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寺地はるな「40代女性の主人公が足りない!」から生まれた連作短編集。仕事の成功、充実した恋愛だけが、女性の幸せではない【最新作『雨が降ったら』インタビュー】

  • 2026.6.16
雨が降ったら 寺地はるな/ポプラ社
雨が降ったら 寺地はるな/ポプラ社

雨が降ったら

仕事や子育ての悩み、更年期にともなう体の変化──女性の40代はなにかと厄介ごとが多い。寺地はるなさんの新刊『雨が降ったら』(ポプラ社)は、そんな40代女性たちを主人公にした連作短編集だ。境遇は違えど、自分なりの楽しみを見つけて生きる5人の女性たちの姿を見ていると、これからの人生にささやかな希望を見出せるはず。本書に込めた思いについて、寺地さんにうかがった。

40代女性の幸せは、仕事での成功や充実した恋愛だけではない

写真:吉澤健太
写真:吉澤健太

――『雨が降ったら』は、ポプラ社『季刊アスタ』の連載をまとめた一冊です。どのような依頼があり、この作品が生まれたのでしょうか。

寺地はるなさん(以下、寺地):担当編集者と「40代女性の主人公が足りない」という話をしたんです。女性の40代は、いろいろなことが変わり始める時期ですよね。体も変化するし、立場も変わるし、親の介護など新たに発生する問題もあります。ひと口に40代と言ってもいろいろな人がいます。その割に10代、20代、30代に比べて、40代が主人公の物語は少ないのでは、と。

――確かに、結婚しているか独身か、子どもがいるかいないか、仕事をしているかなど、人それぞれですよね。

寺地:同世代の友人たちと集まっても「いろいろ違うね」という話になりますし、その違いが面白いんじゃないかと思いました。

この小説でも「これが正解です」と提示するのではなく、その“いろいろ”を全部書いたほうが楽しい気がして。「それなら、連作短編にするしかないですね」という話になりました。

ただ、連作短編となると全編を貫く軸が必要です。舞台やモチーフなど、何かひとつ共通するものが欲しい。そこで、打ち合わせでは長い時間をかけていろいろなアイデアを出したのですが、なかなか決まらなくて。その日はちょうど雨が降っていたので、終わり際に「そうだ、傘はどうですか?」と苦し紛れに言ったんです。でも、苦し紛れにしてはいいアイデアだなと思って。傘には雨傘だけでなく日傘もあるし、さしてもいいし、ささなくてもいい。いろいろなことが表現できるモチーフなので、この案を採用しました。

――作中では、親子が営む「わかば洋傘店」を軸に、5人の40代女性たちの物語が描かれます。全体を通して、どのような作品にしようと思いましたか?

寺地:先ほど「40代の主人公が足りない」と言いましたが、40代女性でも仕事で成功している主人公はけっこういます。きれいな40代女性が、年下の男の子と恋愛する小説もありますよね。それを否定するわけではないけれど、仕事での成功や充実した恋愛だけではない楽しさや幸せもたくさんあると思って。“小さな幸せ”というと陳腐になりますが、それぞれに幸せがあり、それは多種多様であっていい。年を取ることをネガティブに表現するのではなく、楽しく生きている人の話を書きたいと思いました。

――寺地さん自身は、40代になってどういった変化がありましたか?

寺地:いい意味で、「これ以上無理したらいけないな」という限界がわかるようになりました。できないことも増えていきますが、経験値は積みあがっていくので「ここでこれを言っておかないと、夜眠れなくなるな」ということがわかる。若い頃は、失礼なことを言われてもとっさに反応できなくて、3日くらい経って「あれ?」と思い、その後しばらく悩んでしまうこともありました。でも、今は失礼なことを言われる経験値も溜まっているので、「これは」と思ったら反応できるようになりましたね。反射神経は良くないのでズバッと言い返すことはできませんが、後になって自分が納得できないような反応だけはしないですむようになってきたかな、と。小さいことですが、日々納得できないことが積み重なっていくとしんどいので、そういう意味ではラクになった気がします。

