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11月中旬までは「最高傑作の大河」だったのに…「べらぼう」で歴史ファンが一気に興ざめした残念なシーン5選

  • 2025.12.14

NHK大河「べらぼう」が最終回を迎える。歴史評論家の香原斗志さんは「全体を通じておもしろかった。だが、史実として確立している出来事を架空の設定で捻じ曲げてしまったのは非常に残念だった」という――。

『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 完結編』(作:森下佳子/監修:NHKドラマ制作班/編:NHK出版
『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 完結編』(作:森下佳子/監修:NHKドラマ制作班/編:NHK出版
「べらぼう」からあえて選ぶ残念なシーン5つ

近年のNHK大河ドラマのなかでも、とくに「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は歴史ドラマとして質が高かった。少なくとも最終盤を迎えるまではそう思っていた。主人公の蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が生きた時代の空気が感じられ、彼らの考え方や感じ方がていねいに再現されていたからである。

歴史ドラマの制作は難しい。史料等でたしかめられることには限りがあるので、フィクションが不可欠だが、当該の時代ならありえたリアリティをともなわなければ、歴史を装ったドラマに留まってしまう。また、歴史ドラマだと思って観ている視聴者に誤解をあたえてしまう。

たとえば、2023年放送の「どうする家康」では、徳川家康(松本潤)の正室の築山殿(有村架純)は戦いくさの虚しさを家康たちに説き、隣国同士で不足物を補填し合い、武力ではなく慈愛の心で結ばれれば戦は防げる、と訴えた。しかも、その話に家康や重臣たちは納得してしまった。

だが、戦国時代には、大名の領国の境界は常に敵の脅威にさらされ、戦わなければ敵の侵攻を許し、戦う意志を示さなければ、味方にも見限られてしまった。その状況で「慈悲の心で結ばれる」などという発想は、決して生まれない。築山殿の想念はあくまでも現代人のもので、そんな視点を持ち込んだ途端に、歴史ドラマは空想劇に堕してしまう。

一方、「べらぼう」は18世紀後半の安永、天明、寛政という時代の空気が濃厚だったという点で、ケチをつけにくいのだが、あえて残念な5つの場面を選ぶこととする。史実と違う場面があったなら、どう違ったのか知っておいても損はないと思うからである。

町人と政治を同時に描く難しさ

第5位は、歴史ドラマに不可欠である一方、両刃の剣にもなった側面を挙げておく。蔦重を中心とする町人の世界と、徳川家や幕閣を中心とする政治の世界がパラレルで描かれた点である。それによって時代の全容が、両者がからみ合って時代を動かすダイナミズムとともに立体的に描かれ、筆者にはおもしろかった。一方、両者の関係がつかみにくいという声もよく聞こえた。

ただ、それは脚本やドラマのつくり方の問題ではない。蔦重および吉原の連中やアーティストたちは、基本的には政界との直接のつながりはない。だが、彼らは政治の決定に否応なく翻弄される。

だから、政治の世界を描く必要があるのだが、それを蔦重が中心の世界に違和感なく絡めてドラマを進行させるのは難しい。町人を主人公にした大河ドラマで政治を見せることの難しさが浮き彫りになった、といえる。

第4位も大きな問題ではないが、田沼意次(渡辺謙)の悲嘆を色濃く描こうとして、リアリティが失われたと感じられた場面である。

田沼意次像
田沼意次像(画像=牧之原市史料館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

第27回「願わくば花の下にて春死なん」(7月13日放送)で、意次の嫡男の意知(宮沢氷魚)は、殿中で佐野政言(矢本悠馬)に斬りかかられて深手を負い、第28回「佐野世直大明神」(7月27日放送)でこと切れた。

田沼意知の妻子は意図的に隠されたのか

時は天明の大飢饉の最中。意知は米価高騰の元凶のように誤解されていた折から、テロを敢行した佐野が「世直し大明神」と讃えられた。そんな現代にも起こりうる民衆のゆがんだ欲求もよく描かれていたが、意知が絶命する場面が不自然だった。

意知は老中の松平康福の娘を正妻に娶っており、男児も3人いた。それなのに、意次と側近の三浦庄司(原田泰造)だけに看取られ、意次の号泣に包まれるのでは、お涙ちょうだいを意識した結果にしても、やはり不自然ではないだろうか。「べらぼう」では、意知が吉原の花魁の誰袖(福原遥)と恋仲だという設定だった。ひょっとして、その純愛イメージを維持するために妻子を隠したのか。それもまた不自然だろう。

第3位は、蔦重の喜多川歌麿(染谷将太)への態度を挙げる。第42回「招かれざる客」(11月2日放送)では、蔦重が歌麿を商売道具としてしか見ていない、と思われるやり取りがいくつかあった。なかでも次の場面がひどかった。

蔦重は吉原の「忘八」たちに、女郎の大首絵の揃いものを出さないかと持ちかけ、歌麿が50枚の女郎絵を描けば、蔦重が吉原に借金100両を返済したとみなす、という約束を取りつけた。だが、この話は歌麿への事前の打診がまったくなかったのである。

11月中旬までは優れた歴史ドラマだった

さすがに歌麿は、自分の仕事を勝手に決めた蔦重が許せない。だが、抗議しても蔦重の返答は、「正直なとこ、あらたな売れ筋がほしい。頼む、身重のおていさんに苦労をかけたくねえんだよ」。それを受け、歌麿は蔦重のもとを離れる決心をする。実際、蔦重の妻が妊娠していることなど、歌麿には関係ない。蔦重の要求はあまりに自分本位で、歌麿の立場も心情も無視していることに、うんざりした視聴者も多かったのではないだろうか。

