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30年前、大人気バンドが放った“問いかけ” 世界の悲劇をラブソングに置いたワケ

  • 2026.1.14
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※Google Geminiにて作成(イメージ)

「30年前、あの夜に流れていたニュースを覚えている?」

1996年2月。テレビをつけっぱなしにした夜の部屋には、ニュースキャスターの無機質な声が流れ、窓の外では街が何事もなかったように息をしている。世界のどこかで起きた悲劇と、自分の部屋の静けさ。その落差に、説明のつかない違和感を覚えたことがある人は少なくないはずだ。

THE YELLOW MONKEY『JAM』(作詞・作曲:吉井和哉)――1996年2月29日発売

この曲は、そんな「夜の感覚」そのものを、そっと音に閉じ込めたような一曲だった。

世界の出来事が、突然こちら側に滲み出す瞬間

『JAM』は、THE YELLOW MONKEYの13枚目のシングルとしてリリースされた。ラブソングでありながら、そこに描かれるのは甘さだけではない。むしろ、世界の冷たさと、個人の幸福が、同じフレームの中に置かれている。

象徴的なのが、ニュース速報を思わせるフレーズだ。

「外国で飛行機が落ちました」

「乗客に日本人はいませんでした」

この言葉が持つ残酷さは、事故そのものではなく、その続報にある。悲劇を聞きながらも、「日本人はいなかった」という一文によって、どこか胸をなで下ろしてしまう感覚。その一瞬の安堵を、吉井和哉は容赦なく歌詞に刻み込む。

繰り返される「いませんでした」のフレーズ。ここには、糾弾も説教もない。ただ事実として置かれるからこそ、聴き手自身の中にある“冷たさ”が否応なく照らし出される

ラブソングでありながら、世界から逃げない

それでも『JAM』は、決して世相だけを描く曲ではない。歌の中心には、確かに「君」と「僕」がいる。抱きしめたい気持ち、寄り添いたい夜、眠りにつく前の静かな時間。その親密な感情があるからこそ、世界の悲劇がより生々しく浮かび上がる。

愛している人が隣にいることと、世界が壊れていることは、同時に成立してしまう

その事実を、この曲は否定しない。

だから『JAM』は、優しいだけのラブソングにはならない。世界を忘れるための恋ではなく、世界を知ったまま、それでも手を伸ばす恋。その矛盾を抱えたまま進む姿勢こそが、この曲を“最高のロックバラード”にしている。

抑えずに叫ぶ声が、問いを突き刺す

『JAM』のサウンドは、決して穏やかではない。ピアノとオルガンが冷たい空気を広げる一方で、バンドは一歩も引かず、ロックバンドとしての輪郭を明確に刻み続ける。派手なギターリフはないが、音は常に緊張をはらみ、感情を内側に溜め込んだまま前進していく。

その上で鳴り響く、吉井和哉のボーカル。この曲で彼は、確かに叫んでいる。だがそれは、拳を振り上げるような叫びではない。世界の理不尽を前にして、行き場を失った感情が、そのまま声になって噴き出すような叫びだ。

声は荒れ、時に掠れ、感情の制御を拒む。それでも歌は崩れない。バンドの演奏が、叫びを受け止め、ロックとして成立させているからだ。その構造があるからこそ、歌詞はメッセージではなく、生身の実感として突き刺さる。

答えを提示するために叫んでいるのではない。分からないまま、納得できないまま、それでも声を上げてしまう。その姿勢そのものが、この曲の問いになっている。

だから『JAM』は、聴き終わっても終わらない。ニュースを見た夜、誰かを抱きしめた夜、日常のふとした隙間で、あの声が頭の奥で蘇る。それは余韻ではなく、置き去りにされた問いが、まだ鳴っている証拠なのだ。

それでも朝を待つ、その強さ

『JAM』は、世界を変えようとはしない。絶望を叫ぶこともしない。ただ、世界の不条理を知った上で、それでも眠り、朝を待つ人間の姿を描いている。

その姿は、決して無力ではない。むしろ、壊れた世界の中で愛を手放さないという、静かな強さに満ちている。

30年経った今も、この曲が胸に残るのは、時代が変わっても、私たちが同じ問いを抱え続けているからだろう。

世界のニュースと、すぐ隣にいる誰か。その間で揺れながら、それでも生きていく。

『JAM』は、その現実を、美しくも残酷なロックバラードとして、今も鳴り続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。