他人にも自分にも、あまり期待しなくなったのかもしれません。「どうしてこういう風にできなかったんだろう」と思うのは、自分への期待が高いから。そういう風にできない人間だと理解したことで、たとえ100点の対応ではなくても「上出来じゃない?」と思えるようになりました。

ひとりを楽しむ人から母を亡くしたばかりの人まで。それぞれの道を生きる5人の女性たち

――『雨が降ったら』には、さまざまな立場の40代女性が5人登場します。1話に登場するのは、夫に離婚を切り出されてひとり暮らしを始めた初佳さん。将来に不安がないわけではありませんが、自由を手に入れ、好きなものに囲まれ、好きなものを食べて幸せに暮らしている女性です。

寺地:小さい趣味を楽しんでいる人を描きたかったんです。彼女は、服を買った時についてくる予備のボタンを布に縫い付けて、ボタンの標本をつくって楽しむような人。そこが一番大事だと思ったんです。みんなが憧れるようなものを手にしていなくても、幸せな人もいる。それもひとつの生き方として描いてもいいのではないかと思いました。

――ひとり暮らしを始めた初佳さんのもとに、20代の娘が遊びにくるシーンも印象的でした。どうやら失恋したらしいけれど、深く踏み込まず温かく見守っている、その適度な距離感が素敵です。

寺地:私も素敵だなと思いながら書きました(笑)。こうなれたらいいね、と。「自分の子どもが大人になった時、どう付き合うだろうか」と、周りの人からも話を聞きつつ、想像を膨らませていきました。

――続く2話の主人公は、独身の杏子さん。ひとりでテーマパークに行ったり、「わかば洋傘店」の息子とおいしいものを食べに行ったり、日々を楽しんでいます。ですが、そんな彼女のもとに絶妙にムカつく昔の恋人がやってきます。

寺地:ひとりで生きていると、怖い目に遭うことも当然あるはずです。そこも書く意味があると思いました。あと、シンプルに「別れた相手ってこれくらいキモいんやぞ」ということを書きたい気持ちもありました(笑)。

――人にもよりますが、女性よりも男性のほうが過去の恋愛を引きずる人が多い印象があります。

寺地:過去の恋愛をエモーショナルに彩って、記憶の箱に入れる人、いますよね。それも文学のモチーフになり得るものですが、私はそうは書きませんよ、と(笑)。

――ひとりで生きる人が直面する困難を描きつつ、誰かの力を借りることの大切さにも言及しています。

寺地:人の手を借りることは、自立していないことではありません。そういうことも書きました。

――3話のみつほさんも独身で、家庭を持つ妹からは憐れまれている節があります。それでも、彼女には小さな幸せがある。寺地さんは、みつほさんをどんな人だと捉えていますか?

寺地:前のふたりとは違う、内向的な女性です。あとは“推し”とは違う、“淡い好き”を書いてみたいと思いました。私は推しという感覚が、あまりわからないたちです。それでも、何かを見て「素敵だな」「もっと見たい」「応援したい」という気持ちはちゃんとあります。単に“推し”という言葉がしっくりきてないだけなのかもしれません。そこで、生きがいとはいかないくらいの、淡い気持ちを書きました。

今、推し活をする人が多いですが、推しがいない自分に寂しさや物足りなさを感じる人も少なくないと聞きます。性格的なものもあるでしょうし、どちらがいいという話でもないと思うんですよね。

――4話の苑美さんには中2と小6の息子がいて、育児と家事に追われています。ですが、友人の仕事を手伝った際、見事な手腕を発揮します。この人はどういう存在として描きましたか?

