリーダーシップと闘志は真のレジェンドにふさわしいものだった。

9位:アンヘル・ディ・マリア

キャリアの多くをリオネル・メッシの影で過ごしてきたディ・マリアだが、彼がいなければアルゼンチンの現代黄金期は語れない。

速く、そしてエレガント、さらに予測不能なこの左利きのウイングは、大舞台の決勝戦で驚異的な勝負強さを発揮してきた。2008年北京五輪、2021年コパ・アメリカ、そして2022年カタールW杯。そのすべてで彼はゴールを決め、タイトルを勝ち取ってきた。

クラブレベルでもベンフィカ、レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッド、PSG、ユヴェントスと名門を渡り歩き、2014年にはマドリーでCL制覇に貢献。波がある選手と言われることもあったが、ビッグマッチを決定づける力においては、彼ほどの右に出る者はいない。

8位:ハビエル・サネッティ

ハビエル・サネッティは、プロフェッショナリズムと息の長いキャリアの象徴だ。インテルでの約20年間、彼は単なる選手を超え、キャプテンであり、象徴であり、チームの規範そのものだった。

左右のサイドバックや中盤をこなし、強靭な肉体と知性を融合させた。インテルで850試合以上に出場し、2009-10シーズンのジョゼ・モウリーニョ体制下での歴史的トレブル(3冠)でも主将を務めた。

アルゼンチン代表としても145試合に出場。W杯優勝には届かなかったが、偉大さはトロフィーの数だけで測れるものではない。その一貫性と品格によって、彼はアルゼンチン史上最も尊敬されるフットボーラーの一人となった。

7位:オマール・シボリ

オマール・シボリは、アルゼンチンが生んだ最初のアタッキング・スーパースターの一人だ。そのドリブルと華やかさ、そして強烈な個性は「アルゼンチンの天才」というイメージの原型を作った。

リーベル・プレートで台頭し、1950年代に南米を熱狂させたチームの一員として活躍。1957年の南米選手権ではウンベルト・マスキオやバレンティン・アンジェリロとともに「死のトリオ」と呼ばれる前線を形成して旋風を巻き起こすと、当時の世界最高額でユヴェントスへ移籍した。

そしてイタリアでもレジェンドとなり、セリエA制覇と1961年のバロンドールを受賞。小柄で爆発力があり、大胆かつ繊細なボールタッチでDFを翻弄した。のちのメッシやマラドーナへと続く、「左利きの魔術師」の系譜を語る上で欠かせない存在だ。

6位:フアン・ロマン・リケルメ

フアン・ロマン・リケルメは、自分だけの時間軸でプレーするフットボーラーだった。プレッシングや身体能力、攻守の切り替えが重視される時代にあって、彼は「クラシックな10番」であり続けた。

一見遅そうに見えながら、ボールを持てば誰にも奪えず、ライン間で前を向けば致命的なパスを通す。ボカ・ジュニオルスでは神格化されるほどのアイドルとなり、クラブを南米の頂点へと導いた。欧州ではバルセロナで苦しんだものの、ビジャレアルではその天才性を遺憾なく発揮し、地方クラブをCL準決勝まで引き上げた。

万人に合うタイプではないかもしれない。しかし、彼を中心に据えたとき、世界で最も美しいプレーを見せてくれる選手だった。

5位:ダニエル・パサレラ

サッカー界の歴史において最も偉大なDFの一人であり、アルゼンチン史上最高級のキャプテンである。身長170cm台前半と小柄ながら、空中戦で圧倒し、対人守備でも強さを見せ、さらに相手ゴール前では驚異的な得点力を誇った。

センターバックでありながらキャリア通算140ゴール以上を記録したという記録は、もはや異常なものとも言える。1978年W杯でアルゼンチンを初優勝に導き、最後尾から凄まじいリーダーシップと威厳を放った。1986年大会のメンバーでもあり、アルゼンチン人として唯一「2度のW杯優勝」を経験している。

リーベル・プレートのアイコンであり、セリエAでも実力を証明したリベロ。ピッチの両エンドにおける影響力という点で、サッカーの歴史上最高クラスの選手だった。

4位:ガブリエル・バティストゥータ

「バティゴール」。ガブリエル・バティストゥータは、アルゼンチンが生んだ最も純粋なストライカーだった。パワー、本能、そして強烈なフィニッシュ。彼が放つシュートは暴力的なまでの威力があり、キーパーはなす術もなかった。

リオネル・メッシに抜かれるまで、78試合56ゴールという数字で代表歴代最多得点記録を長らく保持していた。コパ・アメリカを2度制し、3度のW杯に出場。世代を超えて人々の記憶に残るゴールを刻んできた。

ローマ、フィオレンティーナ、そしてインテルなどでセリエAの全盛期に一時代を築いた男。W杯優勝こそ手にしていないが、彼ほど恐れられ、愛され、そしてゴール前で冷酷だった人物はいない。

3位:マリオ・ケンペス

マリオ・ケンペスは、アルゼンチンに最初のW杯をもたらした男として永遠に記憶されるだろう。1978年、自国開催の舞台で彼は大会の主役となり、得点王とMVPをダブル受賞。決勝のオランダ戦での2ゴールは、彼を国民的ヒーローへと押し上げた。

力強く、直線的で、かつ知的なFW。中盤まで降りてボールを運び、絶好のタイミングでエリア内に飛び込むスタイルは当時画期的だった。バレンシアでもラ・リーガ屈指のアタッカーとして君臨していた。

1986年のマラドーナ、2022年のメッシが現れる前、アルゼンチンにとっての「W杯の救世主」はこのケンペスだったのである。

2位:ディエゴ・マラドーナ

ディエゴ・マラドーナは、単なる選手を超えた「感情」であり、「反逆のアイコン」であり、「神話のような存在」でもあった。そのキャリアは輝きと矛盾、そして混沌に満ちていたが、全盛期の彼が到達した領域には誰も近づけなかった。

1986年W杯は彼の最高傑作だといえる。イングランド戦で見せた「神の手」と「5人抜き」。あの数分間にマラドーナのすべてが凝縮されていた。ほぼ独力でアルゼンチンを頂点へと導き、ナポリでは弱小クラブをセリエA王者に変え、街の象徴となった。

私生活は複雑なものだったが、ピッチ上の彼は神々しかった。多くのサッカーファンにとって、彼こそが情熱と天才性の究極の表現なのだ。

1位:リオネル・メッシ

画像: (C)Getty Images
(C)Getty Images

アルゼンチン史上最高、そして多くの人々にとって「史上最高のサッカー選手」だ。長年、彼に対する唯一の批判は「代表での主要タイトルがない」ことだった。しかし、その議論はもう終わった。

2021年のコパ・アメリカ、2022年のW杯、そして再びコパ・アメリカ。かつては届かないかと思われた代表での栄光をすべて手に入れた。2022年のカタールW杯は、ゴール、アシスト、リーダーシップ、苦難、そして歓喜という、完璧な最終章だった。もちろん、バルセロナでの実績は言うまでもない。

得点者であり、チャンスメーカーであり、ドリブラーであり、ゲームメイカー。アルゼンチンは多くの天才を輩出してきたが、メッシはその頂点に君臨している。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

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