1. トップ
  2. 20年前、平成の歌姫が放った“あまりに攻撃的なサウンド” アドレナリンを沸騰させる“緻密な音”

20年前、平成の歌姫が放った“あまりに攻撃的なサウンド” アドレナリンを沸騰させる“緻密な音”

  • 2026.3.15

2006年3月。日本の音楽シーンは、ミリオンセラーが当たり前だった時代の熱狂が静かに落ち着きを見せ始め、同時にデジタル配信という新たな波が既存のパッケージ文化を侵食し始めていた過渡期にあった。

街にはまだ、大型CDショップの看板が誇らしげに掲げられ、新作リリースのたびにその店頭が特定のアーティストの色に染め上げられる光景が日常として存在していた。そんな変革の予兆が漂う空気の中、一人の時代を象徴する歌姫が放った39枚目のシングルは、とてつもなく攻撃的な一曲となった。

浜崎あゆみ『Startin'』(作詞:ayumi hamasaki/作曲:Kazuhiro Hara)ーー2006年3月8日発売

デビューから走り続け、頂点に君臨し続ける者が抱える焦燥と、それでもなお前進し続けるという不退転の決意。その内面的な葛藤を、単なる感情の吐露ではなく、極めて高い純度を誇る「ハイブリッド・サウンド」へと昇華させたのがこの作品である。

喧騒を切り裂く、緻密に計算された「静と動」の設計図

この楽曲の核心を語る上で避けて通れないのが、編曲を手がけたCMJKによる圧倒的なサウンドプロデュースの妙である。かつて電気グルーヴのメンバーとして日本のテクノ・エレクトロシーンの黎明期を支え、その後も数々の先鋭的なサウンドを構築してきた彼の手腕が、ここではポップミュージックの枠組みを根底から揺さぶるような破壊力を持って発揮されている。

イントロが流れた瞬間に確信する。これは、既存の歌謡曲の延長線上にあるロックではない。耳をつんざくような電子音と、歪みを極限まで高めたギターリフが、幾層にも重なり合いながらひとつの巨大な音の壁を作り出していく。 それはまるで、デジタルなノイズが肉体的な鼓動を飲み込んでいくような、倒錯した快感を伴う音像だ。

CMJKが仕掛けたこの重層的なアレンジは、当時の「ラウドロック」の潮流を巧みに取り入れながらも、都会的な洗練を失っていない。無機質なはずの打ち込みのビートに、あえて不規則な揺らぎやノイズを混入させることで、楽曲全体に「焦燥」という名の体温を宿らせているのだ。 この緻密な音の設計こそが、聴き手のアドレナリンを否応なしに沸騰させる。

孤独な戦士の咆哮を支える、厚みのある音像の正体

作曲を担当した原一博によるメロディは、そうした過激なアレンジをもしっかりと受け止めるだけの強固な骨格を持っている。サビに向かってなだらかに上昇していく旋律は、一歩間違えればキャッチーさに流されてしまう危うさを持っているが、そこにCMJKの「毒」のある編曲が加わることで、唯一無二の緊張感が生まれている。

彼女のボーカルもまた、この重厚なサウンドに負けないほどの鋭さを研ぎ澄ませている。 2006年という、彼女自身のキャリアにおいても表現者としての円熟期を迎えつつあった時期。声を張り上げるだけの力技ではなく、言葉の語尾に残るわずかな歪みや、ブレスの隙間にまで意志を宿らせるような歌唱法。それが、重厚なギターサウンドの間隙を縫うようにして、聴き手の脳内に直接響いてくる。

特にサビで見せる、開放感と抑圧が同居したようなハイトーンは圧巻だ。何十層にも重ねられたバッキングトラックの中で、彼女の声は決して埋もれることがない。それは単に音量のバランスの問題ではなく、声そのものが持つ「芯」の強さが、CMJKによるデジタルな装飾を突き破って迫ってくるからだろう。デジタルとアナログ、無機と有機。相反する要素が火花を散らしながら融合していくプロセスが、この曲の中に凝縮されている。

undefined
2002年10月、「日中国交正常化30周年特番」の会見に出席した浜崎あゆみ(C)SANKEI

時代を穿つ、エレクトロ・ロックの到達点

2000年代中盤、J-POPのフィールドではR&Bやヒップホップの要素を取り入れた楽曲が主流となりつつあった。しかし、この『Startin'』が提示したのは、それらとは一線を画す「スタジアム・ロックとしてのエレクトロ」という回答だった。それは、かつて90年代のダンスミュージックを通過した世代が、再びギターを手に取り、そこに最新のデジタルテクノロジーを接ぎ木したような、奇妙で美しい実験作のようにも響く。

当時、この曲をテレビや街頭ビジョンで耳にした人々は、そのあまりの音の「強さ」に足を止めたはずだ。それは、日常の平穏をかき乱すような、ある種のアラート音に近い響きを持っていた。タイトルの通り、過去の栄光を自ら破壊し、新たな領土へと踏み出そうとするアーティストの覚悟。その熱量を伝えるために、これほどまでに過剰で、これほどまでに精密なサウンドが必要だったのだ。

あれから20年。音楽を巡る環境はさらに劇的な変化を遂げた。スマートフォンの小さなスピーカーで音楽を消費することが当たり前になった現代において、これほどまでに「音圧」と「音の密度」に命を懸けたプロダクションは、むしろ贅沢で、ある種の高潔さすら感じさせる。

今改めてこの曲のボリュームを上げてみる。そこには、2006年という時代が持っていた熱量が、CMJKの緻密な編曲という名の真空パックによって、当時の鮮烈な色のまま封じ込められている。どれだけ時代が変わろうとも、真に研ぎ澄まされた音の衝撃は、決して錆びつくことはないのだ。 静寂を切り裂くあのノイズが聞こえてきた瞬間、私たちは再び、何かが始まる予感に胸を震わせることになる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。