寺地:ここまではひとりで生きている人を書いてきたので、ひとりくらい家族がいる人を登場させようと思いました。かといって、「子どもがいて楽しい、幸せ」という人は別に書かなくていいだろうと思ったんですね。

私の子どもの同級生のお母さんたちは、大体みなさん仕事をしています。でも、あくまで私の知る範囲ですが、正社員は少なく、パートタイムで働いている方がほとんどです。出産を機に仕事を辞めて、その後再就職しようとしてもなかなか難しく、とりあえずパートを始めてそのまま今に至る。そういう仕事を、履歴書に職歴として書いていいんだろうかと迷っている方もいました。私はまったく問題ないと思いましたが、世間はそうではないのかと思ったんですよね。

女性は出産によってキャリアが断たれるといいますが、正社員ではない働き方をしている人、名刺のない職業に就いている人はたくさんいます。それがキャリアにカウントされないことに、違和感がありました。企業に勤めていなかったとしても、子育てやPTAの仕事、町内の自治会の仕事を通していろいろな経験を積んでいるはず。会社外で形成されるキャリアはたくさんあるのだから、それも含めて評価されたらいいなと思って。

――お子さんがいる40代女性は、総じてコミュニケーション能力や調整力が高いですよね。

寺地:学生時代、気の合わない人とも同じ教室で一緒にやっていかなければなりませんでしたよね。学校に通う子どもを持つ親は、それと似たような環境に無理やり放り込まれるからかもしれません。

以前、子ども会の役員を務めたことがあるのですが、夏祭りの準備などで皆さんテキパキ働いていたり、自治会長にうまいこと話をつけたりしているのを見て、すごいなと思っていました。私は会社勤めを辞めてからひとりで仕事をしているので、嫌だなと思う人とは付き合わずにすんでいます。自分自身はそういう能力が落ちている分、子どもの同級生のお母さんを見てシンプルに尊敬の念を抱きました。この章は、そういう思いが自然とにじみ出たような気がします。

――最後は、母親を亡くしたばかりの美禰子さんのエピソードです。母と娘の関係が描かれていますが、どのような思いを込めて書いたのでしょう。

寺地:書きたかったのは、いわゆる“毒親”ではない親との関係です。問題のある親ならもっと違うドラマになりますが、好きだったお母さん、仲の良かったお母さんだからこその難しさもきっとあるはず。大きな問題がないので、物語になりにくい関係ですが、そこを書いてみたいと思いました。自分が書くべきとまでは言わないですけど、「わたくしこそが書きましょう」みたいな気持ちでした(笑)。

――毒親ではない分、「親のことを悪く思ってしまう自分はひどい娘だ」と思ってしまう。その気持ちに共感する読者も多いのではないかと思いました。

寺地:100%ひどかったら全力で憎めますが、総合するといいところのほうが多い親には不満を言いづらいですよね。いつまでも、こちらが甘えているみたいじゃないですか。でも、たいていの親はいいところと悪いところがトントンくらい。だからこそ、しんどいのだと思います。

いい面だけでなくよくない面も書くことが、登場人物への敬意

――この5人が「わかば洋傘店」を通じて、ゆるやかにつながっていきます。先ほど、「舞台やモチーフがなかなか思いつかなかった」という話がありましたが、大阪の洋傘店を選んだのはなぜでしょう。

寺地:個人商店が好きなんです。こういうお店がなくなって全部ショッピングモールになってしまうのも、悲しいなと思って。小さな抵抗ではないですが、物語の中ではこうしたお店を残したいという気持ちがありました。

――途中で『こまどりたちが歌うなら』(集英社)に登場する和菓子屋の名前も出てきます。寺地さんの作品世界は、どれもつながっているのでしょうか。

寺地:はっきり決めているわけではないですが、自分の中になんとなく“パラレル大阪”ができていて。ひとつの小説を書き終えても、その世界は私の頭の中で続いているので、続編とまでは行かなくても、他の作品で少しだけ触れられたらと思っています。

――「わかば洋傘店」は、老齢のスノと40代の太志親子が営む傘店です。このふたりは、どのようにして生まれたのでしょうか。

寺地:明確な狙いがあったわけではなく、自然に出てきました。40代を過ぎた女性を登場させたい、あとは女性だけでなく男性も出したいと思って。

――太志は、最近まで居酒屋チェーン店の店長をしていました。ですが、過重労働に疲弊し、ある時突然、体が動かなくなり、退職します。女性だけでなく、男性も40代になるとしがらみがあって大変なのかなと思いました。

