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人類初の「宇宙遊泳」に成功した男、裏で起きていた「絶体絶命の危機」とは?

  • 2026.3.29
Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部

1965年3月18日、ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフは、人類で初めて宇宙船の外へ出て「宇宙遊泳」を行った人物として歴史に名を刻みました。

現在、宇宙遊泳は国際宇宙ステーションの運用や修理でも欠かせない作業ですが、その最初の一歩は、華々しい偉業であると同時に、ほとんど事故寸前の綱渡りでもありました。

宇宙船の外へ出て地球を見下ろす姿は、いかにも未来的で優雅に見えます。

しかし実際のレオーノフが味わっていたのは、静かな感動だけではありませんでした。

宇宙服が膨張して宇宙船に戻れなくなり、酸素を自分で抜いて減圧症の危険に身をさらし、ようやく帰還した後も、宇宙船は次々とトラブルに襲われたのです。

今回は、人類初の「宇宙散歩」の裏側で、レオーノフがどれほど深刻な危機をくぐり抜けていたのかを見ていきます。

目次

  • 人類初の宇宙遊泳は「危険な挑戦」だった
  • 本当の危機は「成功の直後」から始まった

人類初の宇宙遊泳は「危険な挑戦」だった

今でこそ、宇宙開発の歴史はアメリカの月面着陸と結びつけて語られがちですが、それ以前の「初もの競争」ではソ連が大きく先行していました。

最初の人工衛星、最初の有人宇宙飛行、女性として人類初の宇宙飛行(ワレンチナ・テレシコワ)など、宇宙開発史の看板になる出来事を次々と打ち立てていたのです。

その中で、一つの大きな目標になったのが、「人間が宇宙船の外に出る」という前代未聞の挑戦でした。

この任務を担ったのが、1934年生まれのソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフです。

彼は後に画家としても活動し、宇宙から見た景色を作品に残したことでも知られていますが、まず歴史に刻まれたのは、ボスホート2号での宇宙遊泳でした。

アレクセイ・レオーノフ/ Credit: ja.wikipedia

この計画は、純粋に科学技術の成熟の上に築かれたというより、「アメリカより先にやる」という冷戦下の競争意識に強く押し出されたものでもありました。

使用された宇宙船ボスホート3KDは、エアロックを備えた特殊な機体でしたが、安全性は十分とはいえず、きわめて危険な設計だったと後に語られています。

言い換えれば、人類初の宇宙遊泳は、万全の安全網の中で行われた栄光の一歩ではなく、かなり無理を押して実現された挑戦だったのです。

1965年3月18日、レオーノフは人類初の宇宙遊泳に挑戦。

船内からエアロックに入り、減圧ののち、扉の先に広がる真空へと身を乗り出します。

地球から約500キロ上空、時速3万キロで地球を周回しながら、彼はケーブル1本で宇宙船とつながれた状態で外へ出ました。

その光景は、本人の回想によれば、恐怖だけでなく圧倒的な美しさにも満ちていました。

青い地球が眼下に広がり、自分はほとんど静止しているように感じられたといいます。

人類が初めて「宇宙を歩いた」瞬間は、まるで地球の外側に生まれた新しい窓から世界を見つめるような出来事だったのでしょう。

レオーノフが宇宙遊泳に成功した時の実際の写真/ Credit: en.wikipedia

しかし、この感動的な場面の裏では、当時のソ連側も強い不安を抱えていました。

最大の懸念は機械ではなく、人間の心理でした。

宇宙船の中なら壁があり、守られ、地上ともつながっています。

ところが一歩外へ出れば、そこは何もない真空です。

人がその状況でどのようにふるまうか、当時は誰にもわかっていませんでした。

つまりレオーノフは、技術面でも心理面でも、ほとんど未知の領域へ一人で踏み込んでいたのです。

本当の危機は「成功の直後」から始まった

約10分間の船外活動を終えたレオーノフは、宇宙船へ戻ろうとします。

ところがここで深刻な異変が起きました。

真空環境の影響で宇宙服が膨張し、想定よりも大きく硬くなってしまったのです。

その結果、手は手袋の奥で抜けるような状態になり、足もブーツの中でずれてしまい、当初の手順どおり足から先にエアロックへ戻ることができなくなりました。

ただでさえ狭いエアロックなのに、膨らんだ宇宙服のせいで体が入らないのです。

宇宙空間で「玄関につかえたまま家に入れない」というと少し奇妙に聞こえますが、状況の深刻さはまさにそれでした。

レオーノフは、とっさに頭からエアロックへ入る方法に切り替えます。

しかし、それでも宇宙服が膨張しすぎていて通れません。残された手段は一つだけでした。

宇宙服内の酸素を自分で少しずつ抜き、服の内圧を下げることです。

これは非常に危険な賭けでした。

酸素を抜きすぎれば酸欠や減圧症を招きます。

実際、彼はしびれなど、減圧症の初期症状を感じ始めたとされています。

それでも生命維持装置の残り時間を考えれば、何もしなければそのまま死ぬだけです。

レオーノフは酸素を徐々に放出し、宇宙服を少しでも細くしようとしました。

しかも彼は猛烈な暑さにも襲われていました。

宇宙は冷たい空間という印象がありますが、直射日光を浴びながら激しく体を動かすと、熱は簡単には逃げません。

レオーノフは汗でヘルメット内の視界が悪くなるほど体温が上がり、この任務だけで体重が6キロ減ったと後に語っています。

極寒の真空で凍えるどころか、宇宙服の中で熱中症寸前になっていたのです。

それでも彼はついにエアロックへ入り、宇宙船に戻ることに成功しました。

レオーノフが描いた絵/ Credit: en.wikipedia

ところが安心する暇はありませんでした。

頭から入ったせいで、今度は狭い筒の中で体の向きを変え、ハッチを閉める必要があったからです。

大きく変形した宇宙服を着たままそんな動作を行うのは、ほとんど曲がらない着ぐるみ姿で押し入れの中に入り、そこで一回転しろと言われるようなものです。

それでもレオーノフは何とかやり遂げました。

ですが、ピンチはまだ終わりません。

帰還後には宇宙船が回転し始め、船内の酸素濃度が危険なほど上昇したとされます。

少しの火花でも大事故につながりかねない状況です。

さらに、地球への帰還段階では自動再突入システムが故障し、手動操作に切り替えざるを得なくなりました。

その結果、宇宙船は予定地点から外れ、深い雪に覆われた森林地帯へ不時着します。

そこはロシアのタイガ地帯でした。

救助はすぐには来られず、レオーノフと指揮官パーヴェル・ベリャーエフは、厳しい寒さの中で一夜を過ごすことになります。

宇宙という非日常の極限を切り抜けた直後に、今度は雪と森のサバイバルが待っていたわけです。

このように、人類初の宇宙遊泳は、成功のファンファーレとともに終わったのではなく、最後まで神経をすり減らす試練の連続だったのです。

参考文献

Alexei Leonov And The Story Of How The First Ever Spacewalk Nearly Ended In Catastrophe
https://www.iflscience.com/alexei-leonov-and-the-story-of-how-the-first-ever-spacewalk-nearly-ended-in-catastrophe-82938

Cosmonauts Breathed A Sigh Of Relief After The First Ever Spacewalk – But The Worst Was Yet To Come
https://www.iflscience.com/cosmonauts-breathed-a-sigh-of-relief-after-the-first-ever-spacewalk-but-the-worst-was-yet-to-come-82939

ライター

千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。

編集者

ナゾロジー 編集部

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