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子育てから生まれた一冊が新人賞受賞。尼崎のママが42歳で絵本作家になるまで【あんな、ひと】

  • 2026.1.5

子育ての時間のすき間に、ほんの5分でも手を動かす。落選に泣いた日も描くのをやめなかった。その先に待っていたのは、「書店員が選ぶ絵本新人賞」特別賞受賞、そして絵本作家としてのデビューでした。

「あんなぁ」と、明日誰かに伝えたくなる人にスポットライトを当てて紹介する「anna」の連載企画「あんな、ひと」。2年ぶりに帰ってきた本連載の第10回目は、尼崎市で暮らす絵本作家・ホッシーナッキーさんにお話を伺いました。

( Index )

  1. “ママ”から“絵本作家”へ。新人賞受賞が人生の転機に
  2. 絵が好きな子どもが、デザイナーへ。遠回りが“今”につながった
  3. ベトナムでの出会い、そして尼崎へ。“関西弁”が人生を動かした
  4. 毎日読み聞かせた日々が、“絵本を作る”に変わった
  5. 落選が続いても、やめなかった。7年越しに叶った“商業出版”
  6. 「夢はあきらめなければかなう」と息子に伝えたい
  7. 目指すのは、“世界中で愛される絵本”

“ママ”から“絵本作家”へ。新人賞受賞が人生の転機に

カラフルなアクリル絵具やペンがデスクに並び、窓から穏やかな光が差し込む尼崎市のアトリエで出迎えてくれたのは、絵本作家のホッシーナッキーさん。

ホッシーナッキーさんのデビューのきっかけとなったのが、「書店員が選ぶ絵本新人賞」(読売新聞、中央公論新社主催)の特別賞。受賞作は、息子さんのひと言から生まれた『うちゅういちの たかいたかい』(中央公論新社)。父親が息子の“高い高い”に全力で応え続ける、ユーモアと愛情に満ちた一冊です。

その後も、孫の成長を祖父が優しく見守る姿を描いた心温まる『じいじ、じーっ』(ポプラ社)など家族愛あふれるあたたかい絵本を生み出しています。

絵が好きな子どもが、デザイナーへ。遠回りが“今”につながった

ホッシーナッキーさんは東京都生まれ。幼い頃から絵を描くことが好きで、チラシの裏に夢中で絵を描くような子どもだったといいます。

高校卒業後、進学先を美術大学にするか、外国語大学にするかで悩んだ末に選んだのは外国語大学。「絵はこれからもずっと描き続けられる」と感じていたこと、そして将来は海外で活躍したいという夢も後押しになりました。大学4年生の選択授業で、illustratorやPhotoshopなどを学び、そこで「グラフィックデザイナー」という仕事を知ります。

卒業後はデザイン会社に就職。映画のポスターやパンフレットなどの制作に携わりながら、プライベートではコンテストに応募したりグループ展に出展したりと、自分の表現も積み重ねてきました。

ベトナムでの出会い、そして尼崎へ。“関西弁”が人生を動かした

キャリアを重ねる中で、友人とのベトナム旅行で出会ったのが現在のご主人。ツアーで一緒になり、関西弁で「どっから来たん?」と声をかけてきたのが始まりだったそうです。

最初は「距離が近いな」と驚いたものの、帰国後に東京で再会。そこからご主人の熱意あるアプローチで交際へ。関東と関西の遠距離恋愛を3年間経て、27歳で結婚。ご主人の生活圏である尼崎市に移住しました。

“ここ、好きかも”を確信したのは、西武庫公園のフリーマーケット

尼崎の第一印象は、「のどかで、ところどころに畑があるようなのびのびした環境」。地元の雰囲気にどこか似ていて、すっとなじむ感覚があったといいます。

そして尼崎をもっと好きになったきっかけが、西武庫公園で年2回開催されている「ハーベストフリーマーケット」。高校生のころからフリーマーケットが好きだったホッシーナッキーさんは、出店者もお客さんも個性的でフレンドリーな人が多いこのフリーマーケットに心を掴まれたそう。

