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「義兄夫婦には中トロで私たちにはかっぱ巻き…」義実家で受けた差別に限界…「帰りまーす」直後、義母が慌てて連絡してきたワケ

  • 2026.3.26

義母からのメッセージが届くたびに、胃のあたりがじんわりと重くなる感覚がありました。
毎年恒例の帰省連絡。内容はわかっていても、スマートフォンを手に取る指が、少しだけ止まってしまう。あの感覚の正体を、私はその年の暮れに知ることになるのです……。

結婚して数年が経ちますが、私はずっと義母から「次男嫁」と呼ばれてきました。

名前ではなく、「次男嫁」。最初のうちは、田舎の慣習なのかもしれないと自分に言い聞かせていました。しかし、何年経ってもそれは変わりませんでした。

一度、「名前で呼んでいただけないでしょうか」と伝えたこともありましたが……返ってきた言葉は、「あなたが次男嫁なのは事実なんだし、別にいいでしょう」というものでした。

次男嫁の居場所のない義実家

義実家への帰省が億劫だった理由は、それだけではありません。

毎年帰省前には、義母から手土産の指定リストが送られてくるのです。東京で話題のお菓子、高級昆布セット、黒毛和牛2万円相当、有名店の和菓子詰め合わせ。年によっては、それだけで総額10万円近くになることもありました。

「親戚付き合いが大事」という言葉で片付けられるそれらを、私はずっと、「そういう風習なのだろう」「義理人情を重んじているのだろう」と飲み込んできました。

夫も夫で、私以上に長くそのような扱いを受けてきたようでした。受験のときは塾代も出してもらえず、東京で働きたいと言えば「次男は家に残って支える立場なのに、身の程知らず」と一蹴――一方の義兄は、引っ越し費用まで援助してもらっておいて、数年で地元に戻ってきたそうです。

そのことを語ってくれた夫の声はとても静かでしたが、苦々しさがこもっていました。

帰省しても、義実家で私たち夫婦はまるで小間使いのように、義母の命令にしたがうばかり。

義母は、近くに住む長男夫婦が帰ってくる日だけ別人のように明るくなりました。声のトーンが上がり、笑顔が増え、料理の品数も増え……生まれた順番だけで、この扱いの差。

次第に、義母の中では最初から、この序列が決まっていたのだと感じるようになりました。義母にとってメインは長男夫婦で、その長男夫婦を立てるための添え物として私たち夫婦がいたのです。

義兄夫婦には中トロ、私たちにはかっぱ巻き

そして、その年の年末の帰省当日――。

お寿司の受け取りも頼まれていた私たちは、言われた通りに寿司屋へ立ち寄り、義実家へと向かいました。

私たちが運んできた寿司を受け取ると、義母はテーブルに並べていきました。

「あなたたちはここに座ってね」

義母が指した席に並んでいたのは、かっぱ巻きとかんぴょう巻きが中心で、鉄火巻きがほんの少しだけ。あわててあたりを見回すと、義父母と長男夫婦の前には、ウニやイクラ、中トロまで入った高級寿司が並んでいました。

もう、何も考えられませんでした。ただ目の奥がじわっと熱くなって、でも涙はこぼれず、ただただ心と体が冷えていくのがわかりました。

今まで、自分に「気のせいだ」「考えすぎかも」と言い訳してきたのに、ここにきて、一気に答えが出た感覚だったのです。

私はゆっくりと義実家の面々を1人ひとり見ていきました。目を合わせてくれない義父、何事もなかったかのようにふるまう長男夫婦、にこやかに「さぁ、食べましょう」と言う義母。

