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押井守が熱弁する、デ・パルマのヘンタイ濃縮100%『殺しのドレス』のフェティッシュさ「“のぞき監督”と言ってもいい」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回後編】

  • 2026.5.3

独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第8回前編では、ブライアン・デ・パルマ監督の『殺しのドレス』(80)で裏切られたというダブル(=代役)と“ボカシ”について熱弁していた押井監督だったが、後編ではこの“ボカシ”についてさらに分析していく。

【写真を見る】黒い下着姿にダブルなしの悩殺ボディ!精神科医を誘惑する、娼婦役のナンシー・アレン

「日本には“ボカシジャンル”というのがあると言ってもいいんじゃないの?」

――本作の裏切りポイントは、冒頭のアンジー・ディキンソンのシャワーシーンが、なんとダブルだった!という点です。一見、レベルが低い裏切りだと思ってしまいますが、押井さん的には映画ではよくある行為。取り上げるべき事案だということです。

「そうです。ダブルを使うというのは映画の世界だけにある特有のシステムと言ってもいい。とりわけ女優さんのヌードに関していえば、度々ある裏切りです」

押井監督が裏切られたと熱弁する、ディキンソンのシャワーシーン [c]EVERETT/AFLO
押井監督が裏切られたと熱弁する、ディキンソンのシャワーシーン [c]EVERETT/AFLO

――『プリティ・ウーマン』(90)のジュリア・ロバーツの肌見せシーンの一部は代役だと当時、話題になってましたね。

「そういう例は枚挙に暇がないけれど、日本人的にはそこにもう一つの“裏切り”が加えられる。“ヘア問題”ですよ。局部をぼかすことで、その映画の解釈がまるで違うものになってしまうという。例で挙げたいのが『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)。後半、アップになる少女の局部をボカシたことで映画の意図が伝わらなくなったじゃないの」

――あれはひどかったですね。私はボカシたバージョンだったので単なる女の子だと思い込んでいたら、実はそのボカシた箇所には、かつてその子が男の子だったことを表す名残がある――というものでした。

「意図的に(映画を)作り替えたと言ってもいいくらいだよ。同じスウェーデンの映画で驚くほど変わったトロールの話があったんだけど…あれも核心的部分に“ボカシ”が入っていて作者の意図が伝わりにくくなっている。なんって映画だっけ?」

――それは『ぼくのエリ』と同じ原作者(ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト)の短編を映画化した『ボーダー 二つの世界』(18)ですね。人間の世界に溶け込んで暮らしている2人のトロールのセックスシーンがぼけぼけだった。

「そう、だから“ボカシ”は本当に大問題。日本には“ボカシジャンル”というのがあると言ってもいいんじゃないの?いつかそれについて話したいですよ、私は!」

――ニール・ジョーダンの『クライング・ゲーム』(92)、憶えてます?主人公の男性が自分を好いてくれる女性と結ばれようとするシーン、なんとその女性の局部にはペニスがあって、実は男性だったことがわかる。主人公は吐くほど驚くんですが、この局部は当然、日本だとぼかされていた。だから、試写で観た何人かは「吐くほどひどい奇形だったんですか?」という反応。まるで映画の意図が伝わってないじゃないですか。困った配給会社はペニスがあることがわかるようにうっすらボカシたんですが、それでもわからない人がいたと聞いています。

「だから、やっぱり大問題なの!監督や製作者の意図と異なる解釈をされてしまう危険性が高くなっちゃうじゃない」

『クライング・ゲーム』での演技でアカデミー賞助演男優賞にノミネートもされたジェイ・デヴィッドソン [c]EVERETT/AFLO
『クライング・ゲーム』での演技でアカデミー賞助演男優賞にノミネートもされたジェイ・デヴィッドソン [c]EVERETT/AFLO

――最近は、セックスシーンはぼかすけれど、そうじゃない裸だけのシーンはぼかさなくてもOKになったんじゃないですか?

「でも、“ボカシ”というシステムは相変わらず残っている。だから、ボカシに関しては語る必要があるんですよ」

「女装もヘンタイも含めてデ・パルマの本質が全部入っている」

――なるほど!で、押井さん、デ・パルマに話を戻すと、彼の映画でもっとも好きなのも『殺しのドレス』なんですか?