初めてのオリジナルグッズは、ゴリラのキャラクター

最初は不用品を売るだけでしたが、途中から自作キャラクターのグッズを出品。するとお客さんがおもしろがって買ってくれたり、ワインバーのマスターから「店の壁に絵を描いてほしい」と頼まれるなど、少しずつ輪が広がっていきました。

「一番初めに来てくれた5歳の女の子が、いまはもう社会人で。ほかの人も、結婚した、子どもが生まれた、孫ができた……って、年に2回しか会えないのに、変化を聞かせてくれる。ファミリーみたいな存在になっています」とホッシーナッキーさん。尼崎で過ごした時間は、気づけば 17年。暮らしの中に、確かな居場所ができていました。

毎日読み聞かせた日々が、“絵本を作る”に変わった

絵本作りに目覚めたきっかけは、子どもへの読み聞かせ。妊娠が分かったときから、お腹の赤ちゃんに向けて毎日1冊。生まれてからも多い日は1日10冊以上読み聞かせることもあったといいます。

息子さんが話せるようになると、お風呂や暗い布団の中で「桃の話をして!」「のこぎりの話もして!」というリクエストが増えていきました。そのたびに即興で物語を作って聞かせる。すると、100個に1個くらいの割合で「これ、絵本にできるかも」と思える物語が生まれるようになっていったそうです。

ちょうどその頃、近所の図書館で見つけたのが絵本コンクールの募集。思い切って応募してみると結果は佳作。審査員からかけられた「“また見せて”という意味の佳作だから」という言葉が背中を押します。

落選が続いても、やめなかった。7年越しに叶った“商業出版”

本格的に絵本を書き始めたのは2016年ごろ。当時1歳の息子さんを育てながら、1冊を仕上げるのは並大抵のことではありません。

これまでに制作してきた絵本の数々

子どもを寝かしつけたあと、夜にそっと抜け出して描く。ぐずったら中断して、また描く。「1日5分でも手を動かしたら、進んでいるのがうれしくて」子育ての隙間に、少しずつ積み重ねて、15作品以上をコンクールに応募しました。

そして2023年、『うちゅういちの たかいたかい』が「書店員が選ぶ絵本新人賞2023」の特別賞を受賞。翌年、初めての商業出版が叶います。コンクールに挑戦し始めてから、およそ7年後のことでした。

「夢はあきらめなければかなう」と息子に伝えたい

『うちゅういちの たかいたかい』が生まれたきっかけは、ご主人が息子さんを“高い高い”したときのひと言。「パパの筋肉を鍛えたら、木よりもビルよりも高くなるかな?」

ホッシーナッキーさんは、この絵本を「一人ではなく、家族や応援してくれたみんなで作った絵本」だと言います。物語の途中に登場するビルの窓には、ママ友やフリーマーケットの仲間など、これまで応援してくれた人たちの姿が描かれているそう。

そしてモデルになった息子さんから返ってきた「諦めずにずっと描き続けたから、こうやって形になったんだね。きっと人気者の作家になると思うよ!」という言葉が、忘れられないといいます。
「長男が一番の応援者なんです」そう話す表情が、とてもやさしかったのが印象的でした。

目指すのは、“世界中で愛される絵本”

「いつか絵本が世界各国で翻訳されて、世界中の人に愛される作品を生み出していくのが目標です」そう語るホッシーナッキーさん。『うちゅういちの たかいたかい』は韓国語翻訳版が刊行に向けて動いており、夢にまた一歩近づいています。

子育ての時間から生まれた物語が、一冊の絵本になり、読者に届いていく。42歳で始まった新人絵本作家としての挑戦は、これからも続いていきます。

写真/西島 渚 取材・文/山原萌恵

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