私はこの状況に言葉を失っていた夫に目配せをして席を立ち、そのまま連れ立って義実家を出ました。

義実家を出てしばらくすると、義母から立て続けに着信とメッセージがありました。

「なんで出て行ったの!戻りなさい!」

「せっかくの家族団らんを台無しにしないでちょうだい」

私が電話に出ずに、メッセージに既読だけつけていると、とうとうこんなメッセージが。

「かっぱ巻きだけでも用意してもらえるんだから、ありがたいと思いなさいよ」

「あんたたちに中トロなんてまだ早いんだから。かっぱ巻きで十分よ!」

そのとき、私は「ああ、この人たちに何を言っても伝わらないんだ」と実感したのです。

私の隣には、憔悴した顔の夫。ここで何もかも終わらせてしまったほうが、私たちのためになるのかもしれない……そう思った私は、義母に一言だけ返信しました。

帰る先は義実家以外

「もう帰りますけど?」

すぐに

「え?」

とだけ返ってきました。

実は、これまでの経験から、私たちは最初から義実家に泊まるつもりはありませんでした。顔だけ出して帰ろうと夫と決めていたのです。そのため、近くにホテルも取ってありました。せっかくの帰省でつらい思いをしたくないのは、私も夫も一緒でした。

ただ、私たちはそのままホテルには帰らず、とあるところに立ち寄ることに。そこは、先ほど注文の寿司を受け取りに立ち寄った、義実家なじみのお寿司屋さんでした。

受け取りに行ったときに、大将が注文内容の確認をしながら、「何人で集まるんですか?」と聞いてきたのです。「大人6人です」と答えると、大将は注文票を見ながら少し首をかしげました。


「6人分にしては、ずいぶん偏った内容ですね……。足りなければ、いつでも寄ってください」

そう言ってくれた大将は、日ごろから義母たちに思うところがあったのかもしれません。

私は大将の気遣いに甘えて、夫と2人でカウンター席に。その年の締めくくりに、夫と2人で大好きなお寿司をたらふく食べたのです。

お寿司を食べている間も、ホテルに帰ってからも、義母からのメッセージと着信は続いたので、私はスマホの電源をOFFに。そして結婚して初めて、夫と2人で穏やかな年越しを過ごすことができたのです。

それから数日後、義母がお寿司屋さんに器を返しに行ったあと、焦った様子で私に連絡してきました。


店で大将から、「申し訳ありませんが、今後はそちらのご注文をお受けするのは難しいです」とはっきり告げられたというのです。

義母が理由を尋ねても、大将は「大みそかのことを、なかったことにはできませんでした」とだけ静かに答えたそうです。

もともと世間体を気にする義母は、それで何かを察したのでしょう。あわてたように私に連絡してきました。

「この間はごめんね? ちょっと言いすぎちゃったわ」

「あなたたちもへそを曲げずに、これからも仲良くしましょうよ」

世間体を取り繕うためだけの、急に甘くなった声でした。私はその変わり身の早さにぞっとしました。返す言葉を探している私に代わって、義母に「もういいよ」と言って電話を切ったのは、夫でした。

そのまましばらく無言でいた夫でしたが、「……もう無理だ。限界だった」とぽつりとこぼしました。怒っているとも、泣いているともいえない表情で、夫はそれだけをつぶやいたのです。

私は何も言えないまま、夫に寄り添い続けました。受験のこと、就職のこと、結婚式のご祝儀も、義兄のときの半額だったこと――長年積み上がったものが、夫の中ではじけたのでしょう。

それ以来、私は義実家とは連絡を取っていません。なにかあるときは、必ず夫が窓口になってくれましたし、だんだんと疎遠になっていきました。

義実家と距離を置いて以来、年末に胃が重くなることがなくなりました。

ふと気づくのは、あのころの自分が「どうすれば波風が立たないか」ばかり考えていたということです。名前を呼ばれなくても、高額の手土産を要求されても、私たちの前にかっぱ巻きばかり並べられても。どこかで自分に言い訳をして飲み込んでいました。

しかし、我慢し続けることは、相手の行為を「許容できる範囲のこと」と伝え続けることでもあったんだと、今は思います。

今年の年末は、夫と2人で好きな店に行くつもりです。予約も手土産リストも、誰かの顔色も、何も関係なく。それがどれだけ当たり前で貴重なことか、今はよくわかっています。

◇ ◇ ◇

波風を立てないための我慢が、気づかないうちに相手の振る舞いをエスカレートさせてしまうこともありますよね。家族という近い関係だからこそ、どこまでを受け入れ、どこで線を引くのかは簡単ではないと考えさせられます。距離を置くという選択が、自分たちを守る一つの形になるのかもしれませんね。

【取材時期:2026年1月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

ベビーカレンダー編集部

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