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【体験談】57歳・おひとりさま女性の地方移住……1年を経て住まい・仕事・生活費のリアル事情は?

  • 2026.2.22

50代から新しい一歩を踏み出して、第二の人生を歩み始めた人たちを追う「わたしリスタート」。都会生まれ、都会育ちのおひとりさま女性が山形に56歳で地方移住!「ずっと望んでいた暮らし方」を今、実践できている、と藤田篤子さんは笑顔で話します。

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あなたの“リスタートのヒント”が、きっと見つかるはず。
 → 他のエピソードも読む!(毎月更新)

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藤田篤子さんのリスタート・ストーリー

東京で暮らし、介護士として16年間、働いていた藤田篤子さんが、人生を改めて考え直し、かねてから夢だった地方移住を決意したのは50代前半。

以降、着々と準備をして、2023年、56歳のときに「生活クラブ」が展開する「産地で暮らすプロジェクト」を通じて、山形県酒田市に単身移住。鳥海山を眺める住宅で移住者とルームシェアしながら田舎暮らしを楽しんでいる。

生活クラブの生産者と繋がり、収穫などのアルバイトに励むほか、フリーで家事代行やマヤ暦鑑定占いもしている。来年は街中にオープンした複合シェアオフィスとシェアハウスの運営にチャレンジするなど、自分の“好き”と“得意”を生かした「マルチプルジョブワーカー」として活躍中。

山形で2度目の冬を迎える藤田さんに、移住を決めた理由と暮らしについて聞いた。

52歳の骨折が、人生を考え直すきっかけに

52歳の骨折が、人生を考え直すきっかけに
どんなインテリアの家でどんな暮らしがしたい?ノートにまとめて

――移住したいと思ったきっかけは?

都会生まれ・首都圏育ちだった私は、子どもの頃から自然への憧れが強くて、大人になってからも「定年後は自然に囲まれた場所でのんびり暮らしたいな」と、夢を思い描いていました。

ところが、52歳のときに全治3か月の骨折をしてしまって。思うように体を動かせなくなったとき、「私、このままでいいのかな……」と、改めて人生を考え直しました。

もし、田舎暮らしをするとしたら、畑仕事もしたいし、いろんな場所に足を運んでアクティブに過ごしたい。そのためには「気力・体力・知力が十分にある50代のうちがいいのでは」と思い始め、定年まで待たずに都会を飛び出すことを決意。

そこから少しずつ移住のための準備を始めました。

――移住に向けて、どんな準備を始めたんですか?

いきなり移住先を探すというよりは、まず自分が本当に望む生き方や暮らしとは何なのか、自分自身とじっくりと向き合いながら、準備を進めていきました。

そこで最初に見直したのが、「働き方」。

介護職やケアマネジャーとして、16年ほど会社勤めをしてきましたが、これから先は時間や場所にとらわれず、“働くことと生きがいを密接につなげた”ライフスタイルにシフトしていきたい。そう思い、正社員を辞め、フリー介護士になりました。

フリーになれば、移住してからも自由度高く、さまざまな仕事にチャレンジできると思ったんです。

ただし、毎月決まった収入を得られるわけではないので、家計の収支を見直して整理し、必要なものはフリマアプリで安価で手に入れたり、食べたい野菜は庭の畑で育てたり。

生活費を抑えつつ、今あるもので工夫しながらまかなう暮らしは、移住後にも役立つと考え、楽しみながらやりくりしていました。

気力・体力・知力があるうちに都会を出たい

気力・体力・知力があるうちに都会を出たい
山形の家の目の前に広がる鳥海山。うっすら雪化粧

――これまでの経験で役立ったことは?

2つあって、1つは「お金の勉強」です。

長年、介護業界で働いていましたが、私の勤め先では定年時の退職金が見込めません。私自身、ひとり身なので、将来のためにしっかりとマネープランを立てておきたいと思ったんですね。

それで30代後半ぐらいから、 お金のセミナーに通い、資産運用について学び始めました。老後までに貯めたい目標金額にはまだ達していませんが、着実に貯蓄を増やせたことで、フリーへの転向や移住にも踏み切れました。

もう一つは「英語の勉強」。

実は前々から海外留学したい気持ちがあったんですが、なかなかチャンスがなくて。離婚を機に、思い切ってオーストラリアに留学したんです。そのときに学んだ英語のスキルが今でも役立っていて、移住先での販売の仕事でも外国人のお客様への説明、チラシ作りなどに活かすことができています。

――「チャレンジするなら今だ」と思ったタイミングは?

