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40年前、ワコールCMから流れた“未完成だけど上品なメロディ” 繊細で“透明な美学”

  • 2026.3.12

1986年という時代が持っていた、どこか熱に浮かされたような華やかさ。その一方で、都市の喧騒から少しだけ離れた場所には、誰にも触れられたくないような静謐な時間が確かに流れていた。テレビ画面の向こう側で、アイドルたちが競うように声を張り上げる中、ある一人の表現者が放つ空気感は、あまりにも潔く、そして耽美的なほどに澄み切っていた。

渡辺典子『ここちε』(作詞:三浦徳子/作曲:タケカワユキヒデ)ーー1986年3月5日発売

彼女が放った6枚目のシングルは、チャートの数字や派手な記録という指標では語り尽くせない、音楽的な「純度」そのものを結晶化したような作品であった。

柔らかな風が、そっと肌をなでるような“絶対領域”

1980年代、稀代のクリエイターたちが日本のポップスを塗り替えていく中で、彼女の立ち位置は常に独特であった。薬師丸ひろ子・原田知世とともに「角川三人娘」の一人として銀幕の寵児となりながらも、彼女の歌声には、他の誰にも真似できない「影」と「光」が絶妙なバランスで同居していた。

この楽曲において、その特性は最高純度の形で表出している。ワコールのCMソングとして記憶されている方も多いだろうが、そこにあるのは単なる商品の背景音楽としての役割を超えた、肌に直接触れる布地のように繊細な感覚の言語化であった。

タイトルの「ε(イプシロン)」はアルファベットの「E」を表している。ワコールの商品名ではあるが、ギリシャ文字が持つ、どこか数学的でありながら神秘的な響きが、目に見えないほど微細な心の揺れを、美しく描き出したようにも感じさせてくれる。

楽曲が流れた瞬間、私たちは春の光の中に放り込まれる。しかしそれは、目を焼くような強烈な太陽ではなく、レースのカーテン越しに差し込む、柔らかで温度の低い光だ。シンセサイザーの透明な音像が、幾層にも重なり合いながら、聴き手の意識を日常の重力から解き放っていく。

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渡辺典子-1984年撮影(C)SANKEI

研ぎ澄まされた旋律が描き出す、未完成のままの楽園

作曲を手がけたのは、ゴダイゴのリーダーとして数々の国民的メロディを生み出してきたタケカワユキヒデ。彼の真骨頂である、キャッチーでありながらどこか気品漂うメロディラインが、この曲では極限まで削ぎ落とされた形で提示されている。流れるような旋律は、聴く者の感情を無理に揺さぶるのではなく、静かな水面に一滴の雫を落としたときに広がる波紋のように、自然に、そして深く浸透していく。

その旋律に都会的な洗練を与えたのが、編曲の中村哲だ。当時の最先端のデジタル技術を駆使しながらも、血の通った温もりを失わない音作り。厚みのあるベースラインと、きらめくようなキーボードの装飾。それらが緻密に編み込まれることで、楽曲には「永遠に終わらない午後」のような不思議な浮遊感が生まれている。

そして、三浦徳子による歌詞が、この抽象的な音の世界に確かな「温度」を吹き込んだ。直接的な恋の物語を綴るのではなく、五感に訴えかけるような言葉の選択。心地よさという、定義しようとすれば指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を、彼女はあえて詩的な断片として繋ぎ合わせた。その言葉たちは、歌い手である渡辺典子の凛とした佇まいと重なり合い、聴く者の記憶の奥底にある「かつて出会ったことのある懐かしい風景」を鮮やかに呼び覚ますのである。

静寂を纏う表現者が、銀幕の影から放った“秘密の輝き”

当時の彼女は、映画やドラマで多忙を極める中、歌という表現の場において、自らの内面にある繊細な感受性を大切に育てていたように思う。声を張り上げて存在を誇示するのではなく、消え入るような吐息の中にこそ、真実の感情を込める。そのストイックなまでの表現様式は、当時のアイドル歌謡の枠組みを静かに逸脱していた。

『ここちε』での彼女のボーカルは、驚くほど自然体だ。作為的なビブラートや過剰な感情移入を排し、言葉の響きそのものを慈しむように歌われる。その危ういまでの透明感は、1986年の日本の豊かさの絶頂にありながら、どこか実体のない不安を抱えていた時代の空気を見事に捉えていた。

この曲を聴くとき、私たちは自分自身の内側にある「静かな場所」へと帰っていくような感覚に陥る。それは、誰にも邪魔されない、自分だけの美学を再確認するための儀式のようでもある。ヒットチャートの狂騒とは無縁の場所で、この楽曲は40年もの間、知る人ぞ知る「秘密の宝石」として輝き続けてきた。

永遠に色褪せない、心の深層に溶けゆくパステル

音楽がデジタルなデータとして瞬時に消費される現代において、この楽曲が持つ「質感」は、より一層の輝きを放っている。便利になりすぎた世界で、私たちが失いかけているのは、こうした「言葉にできない心地よさ」を丁寧に享受する余裕ではないだろうか。

返事のない問いかけを繰り返すような、あるいは鏡に向かって独り言を呟くような、この曲の静かな余韻。それは、あの日から今日まで、変わることなく私たちの心の隙間を埋めてくれている。たとえ時代がどれほど移ろおうとも、本質的な美しさは決して古びることがない。むしろ、時間が経てば経つほど、その純度は増していくものだ。

40年前の春、街の角でふと耳にしたあのメロディ。その一瞬の記憶が、今の私たちの日常に彩りを与え、少しだけ呼吸を楽にしてくれる。渡辺典子という表現者が、あの瞬間にしか残せなかった奇跡のような旋律。それは今も、春の風に乗って、誰かの肌をそっと撫で続けているのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。