寺地:「男性ならではの苦しみをこの人に表現させるぞ」と思ったわけではなく、男性として登場させたなら、そこについても書かざるを得なかったという感じでしょうか。

各話の主人公からすると若葉親子は、“お店を営む人”です。ですが、その人たちにも人生があり、日々の感情の移ろいがあります。連載では各話の主人公たちの物語を書いて終わりでしたが、単行本にする時に朝・昼・夜のお店の様子を加筆しました。そうでなければ、このお店が舞台セットのようになってしまうので。スノや太志も、単に傘を差し出したり、アドバイスを提供したりするだけの役割にはしたくなかった。彼らにも自分の世界があるんだと、少しだけでも書けたらいいなと思いました。

――スノさんは、40代女性の憧れの対象ではありますが、彼女は彼女で苦しみや寂しさを抱えています。その点も、朝・昼・夜の描写で語られていますね。

寺地:女性たちを導き、癒すだけでなく、息子に八つ当たりするような嫌な面も少し書きたかったんです。私の中では、いい面だけでなくあまりよくない面もきちっと書くことが、登場人物を尊重していることになります。ただ役割を演じるだけの、都合のいい存在にはしたくなくて。

よくロールプレイングゲームで、「ここは◯◯の村だよ」「◯◯だったらここへ行けば手に入るよ」みたいなことを言うだけの人がいますよね。私は、ああいう村人に対して、「この村人にも家族がいたりするのかな」と考え始めるところがあって。私の小説でも、可能な限りそういうことまで書きたいなと思うんです。特に、ここ数年はそう考えるようになりましたね。

――寺地さんの場合、登場人物はどうやって作り上げていくのでしょうか。例えば、履歴書をつくるように最初から綿密に設定を決めているのか、書きながら「この人にはこういう面があるよね」とわかってくるのか。どういう書き方をしていますか?

寺地:最初にきちっと設定を決めることはしないですね。物語の筋があって、そこに出てくるお話だけを考えるのではなく、むしろ書いていない部分を想像することが多いかもしれません。

例えば、その人がカフェに入って何を頼み、何をして時間を過ごすのか。商店街で買い物をする時、どんな行動をするのか。作中にそういう場面が出てくるわけではないけれど、ひと通り考えてみるんです。自分が買い物をする時も、「私は今こうしたけれど、あの人だったらどうするかな」と考えますね。

――頭の中で、ものすごくシミュレーションをされるんですね。幾通りもの人生を生きているような感覚ではないでしょうか。

寺地:その時に書いている人物の性格に、影響を受けがちですね。連載を複数抱えている時は、浮き沈みも激しくてぐちゃぐちゃしてます(笑)。

自分の中の小さな喜びや悲しみは、世界の大きな問題に匹敵するくらい大事

――「わかば洋傘店」では、「雨が降ったら傘をさせ」と書かれた傘をお客さんに貸し出しています。太志は「文字通りの意味で、それ以上の含みはない」と言いますが、寺地さんはどんな思いを込めたのでしょうか。この言葉を思いついたきっかけは?

寺地:以前書いた『ガラスの海を渡る舟』(PHP研究所)という小説に、人の気持ちがあまりわからない人を登場させました。その人は「こういう状況では、この人はきっとこう思うだろう」という推測ができません。でも、「雨が降ったら傘をさすように対処すればいいんだ」と思うようになるんです。他人の感情を勝手に想像して行動するのではなく、例えば目の前の人が泣いたらティッシュを渡すように、起きたことに対処すればいい。私が言わせたというより、書いているうちにぬるっと出てきた言葉でしたが、自分でも「そうか。そうすればいい時もあるんだ」と思ったんですよね。

私は、「やまない雨はない」という励ましの言葉を与えられると、「違うだろ」と思ってしまうんです。今降っている雨をどうするかという話をしている時に、そんなこと言われても……と思ってしまって。