 「自然豊かで、ある程度の自給自足生活ができる」「行政の支援も厚く、移住者同士や地元の方との交流が盛ん」「仕事も選ばなければ何でもある」……。などなど、移住する上で自分が大事にしたい「優先順位」を整理しながら、条件に当てはまる移住先候補を探していきました。

そんなときに出合ったのが、生活クラブが展開している「産地で暮らすプロジェクト」。これは生活クラブと山形県酒田市が連携して移住希望者を募り、住まいや仕事、地域交流など、現地での暮らしをサポートするという事業です。

最初に募集案内を見たとき、「まさに私が求めていた理想にピッタリかも!」とピンと来ました。

寒いのが苦手なため、東北地方は候補には入れていませんでしたが、何度か現地視察を重ねるたびに、酒田の豊かな自然や文化の魅力にどんどん惹かれていって。

見知らぬ土地にひとり飛び込むよりも、長年、組合員として加入している生活クラブが移住者をサポートしてくれることも大きな安心材料となり、酒田市に移り住むことを決めました。

――移住について、家族の理解や協力はありましたか?

私自身は独身で子どももいないので、身軽。一つだけ気がかりなのは、父の他界後、一人で暮らす母のこと。

ですが、私の移住計画と同時期に、母は一人でも動きやすい都心への住み替えを考え始めたんです。

老人ホームも検討しましたが、結局は今まで住んでいたマンションを売却し、暮らしやすい立地とコンパクトな広さの家に住み替えることに。本人が納得のいくかたちに収まりほっとしました。お金の管理は今後のために家族信託契約を結んでいます。

コロナ禍や私の計画など、いろいろ重なりましたが、母の身辺の整理を弟と協力して分担できてよかった!それぞれの今後のことをきちんと話せた、いい機会にもなったのかなと思います。

幸い、弟が母と同じ区内に住んでいるので安心して移住に踏み切ることができました。

56歳で地方移住。住まい、収入、苦労は?

56歳で地方移住。住まい、収入、苦労は?
酒田港での売り子の仕事。地方でも寄港者や移住者が多い港町はオープンマインドな雰囲気
50代後半でも、可能性はまだまだある
自然の恵みの豊かさを四季を通して満喫。秋は銀杏を摘むバイト

 ――移住後の住まいは? 

1年目は、この移住プロジェクトで一緒になった方と意気投合し、2LDKの賃貸住宅でルームシェアをしていました。現在は同じ建物の別の方の部屋でルームシェア暮らししています。

向かいには、歴史ある山居倉庫、目の前には鳥海山が広がる場所にあり、家賃は8.5万円(共益費含む)ほど。来年春頃までの期間限定のルームシェア契約ですが、相方の快諾を受けて、私が負担する家賃は約3分の1ほどです。

元々、モノを持たない、身軽に暮らせる、シェアする暮らしに興味があって、移住する前も、約10年ほどシェアハウスで暮らしていて、とても快適でした。だから新しい土地でも気の合う人と共同生活ができたらいいなと思っていたんですね。 

相手の方は、生活クラブ組合員歴46年ということもあって、価値観が合うし、とっても居心地がよく暮らせています。「今日はきのこ狩りに行ったから、きのこご飯にするのはどう?」とか、お互いに持ち寄った食材で、朝食や夕食をともにすることも多く、日々和気あいあいと食卓を囲んでね。

――仕事や働き方はどう変わりましたか?