もっとも、蔦重のプロデューサーという立場を考えれば、この程度の押しつけがあっても不自然ではない。ただ、大河ドラマの主人公の言動としては、歌麿ばかりか視聴者も離れはしないかと心配になった。

読者はここまで読んで、「べらぼう」のワーストとはその程度か、難癖に近いのではないか、と思ったかもしれない。第3位までに関しては、そういわれても仕方ない。実際、第44回ぐらいまでは、派手さこそないが、史実や最新の研究結果にも忠実で、時代の空気も濃厚に描かれたすぐれた歴史ドラマだった。

だが、第45回「その名は写楽」(11月23日放送)で驚かされた。蔦重は役者絵を出し、それが平賀源内(安田顕)の作だという噂を立て、話題をつくることを思いつく。そして、旧知の絵師や戯作者を集めて制作チームをつくった。だが、うまくいかないところに、第46回「曽我祭の変」(11月30日放送)でチームに歌麿が加わり、歌麿を中心に手分けをして写楽の作品を制作した。この展開を第2位に挙げる。

東洲斎写楽筆「市川鰕蔵の竹村定之進」(東京国立博物館所蔵)
東洲斎写楽筆「市川鰕蔵の竹村定之進」(東京国立博物館所蔵)出典=国立文化財機構所蔵品統合検索システム
写楽の正体は既に判明しているのに

たしかに、140点ほどの作品を世に問うたのち、わずか10カ月ほどで姿を消した写楽の正体は、日本史上における大きなミステリーだったが、現在ではだれであったか特定されている。それは阿波徳島藩主のお抱えの能役者、斎藤十郎兵衛である。その説は斎藤月岑の『増補浮世絵類考』などに書かれながら、十郎兵衛の実在が確認できなかったのだが、近年、複数の記録で明らかになっている。

それなのに、あらたに「歌麿を中心としたチーム説」を打ち出す意味がどこにあったのだろうか。「べらぼう」の登場人物のなかでも一、二を争う知名度の写楽の正体を、やはり一、二を争う知名度の歌麿を中心としたチームとする――。正直にいえば、筆者はドラマとしてはとてもおもしろいと思った。だが、心配なのは歴史への誤解が生じることである。

フィクションによる新機軸を打ち出す場面は、もっと史実があいまいな箇所から選んでほしかった、と思わざるをえない。

そして第1位も、「チーム写楽」からつながっていく。

失脚した松平定信(井上祐貴)を中心に、大奥総取締の高岳(冨永愛)、田沼意次の側近だった三浦庄司、火付盗賊改方の長谷川平蔵(中村隼人)らが、じつは同じ一橋治済(生田斗真)、すなわち将軍家斉(城桧吏)の実父に貶められてきたと気づいて集まり、蔦重も強引に仲間に引き込んだ。

続いて第46回で、「べらぼう」では治済が殺した平賀源内が、じつは生きていると治済に信じさせるために写楽が考案された。そして、治済を町におびき出し、消そうというたくらみが進行したのである。

替え玉でなかったと証明はできないが…

そんなたくらみがあった、という描写だけならいい。実際、第46回では治済に事前に察知され、松平定信の配下の者や、治済を町におびき出す役割を負った元大奥女中で家斉の乳母でもあった大崎(映美くらら)が、毒饅頭を食わされて死んだ。

定信らの復讐劇もここまでか、と思われたが、第47回「饅頭こわい」(12月7日放送)で、復讐は成就してしまったのである。

蔦重が、将軍を巻き込めば治済をおびき出せると提案し(町人がそんな案を思いつくだろうか、思いついたとして、町人の案を将軍の孫の元老中が受け入れるだろうか)、実父の悪行に気づいた家斉は策略に乗った。そして、御三卿の清水重好(落合モトキ)の茶の席に親子で出席し、眠り薬を飲まされた挙句、治済は捕獲されて阿波の孤島に送られた。

阿波というのがミソで、前述のように写楽の正体は、阿波徳島藩の能楽師、斎藤十郎兵衛だった。「べらぼう」ではこの斎藤十郎兵衛を治済に瓜二つの人物とし、本物の治済を捕縛したのち、この十郎兵衛を治済の替え玉として一橋家に送り込んだのである。むろん、史実の治済はこの時点から30年以上も存命し、官職も従一位准大臣にまで上り詰めた。もっとも、それが替え玉ではなかったと証明することはできないが。

徳川治済の肖像
徳川治済の肖像(写真=『改訂版 一橋徳川家名品図録』茨城県立歴史館、2011/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
「水戸黄門」のようになってしまった

脚本家はこれまで時間をかけ、一橋治済が背後で糸を繰って人の命を奪いながら、自分に都合のいい状況を創り上げるのを見せてきた。その伏線的な仕掛けは、この記事の第5位で触れたように、その時点ではわかりにくかったにせよ、最後の最後でこうして一挙に回収された。

その手腕は見事であり、留飲を下げた視聴者も多かったと想像する。筆者も見ていておもしろかった。

だが、やはり考えてしまう。これは歴史ドラマのおもしろさではなく、娯楽的なサスペンスのおもしろさに近く、もっといえば、「水戸黄門」のようなチャンバラ娯楽時代劇のおもしろさである。幕藩体制という巨大な全国支配ネットワークのトップに替え玉が送り込まれ、そのまま機能するという設定ほどのナンセンスはない。

たしかにおもしろかった。だが、大河ドラマとチャンバラ時代劇との境界がきわめて曖昧になってしまった、という感想をどうしても拭うことができないのである。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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