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フィギュアスケート銀メダリスト坂本花織が凱旋帰国! アンバサダーを務めるオメガのブティックで五輪後の心境を告白

  • 2026.3.11
OMEGA

2026年3月7日、オメガのミラノ・コルティナ2026 スポーツ アンバサダーを務める坂本花織選手がトーク会場となったW大阪とオメガブティック心斎橋を訪れ、メディアや関係者が多数集まり、その活躍を讃えた。

トークショー会場では五輪にちなんだ展示も。 OMEGA

日本最大の売り場面積を誇るフラッグシップブティックで行われたトークショーとメディア取材、そしてELLE独占インタビューの模様を、ELLE Digitalでの好評連載「沼チュー」でおなじみ、“スケオタ”ライター横川良明さんがお届け。

メダルを見て泣く家族に、私もつられ泣きしました(笑)

ミラノ・コルティナ五輪の熱狂から2週間余り。記憶に残る名勝負を演じた坂本花織は、大阪にいた。スポーツアンバサダーを務めるオメガのトークイベントに、チームジャパンの公式ウェアをまとって登場。胸元には、2枚の銀メダルが輝いていた。

「家族にメダルを見せた瞬間、『よく頑張ったね』って泣いてくれて。それにつられて私も泣きました(笑)」

トークショーでは終始トレードマークの特大笑顔で。 OMEGA

21年の選手人生がつまったメダルに目をやり、照れくさそうにはにかむ。閉幕後も冷める気配のない五輪フィーバー。目の回る日々を送っていたかと思いきや、意外にもそうではなかったらしい。

「それが実は全然忙しくなくて(笑)。解団式があったのが(2月)25日。そこから神戸に帰ってきて、ずっとお世話になっている地元のリンクに挨拶に行って。夜寝て、次の日起きたのが朝の9時。で、10時半くらいにまた寝て、目が覚めたら夜の7時になってました。1日寝潰しましたね(笑)。個人戦がオリンピック終盤ということで、期間中はストレスがすごかったんですけど、帰ってきてからはもう荷が降りて、思い切りリフレッシュできた。つい3日前も、京都の友達と大阪に遊びにきたところなんです」

2月25日行われた五輪の解団式にて選手団を代表して団旗を返還する坂本選手。 Kyo Kikuchi

その左手に光るのは、スピードマスター ムーンウォッチ。クラシカルな黒の文字盤に、タフでクールな印象を与えるブレスレット。かのアポロ計画をはじめ、6度に及ぶ月面着陸プロジェクトで携行された伝説の逸品は、坂本自らが選んだものだ。

坂本選手が選んだ”スピードマスター ムーンウォッチ”は、世界で最もアイコニックなモデルのひとつ。1969年に、月面で着用された最初の腕時計として歴史に名を残す伝説のクロノグラフであり、オメガの冒険心あふれるパイオニアスピリットを受継いでいる。 OMEGA

「普段時計はレディースのものをつけることが多くて。でも、せっかくならメンズライクのものがいいなと思って、時計の詳しい人に『オメガやったらどれがいいかな?』という話をしたんです。そのときにおすすめされたのが、ムーンウォッチ。『これで宇宙行ってんだぜ』の一言で、じゃあこれにするかって決めました」

自分のやってきたことが、後輩たちの希望になれば

フィギュアスケートは、孤独な競技だ。約60m×30mの広いリンクを、ショートプログラムなら2分40秒、フリースケーティングなら4分間、一人で演技をしなければいけない。たとえ転んでも、助けてくれる人は誰もいない。明るいキャラクターで知られる坂本も、試合前は常に不安と戦い続けてきた。

ミラノ・コルティナ五輪にて。 Kenjiro Matsuo

「どれだけ練習をしてきても、試合前は毎回緊張します。そのときに力になってくれるのが先生。リンクインする直前に先生たちと過ごす時間は、自分にとってかけがえのない時間。あそこで先生に言葉をかけてもらうことで、頑張ろうと思えるんです」

初めての五輪は、2018年の平昌。シニアデビューイヤーながら、怒濤の大躍進で代表の座を射止めた。2度目の五輪は、2022年の北京。名実ともに日本のエースとして海外の強豪と競い、女子シングルとしては日本人3人目となる五輪メダリストに輝いた。

そこからの4年は、まさに坂本が女王として君臨した4年間だった。金メダル候補として迎えた3度目の五輪。一つのミスが勝負を分けるハイレベルな激戦はもちろんのこと、国や勝敗にかかわらず選手同士が称え合い、個人競技でありながらチームジャパンとして共に励まし合う姿が感動を呼んだ。

恒例となった、坂本選手撮影のセルフィ―タイム。選手の笑顔を引き出す天才! OMEGA

その中心にいたのが、ムードメーカーの坂本だ。なぜ坂本は、こんなにも明るくいられるのか。笑顔の裏側には、彼女が抱え続けてきた苦悩があった。

「自分には大技がない、というのがずっとコンプレックスで。どうやって点数をとっていったらいいのかわからなくなった時期というのがありました」

トリプルアクセルに4回転。高難度ジャンプこそがフィギュアスケートの華である、と見る声は一定数ある。坂本自身も4回転習得に向けて練習に取り組んだこともあった。

ミラノコルティナ五輪、フリープログラムにて。 Naoki Nishimura

だが、大技だけがフィギュアスケートではない。「フェラーリ」の異名をとる破格のスピード。離氷から着氷までまったく減速しない伸びやかなランディング。複雑なエレメンツを盛り込みながらも流れが途切れず、後半になるにつれてまるで螺旋階段を上っていくように熱が高まる力強いパフォーマンス。坂本は、坂本だけの武器を磨いて、世界の頂点に立った。

