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多細胞生物の起源は「遺伝子」より「物理」だった――「非対称開始仮説」が提唱

  • 2026.6.11
多細胞生物の起源は「遺伝子」より「物理」だった――「非対称開始仮説」が提唱
多細胞生物の起源は「遺伝子」より「物理」だった――「非対称開始仮説」が提唱 / Credit:Canva

アメリカのカリフォルニア工科大学(Caltech)とユタ大学の研究者らが発表した論文によって、単細胞から多細胞へ生物が進化したキッカケとして「単純な物理」が働いたとする新仮説「非対称開始仮説」が提唱されました。

この仮説が正しければ、「単細胞があつまって多細胞生物になった」という話や「生き物の設計図はすべてDNAに書いてある」というよく聞く話に「物理」という思ってもみなかった要素が入り込むことになります。

著者らも生物の体の自己組織化は「生物学的複雑性の副産物ではなく、物理的な不可避性から生じる基本原理である」と述べています。

一見すると、あり得なさそうな珍説に思えますが、古細菌の実験結果をはじめ、複数の研究から得られた証拠がこの見方を支持しています。

研究内容の詳細は2026年6月1日、一流の学術誌として知られる『Nature Biotechnology』にて発表されました。

目次

  • 多細胞化の引き金は物理だった
  • 生命の形も遺伝だけでなく物理が効いていた
  • 物理の力で生命を設計する

多細胞化の引き金は物理だった

多細胞化の引き金は物理だった
多細胞化の引き金は物理だった / 上の段は複数の細胞が集まって多細胞化し役割分担する既存の考え。下は物理的な圧迫によって1つの細胞が複数種類の細胞に多細胞化する新しい多細胞化の例/Credit:Canva

地球上で最初の多細胞生物がどう生まれたかは、これまで「細胞が集まること」が第一歩とされてきました。

実際、中学時代の理科の先生から「単細胞が少しずつ集まることで多細胞生物が誕生した」という話を直接聞いた記憶がある人もいるでしょう。

大学レベルの教科書でも

単細胞の祖先が分裂したあと、くっついたまま離れず集団を形成し、多細胞化した(コロニー説)

もともと異なる状態の単細胞同士が集まって役割分担をするようになった(シンゾオスポア説)

と「細胞が集まることが最初」という説が主流です。

むしろ「単➔多」の流れなのだから、それ以外に始まる方法を考え付くほうが難しいでしょう。

しかし新たな研究で提唱された説(非対称開始仮説)は、もっと前にキッカケがあったと述べています。

多細胞化のきっかけは、細胞が「集まる」ことではなく、1個の細胞の内部で、分子や小さな細胞内の部品(細胞小器官)の分布が均等ではなくなる「中身の偏り」こそが最初の出発点だった可能性がある、というのです。

偏りは、周囲から押されたり、物理的に圧縮されたりすることでも生じうるとされています。いったん偏りが生じると、細胞のこちら側とあちら側で化学反応の速度が変わり、膜の硬さも一様ではなくなります。

イチゴ大福を上から押しつぶすと、イチゴだけでなくアンコ部分も偏りがでてきて、上も下も右も左も区別できない丸い状態から脱し、中身から上下左右が生まれるのと同じです。

論文では、この説を支持し得る2025年に発表された非常に興味深い実験結果も紹介しています(Rados et al. 2025, Science)。

この研究では古細菌の仲間(ハロアーキア)を、死なない程度に物理的にぎゅっと圧縮します。

すると細胞は分裂を停止しましたが、成長だけはやめませんでした。

その結果、DNAのコピーが内部にいくつも蓄えられ、1個の細胞がどんどんふくらんでいきました。

そしてある大きさに達した瞬間、細胞の膜が内側に向かって伸び始め、多角形のネットワークを形成したのです。

最終的に、中心部には背の高い細い細胞が、周辺部には平たい幅広の細胞が現れることが確認されました。

物理的な力だけで、1種類の単細胞から2種類の異なる細胞が出現し、組織的な多細胞構造に変化したわけです。

単細胞から多細胞への進化は、長年に渡る遺伝変異が積み重なった末の奇跡の大イベントと思われがちですが、押しつぶすという単純な物理的な力だけでも多細胞のような構造が立ち上がりうると示されたのです。

ただ物理で多細胞化が起こるとして、その後の多細胞生命たちの複雑な形にも「物理」の力で届くのでしょうか?

生命の形も遺伝だけでなく物理が効いていた

生命の形も遺伝だけでなく物理が効いていた
生命の形も遺伝だけでなく物理が効いていた / Credit:Canva

多細胞化がいったん始まったあと、細胞の集まりはどうやって複雑な体の形を作り上げていくのか。ここでも物理法則が大きな役割を果たしていると論文は指摘しています。

理由はシンプルです。細胞の集まりが大きくなると、酸素や栄養は表面からしか入ってこられません。集まりが大きくなるほど、中心部は酸素不足・栄養不足に陥る。このままでは内部の細胞は死んだり弱ったりしてしまいます。

生命は、この「中心に届かない」問題に対して、進化の中で3つの形の解決策を繰り返し編み出してきました。

1つめは空洞を作ること(キャビテーション)。初期胚の内部に空洞ができる現象は、魚や両生類、哺乳類など幅広い動物で見られます。哺乳類ではこの空洞が「胚盤胞」と呼ばれる形で現れます。

