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「昼休みに会社を作りました」メキシコ、スイスを経てベトナムへ…建築家・大澤晃佑が語る“変化する社会”と向き合う生き方

  • 2025.12.21

多くの国で不況が続く中でも、経済成長を続けているベトナム。活気あふれるベトナムにはさまざまなシーンで活躍している日本人も多くいます。ここでは、そんな日本人にフォーカスし、インタビューを敢行。今回はメキシコ、スイスを経てベトナムで建築家として活躍する大澤晃佑さんに、海外を目指したきっかけやベトナムでのお仕事についてお話を伺いました。

「海外でもやってみたい!」その思いが今に繋がっている

大澤さんが手がけている「Fu Hoo Cafe」

――大澤さんが建築家を目指したきっかけはなんですか?

大澤晃佑(以下、大澤):子どもの頃から大工になりたいと思っていたのですが、大学に入る前に友人たちとパーティーなどをオーガナイズしたりして遊んでいた時期があって、当時の友人の家が今で言う「デザイナーズマンション」でした。当時はまだそんな言葉もない時代でしたが、その友人の家をきっかけに「デザイン」や「建築」というものを知り、興味を持つようになりました。

昔から何かを作ることも好きでしたし、自分でDIYをしながら家を改造したりもしていたのです。また、当時は環境問題がとり沙汰されるようになった頃で、屋上や壁面の緑化が流行り始めていて、とても面白そうだなと思い、多摩美術大学の造形表現学部(デザイン学科、 スペースデザインコース)に入学したのが始まりです。

――大学卒業後すぐにメキシコで働かれたのはなぜですか?

大澤:日本で就職先の内定をいただいたのですが、就職前に他の国に行ってみたいなとも思っていました。日本で、フェルナンド・ロメロという建築家の作品を見て「この人の事務所は面白そうだな」と思っていたので、試しにポートフォリオを送ってみたところ「来ていいよ」と連絡をいただきました。「よし、じゃあメキシコ旅行のついでに、1、2週間くらいインターンできればいいか」と思い、メキシコに向かったのです。

そしてそのまま受けて入れてもらったのですが、インターンで無給のためお金がない生活で。そのため、日本政府の支援プログラムを見つけて、その制度を利用して1年ほど働いたのち、事務所と正式に契約をして3年ほど働きました。ボスはいい意味でも悪い意味でもとてもキャラの強い人(笑)。さまざまなことを学ばせてもらいました。僕にとってはメキシコでの経験が最初のキャリアでもあるので、レイアウトの仕方や空間や光の作り方はここで学んだものがベースになっています。

手がけている「Fu Hoo Cafe」にはアート作品が飾られているスペースも

――メキシコの後は日本に帰らずにスイスに向かったそうですね。

大澤:事務所で働いたあとに、メキシコで独立して会社を設立しました。すると思いの外、結構仕事が入ってきて、それで調子に乗ってしまったんでしょうね(笑)。若手で、しかも異国の地で仕事が取れるということに完全に舞い上がっていたときに、あるプロジェクトで失敗したのです。その失敗が僕にとって大きな転機となりました。とても反省しましたし、「メキシコでの経験だけではダメだ。もっと学びたい」と思い、ヨーロッパを目指すことにしたのです。

かつて旅行で訪れたことがあるオランダとスイスに行ったのですが、オランダは旅行で訪れるにはいい国なのですが、建築の勉強をするには僕にとってはあまり向いていないなと感じました。オランダは、インダストリアルな感じがとても好きなのですが、自然が少ない。

一方、スイスは空港に降り立った瞬間から山が広がり、自然豊かで、建築も自由な雰囲気がありました。そうした環境を見て、「ああ、ここだな」と思い、新たにスイスで学ぶことにしました。スイスは、学生であっても設計事務所で働けるというオープンなところがあって、僕も大学院に行きながら仕事をさせてもらいました。

――メキシコと比較し、スイスでは何か異なる部分や発見などはありましたか?

