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生誕100年・森英恵の軌跡。日本人初のパリ・オートクチュールデザイナーが女性たちに遺したメッセージ

  • 2026.4.13

「アジア人初のオートクチュールデザイナー」として、日本のファッションをけん引した森英恵さん。その功績を、長年ファッション史研究者として取材し、伴走してきた深井晃子さんが語ります。

本誌 No.25 掲載。 KAYOKO ASAI

<Profile>
森英恵(もりはなえ)/ファッションデザイナー

1926年、島根県生まれ。’47年、東京女子大学卒業。翌年、森 賢氏と結婚。’51年、新宿に「ひよしや」をオープン。’50年~ ’60年代前半にかけて数多くの日本映画の衣装デザインを担当。’65年、ニューヨークで初の海外コレクションを発表。 ’77年からパリ・オートクチュール組合、唯一の東洋人として活動を展開。 2004年、パリ・オートクチュールを引退。 1996年に文化勲章、 2002年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章。

服飾史研究家の深井晃子さんが見た、森英恵というスタイル「蝶は飛ぶ」

日本ファッションを世界に知らしめ、パリ・オートクチュールの堅い門扉を東洋人で初めて押し開き、ファッションデザイナーとして初めて文化勲章を授与された……。まさに戦後日本の、女性パイオニアだった森英恵。私にとって、日本女性が前へ進もうとするときにともった、確かな明かりのようだった。

1976年、インタビューを受ける森さん。 the asahi shimbun/getty images

島根県の良家に生まれ、東京女子大学を卒業した森は、洋裁を学び、戦後間もない1951年新宿に洋服店「ひよしや」を開いた。それには、二つの理由があったはずだ。一つは、戦後女性の生き方は変わる、変わらなくてはならないと実感した彼女が、女性の自立を目指したこと。そしてもう一つは、日本女性が洋服を着る流れはもう止められず、服づくりはこれから大きく飛躍すると確信したこと。

ファッションデザイナー、ピエール・カルダンを魅了し、1960年にパリコレデビューを果たしたモデルの松本弘子さん(写真右)と森さん(写真左)。ニ人は仕事仲間であり親友。 ’63 年撮影。 the asahi shimbun/getty images

国内だけではなく世界にも目を向けていた。日本が目覚ましい経済復興を見せた1965年、ニューヨークで開催したショーで、日本の衣文化の高度な洗練とそれを育んできた伝統の技が結晶した日本の絹を使い、きもののような柄を生かしたイブニングドレスを発表した。東洋と西洋が混じり合う、どこか異国的な薫りを漂わせた優雅なドレスは、アメリカ富裕層の女性の心をしっかりとつかんだ。米国での成功は、1977年に日本人として初めて、権威あるパリ・オートクチュール組合への加入につながっていく。

1988年、「美空ひばり不死鳥コンサート」の衣装を担当。美空さんがステージで「衣装のデザインは森英恵さんです」と紹介する場面も。この年、紫綬褒章を受章。 the asahi shimbun/getty images

サロンで高級仕立て服の注文に応じる一方、森は、国内で急成長していた既製服でも大きな成功を収める。60年代~70年代の、絹のような肌触りを持つ化学繊維の布を使った彼女の花柄や浮世絵風のカラフルなプリント・ワンピースは、日本中の女性たちの熱い支持を得た。それまでは仕立て服を着ていた私の母も、「Hiyoshiya(ひよしや)」や「Vivid(ヴィヴィド)」といった森英恵の既製服を愛用するようになった一人だった。石原裕次郎、美空ひばり等の映画や舞台、オペラの衣装デザイン、オリンピックから学校まで多くの制服デザインを手掛けた彼女の名は、誰もが知る身近な存在でもあった。

1992年のバルセロナ夏季オリンピック大会では、森さんが日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。 David Madison/Getty Images

生前、森は自分の服を着てほしい女性は?と言う問いに、“ヴァイタル・タイプ”という言葉を使った。それは、当時一般的だった体形や年齢、そして流行で着る人をくくるのではなく、その人の立ち居振る舞い、動き方、話し方や呼吸、醸し出す雰囲気、つまりバイタリティを尊重する生き方を指す概念だった。そして森は、内に秘められたその力を活性化させるための装置として、服をデザインした。

森が活動を始めた頃、日本社会が描く女性像は清楚、かれん、若さ、といった固い枠に押し込められていた。彼女は日本の女性がただ従順でしとやかなだけではなく、主体的で、仕事を持ち、堂々と世界の中心に立つことを夢み、さらりと自ら現実にしていった。それは欧米の模倣ではなく、日本の女性が普遍的な洗練の担い手として認められることだった。

1989年、モナコで開催されたハナエモリのショーを訪れたカロリーヌ公女。母のグレース公妃も顧客。 patrick siccol/getty images

生誕100年となる機会に、改めて彼女の服を見た。そこに感じられる日本文化が持つ優雅さ、上品さ。彼女自身の知性と教養、品格からにじみ出すものに違いない。彼女は、そうした自身のアイデンティティをしっかり把握した上で、新たな〈洋服〉を作ったのだ。

森のトレードマークともいえる蝶の柄は、和の文様、自然観、あるいは変容・再生の象徴だといわれる。私はそれだけではなく、あの優雅で華麗な、そして弱々しくてすぐに傷つきそうな蝶が、何千キロもの空を飛ぶ強靭な生命力を持つものもいることを思い出す。森英恵の蝶は、女性が美しさだけを武器にするのではなく、美しさと共に考え、行動し、日本女性が自分自身の価値を信じて、世界と渡り合える存在になることを、体現するものだった。そして、デザイナーとしての彼女が、日本のファッションや女性に託した夢の化身だった。

2004年7月、最後のオートクチュールコレクションには、孫の森泉も参加。27年間にわたるパリでの活動は、スタンディングオベーションで終幕。 pool bassignac/benainous/getty images

森は服を通して、私たちに「あなたらしく生きていますか?」と問い掛けている。その静かな、だが力強い問いは、次の世代へしっかりと受け渡されていく。

初出:リシェスNo.55 2026年3月27日発売

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