「移住先で思うような仕事がなかったら、介護の仕事に就こう」と考えていましたが、今のところ就職しなくていいぐらい、いろんな仕事をかけ持ちして生計を立てられています。とはいえ、大きな出費には、貯金を使っていますが。

こちらに来て、収入は一つの仕事で賄わなくてもなんとか暮らしていけるのかなと思うようになりました。いろんなお仕事を紹介してもらえるので、ワクワクするものに挑戦させてもらっています。

例えば、酒田では柿や梨など果物が豊富にとれるので、選果場で果物を仕分けるバイトをしたり、農家の収穫のお手伝いをしたり。植物性食品の加工と販売の仕事も週2回しているし、依頼があれば家事代行もしています。

最近は「複合シェア施設の管理人をやってみない?」と声をかけてもらって、そのプロジェクトに取り組んでいる最中。、また、私と同じように、最初の一歩を踏み出したい個人の小商いを応援したくて、地域の仲間とマルシェ運営も不定期に実施していて、ときどき自分が何屋さんなのかわからなくなるほど、忙しくなりつつあります(笑)

でも、そんな毎日が変化に富んでいて楽しいんです。

いろんな仕事をパッチワークのように組み合わせる「マルチプルジョブワーカー」の面白さをここで実感しています。

56歳で地方移住。住まい、収入、苦労は?
雪国の冬は厳しい。一日で車にこんもり雪が積もることも

――新しいチャレンジを始めたとき、大変だったことは?

交通の便の悪さ。

バスを1本逃すと、1時間以上来なかったり。飲食店も営業時間が短くて、午後の早い時間に閉まってしまったり……。都会での生活が長かったせいか、その時間感覚に慣れずに、たびたび機会を逃して痛い目に遭いました。

移住して最初の3か月間は自転車で移動していましたが、さすがに厳しくて。いきなり車を購入するのは躊躇してしまい、カーリースすることに。月々31000円(含む駐車場代)と予想外の出費にはなりましたが、維持費などを考えるとリースは気楽。行動範囲もグンと広がりました。

いざというときのために、移住前にペーパードライバー講習を受けていたので、運転も自信を持ってできたのも、よかった。

実際に住んでみて初めてわかることも多いものですね。

――1日の良いスタートを切るために、朝一番にすることとは?

毎朝5時半に朝日とともに目覚めて、ゆったりと瞑想することからスタート。朝の静けさの中での数ページでも読書する時間は自分にとって大切なエネルギー充電時間です。

すると、心が穏やかになって、今日もいい一日が始まりそうな予感がしてくるんです。部屋の窓から眺められる、鳥海山の美しい景色も毎朝の楽しみ。雄大な自然の眺めにパワーをいただいています。

――移住して、最もうれしかった出来事は?

まさかの海外交流ができたこと!

古くから交易港として栄えた「酒田港」は、現在でも海外からのクルーズ船が次々と立ち寄る寄港地となっているんです。先日は超大型客船「MSCベリッシマ」が初入港し、地域をあげて歓迎イベントを開催。私もバイト先から出店を任され、港の一角で商品を販売することになりました。

当日は、約4000人もの方が降り立ち、港は大にぎわい。最初はドギマギしましたが、外国人のお客様が通りかかるたびにうれしくなって、どんどん英語で話しかけました。「私、シティガールからカントリーガールになったのよ!」と、私の人生ストーリーも織り交ぜながら会話すると、みなさん気に入ってくださって。おかげさまで商品も思っていた以上にたくさん売れました(笑)

まさか移住先で、たくさんの海外の人たちと交流ができるとは思ってもいませんでしたし、お店を一人で任されて成果を挙げられたことも自信になって、とても良い機会となりました。

――自分の性格でいちばん自慢できるところは?

 人懐っこいところ。

おしゃべり好きだからか、移住先の人たちともすぐに打ち解けられるのが自慢です(笑)

50代後半でも、可能性はまだまだある

庄内町藤島伝承の槇島ほうきづくりワークショップで出会った、山形移5年目の先輩でもあるカメラマンに撮影してもらったポートレート(写真提供=下村しのぶ)

――リスタートをして得た最大の教訓は?