大澤:一番は時間に対する考え方です。スイスでは、仕事は時間内に終わらせることが重視され、ダラダラ働くことはよしとされません。そのため、時間通りに出社し、定時に仕事を終わらせるのが当たり前。日本の設計事務所は定時というものがないに等しかったので、2000年代初頭の頃は深夜12時まで働くのが当たり前という感じでした。メキシコはそこまで遅いことはありませんでしたが、スイスでは夕方6時にはきっちり切り上げるのです。

また、週のうちに何日働くかを会社と最初に決めるのですが、日本のように役職や雇用形態によってお給料や保証制度が変わることはなく、単に勤務日数によってお給料が異なり、仕事のタスクに対しては勤務日数に関わらず、完璧にこなすことを求められます。

スイスでは最初に入った事務所の他に、その事務所から独立した人が立ち上げた事務所の2カ所で働いていましたが、家や建物の設計だけでなく、ヨットなども手掛けていて、とても面白かったです。

ベトナムを目指したのは今こそ「社会の変化を感じられる」国だから

――スイスからベトナムを目指したきっかけはなんですか?

大澤:メキシコで働いていたときに北米を旅したりもしたので、中南米、北米、そしてヨーロッパの建築を学んできましたが、よく考えるとアジアのことは全然知らないことに気づきました。スイスで働いていた頃にさまざまなアジア人の友人ができ、ベトナム人の友人から「今、ベトナムは経済成長の真っ只中で、第二の中国と言われている」ということを教えてもらいました。それをきっかけにいろいろ調べてみると、昔の建築と今の建築がリンクされている部分があったり、とても面白そうなところだと思ったのです。

僕が大学生の頃は、まさに中国が経済発展を遂げている最中。そのため中国の現代アートの授業を選択し、有名なアーティストが輩出されたり、社会における建築の役割が変化していることを知ったのですが、当時は中国に行く機会がなく、とても惜しいことをしたと思っていました。スイスにいた頃は中国にはもうその勢いがなくなってきていたので、「今ベトナムに行ったら、これから有名になるアーティストを知れたり、変化していく社会を体感することができるのではないか」と考えました。

建築の仕事をしていると、社会の変化や有り様を直接見ることはとても重要なことですし、そのときにしか見ることができないものなので、個人的にも好きなんです。そのことをスイスにいたポルトガル人の友人に話したところ、「ジュネーブ、ハノイ、ホーチミン、シンガポールにオフィスを構える事務所があって、そこが募集をしているからベトナムに行くことができるかもよ」と教えてもらい、応募してベトナムの建築デザイン事務所で働くことになりました。

――そこからベトナムでのキャリアがスタートしたのですね。

大澤:ベトナムに来て3年ほど建築設計事務所で働いていましたが、当初から独立するつもりで働いていました。メキシコでは働き始めて3年で自分の会社を設立したので、ベトナムではそれよりも早く独立しようと決意し、「いかに3年よりも早く独立できるか」ということを意識しながら働いていました。

ベトナムでの会社設立に必要な法律やレギュレーションを調べて、毎日お昼休みに一つずつ翻訳する日々。ハノイにあるハノイ市計画投資局に通いながら、必要な資料を集めては聞きにいき、「ここが間違っているよ」と教えてもらいながら進めていきました。そうしてできた「5plus One」という設計事務所は、いわば「お昼休みにできた会社」です(笑)。

――社会主義国であるベトナムで、外国人が会社を設立するのはとても大変だと聞いたことがあります。

大澤:ベトナムに住んでいる日本人にも「ベトナム人なしに日本人が会社を作るなんて無理」と言われました。「なんでみんな無理と言うのだろう?」と調べてみると、実は無理ではなくて、外国人でも会社を作れると言うことがわかって、何も問題なく設立できました。

――ベトナムでは具体的にどんなお仕事をされているのですか?

