1. トップ
  2. 40年前、日本中が目を逸らせなかった“危うい輝き” 挑発が話題を超えた“1986年の衝撃”

40年前、日本中が目を逸らせなかった“危うい輝き” 挑発が話題を超えた“1986年の衝撃”

  • 2026.1.13

40年前、テレビの前で思わず動きを止めた人は多かったのではないだろうか?

1986年の日本は、まだ「アイドルとは何か」が強く共有されていた時代だった。だがその一方で、その枠組みに違和感を覚えさせる存在も、少しずつ現れ始めていた。その違和感を、一気に“確信”へと変えた一曲がある。

それは可愛さや親しみやすさで受け止められるタイプの楽曲ではなかった。視線を集め、賛否を生み、説明を拒むような強度を持っていた。

本田美奈子『1986年のマリリン』(作詞:秋元康・作曲:筒美京平)――1986年2月5日発売

最初から「型」に収まらなかった存在

『1986年のマリリン』は、本田美奈子にとって5枚目のシングルにあたる。本田美奈子は、デビュー当初からいわゆる王道アイドル像に完全には回収されない存在だった。声量のあるボーカル、ロック的な張りを持つ歌唱、そして舞台映えする身体性。すでにそこには、無垢さよりも“強度”があった。

その個性を、あえて曖昧に包まず、真正面から提示したのが『1986年のマリリン』だったと言える。

作詞を手がけた秋元康は、当時すでに勢いのあった作家だった。彼の言葉は、感情を説明しすぎず、余白と刺激を同時に残す。そこに筒美京平の軽快で切れ味のあるメロディが重なり、単なる派手さでは終わらない緊張感が生まれた。

undefined
1986年、渋谷公会堂で行われた本田美奈子のコンサートより(C)SANKEI

視線を集めた“身体ごと鳴る表現”

この曲が社会的なインパクトを持った最大の理由は、音だけに留まらなかった点にある。ステージ上の本田美奈子は、歌うだけでなく、身体全体で楽曲を提示していた。

特に話題となったのが、ヘソ出しルックの衣装と、サビでの大胆なダンスだ。腰を大きく使ったその動きは、当時のアイドル像から明確にはみ出していた。

しかし、それは単なる扇情性ではない。

歌、衣装、振り付けが分断されず、ひとつの表現として成立していたことが、このパフォーマンスを特別なものにしている。

無理に背伸びをしている印象がなかったのは、元々彼女が持っていた身体表現の説得力が、そのまま表に出てきたからだ。

1986年という時代と交差した“危うさ”

1986年は、バブル景気へと向かう直前の過渡期だった。表向きには明るさがありながら、その裏では価値観が揺れ始めていた時代でもある。

『1986年のマリリン』が放った“危うさ”は、まさにその揺らぎと重なっていた。

安心して消費できる存在ではない。だが、目を離すこともできない。その緊張感こそが、多くの人の記憶に焼き付いた理由だろう。

ランキングでも存在感を示したこのシングルは、ヒット曲であると同時に、「アイドル表現の幅」を確実に押し広げた一作だった。

外したのは殻ではなく、最初から合っていなかった枠

今あらためてこの曲を振り返ると、過激さよりも、むしろ誠実さが際立つ。与えられたイメージに収まるのではなく、自分に備わっていた要素を、そのまま差し出す。その姿勢が、40年を経ても古びない理由だ。

『1986年のマリリン』は、変身の物語ではない。自らをそのまま差し出した瞬間の記録である。だからこそこの曲は、懐かしさだけで語られない。

1986年という時代の空気とともに、今もなお、強い輪郭を保ったまま鳴り続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。