50代後半になっても、まだまだ可能性ってあるんだなと希望を描けたこと。

移住に踏み切ったからこそ、移住先でたくさんの素敵な人たちや仕事に恵まれました。山菜ツアーに行ったり、余暇も充実して、どんどん行動範囲も広がっています。

そして、「誰かのためじゃなく、自分のために生きていい」「まず自分を満たすことが、自分も周りも幸せにするんだ」と実感できたことも、得た教訓の一つ。

東京で介護の仕事をしていたときは、利用者さんのことを思うばかりに無理をしてしまい、体調をくずした時期も……。結局、仕事を続けるのが難しくなり一度離職したこともあります。その状態では自分も周りも幸せにできないことを思い知りました。

そうした“自己犠牲的なあり方”を卒業し、“自分が心から望む暮らし”を始めた今、毎日が生き生きしてストレスフリー。心も体も元気でいられるから、仕事も楽しく続けられてるんだと思います。

50代後半でも、可能性はまだまだある
雪解け水でできる、家の軒先のつらら

――自信をなくしたときや、スランプから抜け出したいときの特効薬は?

落ち込んでもすぐに切り替えられる性格なのですが、ときどき「この先も生活していけるのかな……?」などと、不安になることも。

そういうときは友達とおしゃべりして発散したり。トレッキングや釣りに行ってリフレッシュしたり……。ちょっと足を伸ばせば、大自然があるので、澄んだ川の水やすがすがしい山の空気を感じるだけでも、気持ちがスッキリして元気になります。

――あなたの座右の銘は?

 チャンスの神様は前髪しかない!

自分にとっての絶好のチャンスは、一瞬にして過ぎ去ってしまうもの。だから、いつもピンと来たときに行動を起こすようにしています。きっとこれからも、いろんな好機が巡ってくると思うので、逃さずにつかんでいきたい!直感やひらめきを大切にしたいと思っています。

――これまでの人生で最高の瞬間は?

子どもの頃、家族で海外生活をしていたときの3年間。

商社で働いていた父は超多忙で、私が小さいときは不在にすることが多かったんです。でも、中学1年生のとき、父の海外赴任が決まり、家族全員でチェコ共和国のプラハに移住することに。

もちろん言葉もわからないし、日本食材もなかなか手に入らなくて、大変なことも多くありましたが、私にとっては家族皆が身を寄せ合って暮らせた時間がとても濃密なものに感じて。

そのときの幸せな記憶が、きっと自分とっての「原風景」になっていているんでしょうね。人と助け合いながら暮らしていく今の生き方につながっているように感じます。

――これからチャレンジしたいことは?

しばらく山形での生活を楽しむ予定ですが、その先はもしかしたら海外とか、また別の場所に移住するかもしれません(笑)

以前、オーストラリア留学時に住んでいたシドニーは、私の「第二の故郷」と言えるぐらい大好きな街なんです。当時知り合った親友が住んでいるので、いつかまた暮らしてみたいという願望はあります。

50代のリスタートに必要な3つの備え

1.オープンマインドな自分でいる

何か新しいお誘いや仕事のチャンスが来たときに、「私には無理だわ」とか「ちょっと面倒だわ」と断らずに、まず「どんな感じかな?」と興味を持ってみると、意外と「できそう!」「面白そう!」と思えることも。心を閉じずにオープンマインドな自分でいると、そこにチャンスやひらめきが入って来て、さらに可能性が開ける気がします。

2.自分の望みや得手不得手を書きだす

私も移住前にしましたが、自分は何が好きで、何が嫌いなのか?どういう環境や仕事だったら無理なく楽しめるのか? 例えば「一日中デスクワークは嫌」とか、「少人数でアットホームな職場がいい」とか、自分の望みや得手不得手について細かく列挙しておくと、理想の働き方や暮らしが見つかりやすくなると思います。

3.一旦、自分の中にあるものを全部認めてみる

50代ともなると、失敗も含めていろんな人生経験や学びが澱のように身についているもの。でも、それこそが自分にしかない価値であって、可能性なんじゃないかしら。だから、自分の中にあるものを全部認めて、そのままさらけ出せばいい。取り繕わずに素の自分のまま行動すれば、それが自分らしい仕事になり、生き方につながると思います。

取材・文=伯耆原良子 写真=藤田さん提供 企画・構成=長倉志乃(HALMEK up編集部)

※このインタビューは2024年12月に行いました。年齢や情報は当時のものです。
※HALMEK upの人気記事を再編集したものです。

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