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35年前、“穏やかな余韻”に包まれた“CMソング” 結婚前に放たれた“ラストシングル”

  • 2026.1.29

1991年1月。街にはまだバブルの余熱が残り、CMも音楽も、どこか明るく、どこか軽やかだった。そんな空気の中で流れていたのが、ふと立ち止まるような、穏やかな余白を持つ一曲だった。

派手な別れの言葉も、劇的な演出もない。ただ、風が通り抜けるように、ひとつの時代がそっと後ろへ流れていく。その静けさに、当時は気づかないまま、耳を傾けていた人も多かったはずだ。

薬師丸ひろ子『風に乗って』(作詞・作曲:上田知華)――1991年1月30日発売

ひとつの節目として置かれた15枚目

『風に乗って』は、薬師丸ひろ子にとって15枚目のシングルにあたる。1980年代を通じて、映画と音楽の両輪で時代を象徴する存在だった彼女は、この頃すでに「国民的」という言葉が自然に似合う位置にいた。

本作は、彼女自身が出演したNTT「パジャマ・コール」のCMソングとして制作され、日常の中に静かに溶け込む役割を担っていた。強く主張するのではなく、生活の隙間に寄り添うように流れる楽曲。その性格は、薬師丸ひろ子という表現者の成熟をそのまま映している。

風のように軽やかで、芯のあるメロディ

作詞・作曲を手がけたのは上田知華。この曲の最大の特徴は、過度な抑揚を避けながらも、旋律の中に確かな温度を宿している点にある。軽やかでありながら、決して薄くはならない。その絶妙なバランスが、聴き手に安心感をもたらす。

編曲を担当した清水信之のサウンドも、華美な装飾を施さず、メロディと歌声の輪郭を丁寧に浮かび上がらせている。

前に出すぎないのに、聴き終えたあとに静かに残る余韻。それは、強さを誇示しない大人のポップスとして、非常に完成度の高い佇まいだった。

歌声が語る「今」の薬師丸ひろ子

この時期の薬師丸ひろ子の歌声は、少女性と成熟のあいだを行き来している。無理に感情を押し出すことはなく、言葉のひとつひとつを丁寧に置いていくような歌唱。その姿勢が、この曲の空気感と見事に重なっている。

かつての瑞々しさを失ったわけではない。ただ、そこに落ち着きと視野の広さが加わっている。

「歌い続ける人」ではなく、「表現を選び取る人」へと移行していく過程が、この一曲には確かに刻まれている。

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1992年、映画『きらきらひかる』で映画復帰した薬師丸ひろ子(C)SANKEI

アルバムと、その先にあった静かな決断

『風に乗って』がリリースされた同月、薬師丸ひろ子は結婚を機に、歌手活動から距離を置くことを選んだ。そのため、同年3月、アルバム『PRIMAVERA』が発表されるが、結果として本作は、結婚前にリリースされた最後のシングルとなり、その後、1997年の『交叉点 〜そう それがそう〜』(作詞: 阿久悠・作曲: 玉置浩二)まで、シングル作品は発表されていない。

この事実を踏まえて聴くと、『風に乗って』が持つ穏やかな空気は、偶然とは思えない。終わりを告げるための曲ではないのに、自然と「区切り」を感じさせる不思議な力がある。

大きなヒットや劇的なエピソードが語られることは少ない。それでも『風に乗って』は、1991年という時代の中で、確かに存在していた「静かな選択」を象徴する一曲だ。

前に進むために声高に叫ぶのではなく、立ち止まることを恐れない。その姿勢は、今あらためて聴くと、驚くほど誠実に響いてくる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。