――「こっちは今、濡れて困ってるんだよ」と。

寺地:そうそう。「傘を貸してくれよ」もしくは「傘を売ってる場所を教えてくれ」と思ってしまって。確かに、時間が経過すれば雨はやむだろうし、抱えている問題も解決するかもしれません。でも、今降っている雨をどうやって防げばいいのか、雨が降ったあとのぬかるんだ道にどう対処するのか、溜まった洗濯物をどうするのかという問題は、この言葉では解決できませんよね。そう言うしかない状況もあるのはわかるけれど、もうちょっと違うことを言えたらいいなと長年思っていました。

それに、若葉さん親子は傘を差し出しますが、それが押し付けになってはいけないという思いもあって。傘を買うなり見つけるなりするのは、あくまで本人たちの意思であってほしいと思いました。

だから、「雨が降ったら傘をさせ」という言葉にも、あまり深い意味を込めてはいけないと書いたあとに思ったんですよね。タイトルを『雨が降ったら』にしたのも、雨が降ったらどうするかは、人それぞれ違うからです。

――例えば、太志さんが会社を辞めたのも、彼なりの傘のさし方です。一人ひとりに合った傘があるし、もしくは傘をささなくてもいいのかもしれないということでしょうか。

寺地:そうですね。結局のところ、悩みの大半は何か具体的なことをしなければ解決しませんよね。私はここ数年、「原稿を書いていて気分が乗らない時にはどうしたらいいですか?」という質問をよくいただきます。でも、それは気分というふわっとしたものではなく、何かしら具体的な問題があるような気がして。原稿の内容に問題があるのかもしれないし、部屋が寒い、お腹が空いているという問題かもしれない。精神的な悩みって、物理的な対処で意外と何とかなるものです。小説の中では、そういうことを「雨が降ったら傘をさせ」という言葉で表しました。

――一冊にまとまったこの本を読み返して、寺地さんはどう感じましたか? 書き終えて、心境に変化などはありましたか?

寺地:当初から「楽しいお話を書こう」と思っていましたが、「“楽しい小説”とは何か」についてあらためて考えられたのはよかったですね。私にとっては、きれいなこと、幸せなことだけを書くのが楽しい小説ではありません。日々のちょっとしんどいことも書いてあるのが、自分が今読みたい“楽しい小説”なんだと再確認できました。

――大変さはあっても、自分なりに幸せを感じられることがあり、納得して日々を過ごせれば楽しいということでしょうか。

寺地:今、世界情勢に対する不安が高まっていますよね。世の中が大変だと、自分のささやかな喜びや悲しみを「そんなことをしてる場合じゃない」とないがしろにしてしまう人もいると思います。でも、自分の中の小さな喜びや悲しみは、世界の大きな問題に匹敵するくらい大事なはず。「そんなことをしてる場合じゃない」と思わせる世の中のほうが間違っていると思うんです。世の中の大きな出来事も大事だし、自分の気持ちも大事。大事にしなきゃいけないものがたくさんあって難しいですが、両方大事にしていいと思って。

――今のお話、深く共感しました。日々ニュースを見てはつらい気持ちになり、せめてSNSでは楽しいことを発信しようと思うのですが、それに対しても罪悪感を覚えてしまって。

寺地:私も「次はどんなひどいニュースが流れてくるんだろう」と日々怯えています。SNSでもよくニュースをリポストしますが、同じくらいのペースでかわいい猫や雑貨の画像もタイムラインに流れてきて。そういう時、政治的なリポストのあとに、同じようにかわいいものについてリポストしていいのかという葛藤が生まれるんですよね。でも、それを我慢するのも違うような気がします。「なんでだよ。私はかわいい雑貨の話だけしたいのに、そうさせない世の中が間違っているんじゃないか」と思うんです。だから、世の中の大きな問題も自分の些細な感情も同列に扱いたい。この小説を書いて、あらためてそう感じました。

取材・文=野本由起

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