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「私の父はもう死んだ」40代で認知症と診断ーー高校生の娘がした"現実逃避"

  • 2026.1.19

36歳になってから、SNSで育児日記として漫画を描き始めた吉田いらこ(@irakoir)さん。彼女が長年胸に秘めてきた家族の物語がある。それは1990年代、まだ「認知症」という言葉すら浸透していなかった頃の出来事だ。

始まりは、父の「異常ないびき」「頭痛」だった。病院で判明したのは脳の腫瘍。緊急手術が決まっても、吉田さんには現実感がなかったという。しかしこれが、優しかった父との別れ、そして23年にわたる壮絶な介護生活の幕開けであった。

本記事は、吉田さんがブログで公開している「若年性認知症の父と私」をベースに取材したもの2025年2月には、当時の詳細な物語をより深く描いた『家族を忘れた父親との23年間』がKindleで出版された 知られざる23年間の軌跡を、彼女の視点から紐解いていく。

向き合い方の正解を探して。妹が選んだ「対等な衝突」

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『若年性認知症の父と私』16話 吉田いらこさんとは反対に、父に対して『対等な怒り』をぶつけていた妹さん

父の理不尽な言動に対し、吉田さんは「はいはい」と聞き流して合わせるタイプだった。一方、妹さんは「違うものは違う」とはっきり伝える。正論をぶつける妹さんは時に父を激昂させたが、吉田さんは今、こう振り返る。「妹のほうが父をひとりの人間として扱っていたのではないか」と。

ーー姉妹で、お父様への接し方に違いがあったのですね。

吉田いらこ(以下、吉田): 私は波風を立てるのが嫌で、父が無理なことを言っても「分かったよ」と適当に合わせて流していました。でも妹は、父が何度も「コーヒーを飲みたい」と言い張れば「さっき飲んだからダメ。体にも良くない」とはっきり言う。それで父を怒らせることもありましたが、今思うと妹は父を「病人」として遠ざけるのではなく、一人の「人間」として対等に向き合おうとしていたのだと感じます。

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『若年性認知症の父と私』16話 優しかった父に、初めて『拳を振り上げられた』シーン

ーーどちらの接し方が良かったのか、今でも考えることはありますか?

吉田: どちらが「優しさ」だったのかは、今でも分かりません。私は腫れ物に触るように接することで、逃げていただけだったのかもしれませんし、妹は真正面から向き合った分、私以上に傷ついていたはずです。ただ、そんな対話の葛藤さえ、父が徐々に家族を忘れ、私たちのことさえ認識できなくなっていく残酷な時間の前では、あまりにも無力でした。

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『若年性認知症の父と私』19話 妹とは反対に「今のお父さんは別人」と考えるようになった吉田いらこさん


▶︎ そんなふうに思っている自分って…【本編を読む】

#1 変わらぬ愛を誓えますか?…
#1 変わらぬ愛を誓えますか?…

取材協力:吉田いらこ
書籍情報:『家族を忘れた父親との23年間』(Kindle版)

1990年代、脳腫瘍から認知機能に障害を抱えた父。混乱する家庭、薄れゆく記憶、そして壮絶な介護の果てに家族が見つけたものとは。SNSで大きな反響を呼んだ実体験コミック。