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細井美裕が鳴らす音──社会を縫い、描き、響かせる創り手たち【vol.2】

  • 2026.2.12

「音」を探求した作品で知られる細井美裕。その創作を追っていくと、録音という行為が世界との距離を測るための方法であるように感じられる。彼女が扱うのは音楽ではなく、音が生まれ、鳴り、消えていく状況をとりまくすべてだ。例えば、初期の代表作《Lenna》。細井の声を多重録音し、24個のスピーカーから再生。音を鑑賞者に立体的に届けることによってさまざまな質感や感覚を引き出した。

細井の音への関心の出発点は、高校時代の合唱部にある。彼女が所属したのは、声を楽器として扱う場所。重視されるのは歌詞の意味だけでなく、音の質や重なり、空間への広がりだった。コンサートホールごとに異なる響きに合わせて、子音を抑えたり、声を飛ばしたりする。「音を出すってことは、空間を鳴らすっていうことだと体感していたのでしょうね」と振り返る。その感覚は当時言語化されることはなかったが、のちに彼女の制作の基盤となった。それゆえ彼女は、音の強さ、声の有無、言葉、空間の反射、距離、さらには視覚情報や再生機器の存在まで、音と空間に関する無数のパラメーターを考慮する。「もちろんすべてを把握したり制御することもできないし、鑑賞者がすべての意図を汲むこともできない。でも、そうして作家が考えたことの総体が、その作家らしさに繋がる気がするんです」

だからこそ、「ノイズ」という言葉に対しても慎重だ。「誰かにとってのノイズが、みんなにとってのノイズだと定義してしまうことが怖いんです」。この社会にはノイズキャンセリングで消されてしまう情報を頼りに生活している人がいる。機能自体の便利さとはまた別の視点として、「ノイズとは不要なものではなく状況によって意味を持つ音でもある」と細井。そんな姿勢を示す作品のひとつが《ステイン》。細井自身と誰かの会話を録音しながら、話し声の部分だけをカットした。会話は無音となり、話している気配と周辺の環境音だけが残る。翻って声や言葉の強さ、そして周囲の音の情報量が浮かび上がる。

細井が主に制作を行うのは都内のスタジオ。立ち並ぶ高層ビルの間に小さな公園や緑、人々の生活が広がるこぢんまりとしたエリアだ。
細井が主に制作を行うのは都内のスタジオ。立ち並ぶ高層ビルの間に小さな公園や緑、人々の生活が広がるこぢんまりとしたエリアだ。

さまざまな表現を横断するなかで、影響を受けた存在として日本のメディアアートの発展に大きく寄与した三上晴子の名前を挙げる。「知ったのは亡くなった後なのですが、自分が好きなアーティストが三上さんの研究室の出身でした。サウンドやメディアアートに興味を持つなかで、その存在は文脈としてすごく大きかったと思います」。最近では録音という行為そのものにも強い関心を寄せる。《ヒューマン・アーカイヴ・センター》シリーズは、それが表れたプロジェクト。ルーヴル美術館で、モナ・リザに向けて人々がカメラを構えるなか、彼女はマイクを向けた。「現在の私たちにとって、その作品がどういう存在だったのかを、音で残すことも可能だろうと思ったんです」。記録された音は、ステンレスの金属板とそこに向けられた2つのスピーカーから成る出力装置から発せられる。「私にとって録音という行為は、録音物を手に入れるためのものではありません。そのとき私自身あるいは録音する人が、その対象をどう捉えていたのかを定義することなんです」。だからこそ、録音された音をどのように提示し、どの距離で聴かせるのかまでを含めて作品として構成する必要がある。

現在森美術館で展示中の《ネネット》も、そうした姿勢から生まれた作品。ネネットはパリ植物園で50年以上生きてきたオランウータンの名だ。しかし、作品にはネネットの声は一切入っていない。あるのは、人間のざわめき、周辺の空気、そして檻を管理する鍵の音だけ。ネネットを取り巻く、いわば“ノイズ”である。それでも細井が作品を《ネネット》と題したのは、2026年に生きる私たちがその環境について考えるきっかけとするためだ。「もしかしたら、動物園にいることで幸せなのかもしれない。でも、私たちは少し申し訳なさを感じてしまう。その感覚も含めて解がないままそこで生き続けている。その状況自体を残したいと思いました」

音は、ただ在るのではなく、常に関係性のなかで鳴っている。そのことを、細井の作品は示し続けている。

六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠

会期/~2026年3月29日(日) 10:00〜22:00 ※火曜日のみ17:00まで、入館は閉館時間の30分前まで

会場/森美術館 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階

お問い合わせ/050-5541-8600

www.mori.art.museum

Photos: SHIORI OTA Text: ASUKA KAWANABE Editors: Nanami Kobayashi, Yaka Matsumoto

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