大澤:主にレストランや飲食店の設計を手掛けていますが、アパートや照明デザインも手掛けています。スイスで働いていた設計事務所が、自分たちでブロダクションをして作ったりもしていたので、その影響から家具や椅子も作ることができるのです。照明に関しては、僕がデザインして、施工はベトナムの業者にお願いする形で作っています。

また、「5plus One」で請け負う設計とは別に、調査開発、飲食店、宿泊施設の運営、ビジネスライセンスなど行う「場クリエーション」という会社も立ち上げました。今回撮影をしていただいている「Fu Hoo Cafe」や「105(One Zero Five)」というナチュラルワインを取り扱うワインバーも「場クリエーション」で手掛けています。

大澤晃佑が作った「Fu Hoo Cafe」の照明

壁にぶち当たってもリミットを設けて継続することも大切

――さまざまな国を経験されていますが、ハノイに来てよかったと点はどこでしょうか?

大澤:僕は総合ポイントで国を見ているところがあって、みなそれぞれいい面もあれば悪い面もあるので、ベトナムが突出していいというわけではなく、メキシコもスイスも同じくらいいい国だと思います。ただ、ベトナムに限らず、海外で働いてきてよかったことと言えば、さまざまな国での経験によって、異なる視点を持つことができるようになったことはよかったなと思います。

また、ベトナムはかつての日本のように、人との繋がりがまだしっかりとある国なので、そこはとてもいいなと思います。この「Fu Hoo Cafe」も、地域や人との繋がりになる場になるといいなと思って始めたので、そういう意味ではとてもいい環境ではないでしょうか。

――今後は、どのようなことを手掛けていきたいですか?

大澤:「場クリエーション」で「Fu Hoo Cafe」や「105(One Zero Five)」を手掛けていますが、プロジェクトで調査をしていく上で見つけた新しい発見や面白いことを少しずつ事業化していきたいと思っています。取得しているビジネスライセンスが一つではないので、例えば飲食店と宿泊施設とギャラリーの複合ビジネスを考えたりもしています。

――人生のキャリアや進路に悩む方にアドバイスをするとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

大澤:僕の大学の同級生や設計事務所で働いていた友人には、それまでの経歴を捨ててまったく別のことをしている人もいます。道半ばにして諦めてしまうのは、壁にぶち当たったり、才能に限界を感じたりするからということがほとんどだと思います。もちろん、そこで別の道を進んだり、新しいことに挑戦することも一つの選択だと思うのですが、やはり継続することも大切だと思うのです。

僕自身、過去に何度も諦めようと思ったり、転職しようと思ったことがあります。しかし、悩みながらも続けてみると、半年後には「やっぱりこのままいけるかもしれない」と不思議と思えるようになるのです。悩んでは続けての繰り返しですが、そうすることで自分の道を切り開いていけるのではないかと思います。

また、何かうまくいかないことがあっても3カ月というリミットを設けて取り組んでみることも大切。僕も「まずは3カ月頑張って業績を上げてみよう」と頑張った結果、仕事が入ってきたり、カフェの業績を黒字にできたりと、目標にしていたことを全部達成することができました。この「3カ月リミット」は、今でも忘れないようにしていることの一つです。

Profile/大澤晃佑(おおさわ・こうすけ)

埼玉県生まれ。高校中退を経て、21歳で通信高校で高卒取得。
2009 多摩美術大学 デザイン学科 卒業
2009–2010 日本政府海外留学交換プログラム(外務省)にてメキシコへ留学
2009–2012 Fernando Romero(LAR / FREE) メキシコ事務所勤務
2012–2014 5+1 Design 、メキシコ
2015–2017 Atelier Oï 、スイス
2015–2018 スイス・ベルン応用科学大学 Joint Master of Arts in Architecture 修士課程 修了
2018-2021 Group 8 Asia、 ベトナム
2021– 5+1 Design (建築、内装設計 ) ベトナム
2024– Ba Creation Jsc, (場づくり、調査開発、企画運営)、ベトナム
大澤晃佑Instagram

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