2つめは折り畳むこと。脳のシワ、小腸のひだ、神経管の形成はすべて折り畳みの産物です。しかも折り畳まれた場所では力のかかり方が変わり、その差が遺伝子のスイッチまで切り替えてしまうことがわかっています。

3つめは枝分かれ。肺の気管支、血管、神経の枝などがいい例で「少ない命令コストで複雑な形を生み出す」ことが可能です。

そしてこの空洞も、折り畳みも、枝分かれも、言ってみれば物理側の要求です。

研究者たちは、このような物理側の要求を満たすように遺伝子が答えることが体を形作る根底にあると考えています。

遺伝子だけで物理的な形が決まるのではなく、物理がレールを敷いて、それに合わせて遺伝子が応えていったという流れになります。

物理法則はそれ自体が「形の答え」になっているとも言えるでしょう。

そのおかげで遺伝子は、ヒトではおよそ37兆個とされる細胞の1つ1つに「ここに行け」と指示する必要がなくなります。物理が下書きを描いてくれるから、「能力の付与」に専念できたのです。

では物理法則が形の下書きを提供するなら、遺伝子は何をしているのか。

論文によれば、細胞の運命は「あらかじめ決まった結論」ではなく「リアルタイムの交渉」で決まるとしています。

細胞は遺伝子という指示書を持ってはいますが、最終的に何をするかは周囲との対話の中で決まるというわけです。

この交渉のしくみを検証するように、近年、幹細胞を使って人工的に胚のようなもの(胚モデル)を作る技術が急速に発展しています。

たとえばマウスのETX胚様体は、3種類の幹細胞を使って組み立てることで作られます。

この疑似的な胚は8.5日間にわたって発生を続け、これまで通常の胚でしか見られなかった発生過程の一部まで再現できることが示されました。

ところが、ここから見えてきたのは「正しい部品を揃えるだけでは生命は組み上がらない」という意外な事実でした。

プラモデルなら、部品が全部揃っていれば順番を間違えても完成にこぎつけられます。

しかし生命は比率、位置、タイミングのすべてが噛み合わないと、胚モデルとして命のまねごとを上手く始めてくれなかったのです。

物理の力で生命を設計する

物理の力で生命を設計する
物理の力で生命を設計する / Credit:Canva

今回の研究により、物理法則を手がかりに生命の形を設計するという道筋が見えてきました。

論文が最終的に描くのは、自己組織化の法則を「臓器を作るためのレシピ」に変えるというビジョンです。

体の中で空洞・折り畳み・枝分かれが物理法則どおりに起きるなら、その物理を試験管の中で意図的に再現してやれば、組織や臓器のモデルを、より狙い通りに組み上げられるかもしれない。すでにそのための道具立ては着々と揃いつつあります。

たとえば細胞を置く場所の形を決める「型」(マイクロパターニング)、周囲の硬さを自由に変えられるゼリー状の足場(ハイドロゲル)、栄養や酸素を細い管で送りつつ細胞同士の会話を再現できる小さなチップ(臓器チップ)、そして異なる種類の幹細胞を3次元的に並べていく細胞用プリンター(3Dバイオプリンティング)などを「物理の条件を細かく指定できる装置」として使用する方法が考えられています。

2025年の古細菌の仲間を押しつぶす実験が単純な「物理」だとしたら、これらは細かく制御を行う複雑な「物理」と言えます。

なかでも注目されているのが、妊娠の最初の場面を再現する研究です。これまで子宮は、受精卵が偶然たどり着くのを待つ「受け身の器」のように考えられがちでした。

しかし最近の研究では、子宮の側も胚に向かって積極的に信号を送り、迎え入れる準備を整える「能動的なパートナー」だとわかってきました。

胚と子宮の「対話」のどこがうまくいっていないのかを「物理」という視点で解き明かすことができれば、将来的には、不妊治療でなかなか着床に至らない原因を、これまでより一段細かいレベルで調べられる可能性があります。

物理法則は「どんな形が可能か」という下書きを用意し、遺伝子は細胞に「何になれるか」という能力を与え、そして細胞どうしの絶え間ない交渉が、その経路をリアルタイムで微調整していきます。

空洞、折り畳み、枝分かれ、接着、張力、拡散――一見ばらばらでシンプルなルールが幾重にも層を成し、そこから37兆個の精巧な建築が立ち上がっているのです。

物理法則という揺るがぬ制約があるおかげで、遺伝子はすべてを書き下す必要から解放されました。

そして書ききれないものが物理に肩代わりされているからこそ、生命は少ない情報量で複雑な形を実現でき、多少のブレにも動じない頑健さを保てているのです。

これは、17文字という厳しい制約があるからこそ俳句が無限の表現を生み出すのと、よく似ています。

決められた枠があるからこそ、かえって豊かなものが立ち上がる。

生命もまた、物理という枠を味方につけることで、わずかな指示から驚くほど複雑な体を組み上げているのです。

参考文献

Caltech Researchers Propose a New Origin Story for Multicellular Life
https://www.caltech.edu/about/news/caltech-researchers-propose-a-new-origin-story-for-multicellular-life

元論文

Decoding the origins of cellular self-organization for engineered biology
https://doi.org/10.1038/s41587-026-03161-w

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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