「断トツです。デ・パルマは視線の映画なの」

エレベーター内での、鏡を利用した視線のやり取りは必見 [c]EVERETT/AFLO
エレベーター内での、鏡を利用した視線のやり取りは必見 [c]EVERETT/AFLO

――「のぞき」が好きだからですね。

「そうです。“のぞき監督”と言ってもいい。そういう意味でも『殺しのドレス』は完成度が一番高く、大きな破綻もない。ディキンソンの息子の発明小僧が一生懸命つくっているのものぞき装置だし、ディキンソンがエレベーター内で殺されるシーンで、目撃者のナンシー・アレンが一瞬だけ鏡に映った犯人を見る。あれも一種の“のぞき”ですよ。徹底しているという点で私のポイントが高くなる。濃縮度が高く、濃縮100%のデ・パルマ映画。女装もヘンタイも含めてデ・パルマの本質が全部入っている。まさに好きなもので埋め尽くしているから、デ・パルマの本質そのものと言ってもいいと思う。彼のフェティッシュの塊みたいな映画ですよ。そういうなかで唯一、観客に対する裏切りがあったのが、ディキンソンのヌードのダブルだったということです」

ディキンソンに対するアレンは、ダブルなしでのヌードを披露 [c]EVERETT/AFLO
ディキンソンに対するアレンは、ダブルなしでのヌードを披露 [c]EVERETT/AFLO

――じゃあ押井さん、デ・パルマでもっともダメなのは?

「デ・パルマでもっともつまらなかったのは『アンタッチャブル』(87)だよ。(セルゲイ・)エイゼンシュタインの真似までやってるうえに、エリオット・ネス(ケビン・コスナー)が振り回しているガバ(コルト・ガバメント)はコピーだよ。スペイン製のスターというガバのコピー銃。なにが言いたいかというと、銃にいたるまでコピーだということです。珍なる作品です、私に言わせれば。

『殺しのドレス』はデ・パルマらしいヘンタイ映画だけど、筋は通ってる。女性に誘われると、自分のなかのもうひとりの女殺人鬼が目覚める二重人格の男の話としてちゃんと辻褄は合ってる。だからフェティッシュの塊だけど、ただのフェティッシュで終わってないの。そこがこの映画のバランスのいいところ。ほかの映画はヘンタイばかりだから。ヘンタイ映画には2通りある。フェティッシュだけどちゃんと理屈がついてる場合とフェティッシュだけの2つ」

次回で連載最終回!取り上げる作品とは…?
次回で連載最終回!取り上げる作品とは…?

――押井さん、“裏切り”と言えばデイヴィッド・リンチはどうなんです?『ロスト・ハイウェイ』(97)なんて、死刑を宣告され独房に入れられていた男がある日、別人になっていたり、常識を超えた裏切りがあると思いますが。次で最終回のこの連載、最後の1本でリンチはありなんじゃないですか?

「先日、観直した『ツイン・ピークス The Return』も、ローラ・パーマーが別人になっていた(笑)。とはいえ、私に言わせれば、リンチの映画には裏切りはないんです。なぜなら、ちゃんとロジックを貫徹しているから。それは夢の因果律のようなものなので、誰も理解できないだけ。彼にとっては確実にロジックはある。つまり、ヘンタイはヘンタイなりに筋が通っているように夢もそうなんです。夢には夢の脈絡があり、ちゃんと因果律が存在している。ただし、それはあまり認められてないし、そもそも誰も理解できない。だからこそリンチは最強の監督なんです。彼はホンモノの狂人。狂人は自分のなかにちゃんとロジックをもっているから最強ということです。

なので、この連載の最後を飾るのは、その映画のなかに裏切り行為があるというより、監督として、世間を裏切りたいという想いが伝わって来る映画にしますよ。この監督、映画ファンの間で人気高いんじゃないかな」

――誰の作品でしょう? 気になりますがラスト、よろしくお願いします!

取材・文/渡辺麻紀

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