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人は「個人は善」「集団は悪」「自分は最善」と判断しやすい

  • 2026.3.20
人は個人に寛大で集団に厳しい。自分には甘い。 / Credit:Canva,ナゾロジー編集

私たちは日々、他人や社会の行動を見て「それは正しい」「それは間違っている」と判断しています。

多くの人は社会の中で善悪を判断し、道徳的であるべきだと考えています。

では、その判断は本当に同じものさしで行われているのでしょうか。

ドイツのルール大学ボーフム(RUB)の研究チームは、人が「自分」「個人」「集団」をどのように道徳的に評価しているのかを調べました。

その結果、人は自分を最も善く、個人を善く、集団を最も厳しく見る傾向があることが示されました。

この研究は2026年2月付で『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載されました。

目次

  • 人の善悪の判断は、対象によって大きく変わる
  • なぜ「個人は善く、集団は悪く見える」のか?

人の善悪の判断は、対象によって大きく変わる

これまで心理学では、「自分は平均より良い人間だ」と考える傾向がよく知られてきました。

これは平均以上効果と呼ばれ、とくに道徳の分野で強く表れます。

多くの人は、自分のほうが他人より親切で、公平で、まじめだと感じやすいのです。

しかし、ここには大きな空白がありました。

従来の研究は、主に「自分と他人の比較」を扱ってきました。

ですがそれだけでは、「自分や他人を絶対的に見て、本当に善いと考えているのか」が分かりません。

たとえば、自分が他人より少し善いと思っていても、両方とも実は道徳的には低いと見なしている可能性もあるからです。

そこで研究チームは、「モラル閾値」という考え方を導入しました。

これは、「どの程度その行動をしていれば、道徳的に十分だと見なされるか」という基準です。

たとえば、「困っている人をどれくらい助ければ善い人と言えるか」「どの程度ポイ捨てをしなければ許されるか」といった、心の中の合格ラインのようなものです。

実験では、参加者に日常的な善い行動と悪い行動について考えてもらいました。

善い行動には、困っている人を助ける、リサイクルするなどが含まれ、悪い行動には、ゴミをポイ捨てする、誤って多く受け取ったおつりをそのままにする、といったものが含まれます。

参加者はまず、自分や他人がそうした行動をどれくらいの頻度で行うかを見積もりました。

次に、それぞれの行動について、「どのくらいの頻度なら道徳的に十分か」というモラル閾値も答えました。

この2つを比べることで、その対象が「道徳的に基準を満たしているかどうか」を調べられるわけです。

結果ははっきりしていました。

参加者は一貫して、自分自身の行動はモラル閾値を上回っていると見なしました。

つまり、自分は道徳的に十分どころか、かなり善い側にいると考えていたのです。

いっぽうで、ほかの参加者全体をひとつの集団として評価すると、その集団は閾値を下回ると判断されました。

つまり、「人々全体としては、道徳的に十分とされる基準に届いていない」と見なされたのです。

さらに興味深いことに、同じ集団の中からランダムに選ばれた一人を評価させると、その人は閾値を上回る「善い個人」と見なされやすくなりました。

しかも、その個人について詳しい情報が与えられていても、ほとんど何も情報がなくても、この傾向は見られました。

ここから見えてくるのは、非常に不思議な序列です。

人は「自分はかなり善い」「一人ひとりの個人もわりと善い」「でも集団になると道徳的に足りない」と考えやすいのです。

では、なぜこんなズレが生まれるのでしょうか。

より詳しい結果と、その背景にある心理については次項で見ていきます。

なぜ「個人は善く、集団は悪く見える」のか?

研究チームは次に、このズレがなぜ生じるのかを調べました。

まず考えられたのは、「個人のほうが判断しやすいから、高く評価されるのではないか」という可能性です。

つまり、個人については想像しやすく、集団についてはぼんやりしているため、評価に差が出たのではないかという考えです。

しかし、この説明は支持されませんでした。

研究では、参加者がそれぞれの評価にどれくらい自信を持っているかも調べられましたが、その確信度の違いだけでは、「個人は善く、集団は悪く見える」という結果は説明できなかったのです。

そこで注目されたのが、「その対象を悪く見ることが、どれほど嫌な気分になりそうか」という感情の予測でした。

すると、参加者は、特定の個人をシニカルに、つまり意地悪く悪く見るほうが、集団を悪く見るよりも不快だと感じやすいことが分かりました。

この点が、この研究の重要なところです。

人は、誰か一人を「この人は道徳的に足りない」と見るときのほうが、心理的な抵抗を覚えやすいのです。

逆に、集団全体について厳しい見方をすることには、それほど強い不快感を伴いません。

研究結果は、こうした「個人を悪く見ると嫌な気分になりそうだ」という予期が、個人をより好意的に評価する一因になっていることを示しました。

言い換えれば、人は一人の顔が見える相手には疑いの目を向けにくい一方で、「人々全体」や「社会」といった大きなまとまりには冷たくなりやすいのです。

そのため、「あの人はいい人だけれど、世の中全体はあまり善くない」といった感覚が生まれやすくなります。

もちろん、この研究にも限界はあります。

実験は異なる大陸にある2カ国で行われましたが、ほかの文化圏でも同じ傾向が見られるかは、今後さらに確かめる必要があります。

また、扱われたのは日常的な善悪の行動であり、もっと重大な道徳判断でも同じような傾向が表れるかどうかは、まだ分かっていません。

それでも本研究は、私たちの道徳判断が思った以上に複雑であることを教えてくれます。

人は単純に「他人に厳しい」のではありません。

むしろ、一人の個人には甘く、集団には厳しく、そして自分にはもっとも甘いのです。

善悪を見極めているつもりでも、そのものさしは、相手が「誰か一人」なのか「人々全体」なのかで、意外なほど揺れているのです。

参考文献

The psychological reason we judge groups much more harshly than individuals
https://www.psypost.org/the-psychological-reason-we-judge-groups-much-more-harshly-than-individuals/

元論文

Absolute moral perceptions of the self and others: People are bad, a person is good, I am great.
https://psycnet.apa.org/doi/10.1037/pspa0000479

ライター

矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。

編集者

ナゾロジー 編集部

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