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30年前、湿った夏のはずなのに乾いた風が吹いた歌 罪を背負っているのは太陽そのものだった

  • 2026.7.8
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1991年12月、ベイFMの新スタジオ「スタジオ マリブ」開設記念番組のパーソナリティーを務めた桑田佳祐(C)SANKEI

うなじに汗がつたい、シャツの背中が肌に貼りつく。サンダルの足音がアスファルトに跳ね返る。そういう夏の体温のなかで、ふと口ずさんでしまう一曲がある。明るく弾むメロディなのに、誰よりも夏を知っているサザンが歌うと、なぜか少しだけ涼しい風が吹き抜けていく。

サザンオールスターズ『太陽は罪な奴』(作詞・作曲:桑田佳祐/英語補作詞:TOMMY SNYDER)ーー1996年6月25日発売

サザンの38作目のシングル。デビューからちょうど18年目の、その記念日にぶつけられた一枚だ。耳を澄ますと、湿った夏のはずなのにどこか乾いた風が吹いている。この曲だけが持っている奇妙なひんやり感。そのひんやりが、夏のいちばん暑い時間にちょうどよく身体になじむ。

沈黙を破る一手は原点回帰

この曲が並ぶオリジナルアルバム『Young Love』は、アルバムとしては約4年ぶりの新作だった。バンドにとって、長いインターバルの後の一手は、そのまま「これからどう鳴らすか」の意思表明になる。サザンはここで、自分たちの手で自分たちの音を鳴らし直すという選択をした。原点回帰、という言葉がいちばんしっくりくる構えだ。

『太陽は罪な奴』は、その流れのなかから生まれた先行シングルの一曲である。家族のように長くいっしょに鳴らしてきたメンバーが、定位置に立って、自分の息で楽器を構える。誰かに大きな絵を描いてもらうのではなく、自分たちの呼吸でアルバム全体の景色を組み立てる。その手触りがそのまま音に出ている。

バンドが自分たちの家に戻ってきた夏。そう呼びたくなる落ち着きが、この曲の底にはじっと座っている。手応えのある一枚を作りに行く意気込みよりも、肩の力が抜けた構えで「サザンの夏ってこういうものでしょう」と自分たちで提示しなおす身振りに見える。その自家製の手つきが、この曲の軽やかさの土台になっている。

古いソウルの歩幅に光を差し込ませて

聴こえてくるのは、軽やかで跳ねるリズムだ。ベースは小さな歩幅で前に進み、ギターのカッティングが空を切る。これは1960年代のモータウンのビートを下敷きに組まれた骨格である。古いソウルの引き出しから持ち出した歩き方が、サザンの音の手ざわりを通って日本の夏の浜辺に着地している。

旋律の上を、中西俊博を中心とした弦が艶やかに撫でていく。ストリングスは前に出すぎず、引っ込みすぎず、ちょうどビートの隙間に入って光のように差し込んでくる。アタックの強いブラスとは別の手触りで、聴き手の肌の温度をひとつ下げてくる。古いソウルの粒立ちと、湿気の少ない弦のラインの組み合わせが、この曲の体温を決めている。

そこに桑田佳祐のヴォーカルが乗ると、古いビートの匂いはぐっと薄まり、海の風が吹いている浜辺の景色に切り替わる。借りてきた骨格ではなく、サザンの体に最初から組み込まれていた骨格のように響く。聴き慣れた跳ね方なのに新鮮、という不思議な手触りが、ここから生まれている。

罪を背負っているのは人ではなく太陽そのもの

これはとても明るい曲だ。けれど、夏の浮かれ方を歌っているわけではない。歌の中に立っている人物は、誰かに本気で恋をしているというよりも、夏の太陽そのものに少し焦らされている。

海岸線の白さ、アスファルトの照り返し、午後三時の影の濃さ。そういう景色のほうが、相手の顔よりはっきり立ち上がってくる。タイトルの「罪」とは、誰かに対する罪ではなく、人を浮かれさせ、ぼんやりさせ、判断を狂わせる太陽そのものの罪のことだ。

桑田佳祐の歌詞は、海と女性をひとつの景色に並べて書く名手のものだが、この曲ではその景色がやけに乾いている。湿った南国の歌ではなく、強い光に焼かれて感情の輪郭まで白く飛んでいくような夏。だからメロディが明るくても、聴き手の側はどこかで一歩引いた目線でその夏を眺めることになる。その距離感が「夏うたの定番」では片づかない奥行きを生んでいる。

日常を斜めにずらす涼しい顔の役回り

クーラーの効いた部屋で聴いてもこの曲はいいのだが、たぶん本当に効くのは、午後の街角で歩いている最中だ。日差しに目を細めながら、サビの跳ねるところで自然に歩幅が広くなる。次の交差点までの数十メートルが、いつもより短く感じる。気がつくと、信号待ちで足先がリズムを取りはじめている。

サザンの夏うたは数あれど、この曲の心地よさは、聴いたあとに身体が少しだけ前に出るところにある。海に向かう特別な一日のための歌ではなく、いつもの通勤路の途中で、空を見上げる動作だけがふいに増える。そういう、日常をちょっと斜めにずらす罪な役回りを、この曲は涼しい顔で果たしている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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