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「NHKドラマを代表する秀作」5年前話題になった“稀有”なヒューマンドラマ、 “静かな説得力”で物語を支えた俳優の佇まい

  • 2026.5.25

2021年のNHKドラマ10『半径5メートル』は、日常に散らばる身近な“ひっかかり”から社会の輪郭を浮かび上がらせた、稀有なヒューマンドラマだった。2026年現在、永作博美が火曜ドラマ『時すでにおスシ!?』でも変わらぬ存在感を放っているのを見ると、あらためて本作の宝子という役の強度を思い出す。けれど今回あえて中心に据えたいのは、北村有起哉が演じた編集者・海老原香織。作品の空気を静かに支え、2折班を“居場所”にした人。その佇まいにこそ、このドラマの優しさが宿っていた。

※以下本文には放送内容が含まれます。

小さな違和感が“逃げ道のない現実”を連れてくる

『半径5メートル』が色褪せないのは、社会問題を上から目線で“掲げる”のではなく、“日常のなかで出会わせる”からだと思う。

芸能スクープを追う1折班で大失敗した若手編集者・前田風未香(芳根京子)が、生活情報や身近な関心事を扱う2折班に異動する。大きな声で正義を叫ぶ場所から、生活の手触りが濃い場所へ。そこでは、誰かの言い間違いや買い物の選択、家族の些細な衝突が、そのまま“生きづらさ”の正体を露出させてしまう。

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芳根京子(C)SANKEI

たとえば、“母親なのに”惣菜を買う罪悪感や、SNSでのバッシングが生む“見えない監視”、そして断捨離をめぐる家庭内の圧力。これらはどれも、ニュースにはなりにくいトピックだろう。でも、私たちの心を確実に削る。

『半径5メートル』は、その名の通り、身近に潜む違和感から逃げず、真っ向から立ち向かう。こういうドラマがあるから、SNS上で「NHKドラマを代表する秀作の1つ」「なにもかも最高」と話題になったのも納得だ。生活に密着した“本質”で勝負しているのが伝わってくる。

取材する側の人間もまた、“半径5メートル”の問題に巻き込まれている点もにくい。記者・編集者は社会を切り取る仕事であると同時に、社会の歪みのなかで生きる一人の生活者でもある。その矛盾を抱えたまま、それでも記事を書いていく。ここに、本作の息の長い説得力がある。

多様性を記号にしない演技

そんな群像において、北村有起哉演じる海老原香織は、不思議な存在感を放っている。知的でエレガントな編集者。トランスジェンダー女性としての設定を持つ人物だが、本作はそれをいたずらに消費しない。
香織は、まず職場にいる。仕事をする。人と会話をし、ときに苛立ち、ときに笑う。つまり、当たり前にそこにいる人として成立している。

この当たり前を成立させるのが、どれほど難しいか。多様性を描くドラマは、ともすれば“理解のための事前解説”になりやすい。キャラクターが、視聴者に説明する役割を背負わされるのだ。
しかし香織は、説明しない。北村有起哉の芝居は、無理に女性らしさを誇張しないし、逆に“強さ”を記号化もしない。名刺の渡し方、メモを取る間、相手を見る目線の高さ。日常の粒度でその人らしさが積み上がっていく。

それぞれの居場所が生む余韻

もちろん『半径5メートル』の推進力は、亀山宝子(永作博美)と風未香の凸凹バディにある。宝子は答えを教えない。代わりに一緒に迷い、考えさせる。だから視聴者も、どこか“取材班の一員”として物語を歩ける。
永作博美がいま火曜ドラマでも活躍し続けているのを見ると、宝子の掴みどころのなさと、芯の強さを同時に成立させる凄みをあらためて思う。

ただ、宝子が“照らす”役だとしたら、香織は“支える”役だ。照らす光が強いほど、影も濃くなる。その影を受け止める土台が必要になる。誰かの正義が暴走しそうなとき、誰かの弱さが崩れそうなとき、香織がいることで2折班は“転べる場所”になる。転んでもいい、でも起き上がろう、その空気が押しつけがましくない形で漂う。

『半径5メートル』が残したのは、社会を変える大きな答えではない。自分の半径5メートルを、少し丁寧に見る視線だ。目の前の誰かを、決めつけずに観察する姿勢だ。
北村有起哉の海老原香織は、その姿勢をもっとも静かに体現していた。社会の話を、生活の話として引き受ける。その地味で強い仕事が、このドラマを“秀作”と呼ばせる理由なのだと思う。


出典:ドラマ10『半径5メートル』NHKアーカイブスより

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X:@yuu_uu_

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