「自分の戦い方を見つけてからは自信が出てきて結果も残せるようになった。そのあたりから徐々に周りのことも考えられるようになりました。自分のやってきたことが、少しでも後輩たちの希望になったらいいなって。戦い方は、人それぞれ。こういう戦い方もあるんだというものを示せたらという気持ちで、この4年間は頑張ってきました」

個人銀、団体銀の2つのメダルを持ち帰って凱旋!2大会連続メダル獲得は、五輪の日本女子フィギュア代表としては初のこと。 OMEGA

その結果が、前回の銅から一つ上の銀。2大会連続のメダル獲得だけでも偉業だが、4年かけて色を上げた例は、女子ではリレハンメル五輪(1994年)のナンシー・ケリガンまで遡らなければならない。高難度化の代償として選手の低年齢化や競技生活の短命化が問題視されていた女子フィギュアにおいて、坂本はフィギュアスケートを、若さや体重の軽さを競うのではない、健康的でポジティブなスポーツへと転換させた。

私の中で、失敗は“引き出し”なんです

彼女の明るさは、共に戦う選手たちにも影響を与えた。その一例が、日本ペア初の金メダルを獲得した“りくりゅう”こと三浦璃来・木原龍一組だ。リフトのミスによりショート5位発進というピンチに見舞われたりくりゅう。失意の中、二人が選手村に到着したのは深夜1時過ぎ。バスから降りてきた二人を迎えたのが、坂本だった。自身の試合を2日後に控える中、坂本は戦友にエールを送るためだけに停留所で待ち続けた。

今大会のフィギュアスケートのメダリストたち。盟友のりくりゅうも。 Ranjith kumar

「りくりゅうとは北京も一緒に出場して、そのときに『またミラノの団体戦で頑張ってメダルを獲ろう』と約束した仲間です。あのリフトのミスは、二人にとっても思わぬミス。精神的にもショックを受けてるんじゃないかなって心配でした。りくりゅうとはトレーナーさんが一緒なんですけど、トレーナーさんに『二人はどんな感じ?』って聞いたら、『だいぶ落ち込んでるわ』って話になって。『じゃあ、ハグしにいく!』ってバス停で待っていました」

二人なら大丈夫。坂本からの激励のハグに、りくりゅうは「花織ちゃんのためにも頑張ろう」と奮起した。苦楽を共にした盟友・木原が、坂本につけたニックネームは「やかましい太陽」。分け隔てなく周囲を照らす明るさは、何から育まれたものなのだろうか。

オメガブティック訪問では、特大サイズのゴールデンアストロノートともパチリ。 OMEGA
オメガといえば1932年のロサンゼルス五輪からオフィシャルタイムキーパーをつとめている。スポーツ競技に欠かせない電子スタートピストルもオメガが開発した、五輪になくてはならないツールのひとつ。 OMEGA

「もう生まれたときからです(笑)。お母さんのお腹から出てきて、ヘソの緒を切ったときにはもうこのキャラが出来上がっていました(笑)」

だが、競技者である以上、常に笑顔ではいられない。練習がうまくいかない。試合で思うような結果が出ない。笑顔を削られる場面は、無数に想像できる。

「嫌なこととか悲しいことはもちろんあります。でも、寝たら大体忘れる(笑)。とりあえず寝たら悩みの70%くらいは軽減される体質なんです。だから、落ち込みそうになったら、もう今は寝ようって、早く寝てリセットするようにしています」

フィギュアスケートは、失敗がわかりやすい競技だ。人生を懸けて練習してきたプログラムが、たった一度の転倒で色褪せることもある。凡庸なメンタルでは、滑り続けることさえできない。そんな過酷なスポーツの頂点で戦い続けてきた坂本は、失敗に対しても特別な考えを持っている。

「失敗は別に悪いことじゃない。私の中で、失敗は“引き出し”なんです。失敗したら、その分、じゃあ次はこうしようという対策の材料にできる。その“引き出し”の数が多いほど、何かがあったときに咄嗟の対応もできるようになる。失敗を全部ダメなものと認識するのではなく、前向きに捉えていくことが大事だっていうのは、フィギュアスケートをやっていて実感しました」

金メダルの米・アリサ・リュウ選手、銅メダルの中井亜美選手と。 Kenjiro Matsuo

一つ跳べなかったジャンプの点差で逃した金メダル。試合後のインタビューでは「悔しい」と涙を流した。少し時間を経て、胸元に輝く銀色への想いも変わってきている。

「そうですね。だいぶいとしさが染み込んできました」

そう目を細めて、坂本花織は笑った。彼女には、自分の人生で起きたことのすべてを肯定する力がある。その肯定力が、坂本を、ただ強いだけじゃない、周囲を元気づけるアスリートにした。坂本花織が残したものは、これからのフィギュアスケート界の希望となるだろう。太陽は、やかましく輝き続ける。

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