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【46年前の今日】日本アニメの運命を変えた“早すぎた傑作” “興行的苦戦”を強いられた名作とは

  • 2025.12.15
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※Google Geminiにて作成(イメージ)

1978年、冬。 前作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』が記録的なヒットを飛ばし、世間がハードボイルドでキザな「赤いジャケット」のルパンに熱狂していた時代。

翌1979年の12月15日、一本の映画『ルパン三世 カリオストロの城』がひっそりと公開された。 監督は、当時まだ映画監督としては無名に近かった宮崎駿。彼が描いたのは、泥臭いフィアットに乗り、カップラーメンをすする、緑のジャケットを纏った「優しいルパン」だった。

宮崎駿、映画初監督作の「光と影」

今でこそ国民的アニメとして金曜ロードショーの常連となっている本作だが、公開当時の興行収入は前作を大きく下回った。

しかし、数字には表れない熱量が、当時のスクリーンの前には確かに渦巻いていた。これは、「ルパン三世」というアイコンを再定義し、のちの日本アニメの運命を変えた、早すぎた傑作の記録である。

「泥棒」から「英雄」への転換

——宮崎駿が仕掛けた、キャラクターの再構築

当時のファンが求めていたのは、殺しも辞さないニヒルな大泥棒だった。しかし、宮崎駿はその期待を裏切り、ルパンを「中年の倦怠感を抱えた、心優しき騎士」へと変貌させた。

冒頭のカーチェイス。フィアット500が崖を駆け上がり、重力を無視して跳躍するシーン。あそこには、タイヤの軋みやエンジンの振動といった「物理的なリアリティ」と、アニメーション特有の「嘘(誇張)」が奇跡的なバランスで同居していた。

また、本作のルパンは、決してスーパーヒーローではない。失敗もし、怪我もし、少女に対して「おじさん」としての距離を保つ。その人間臭さが、従来のファンを戸惑わせつつも、新たな層の琴線に触れたのだ。

興行的な苦戦と「呪い」

——早すぎた演出と、時代とのズレ

「面白すぎるのに、なぜ客が入らないのか」。関係者は頭を抱えたという。

子供向けにしてはドラマが重厚すぎ、大人向け(従来のルパンファン)にしてはロマンチックすぎた。マーケティングの隙間に落ちた本作は、公開当時、正当な評価を得ることができなかった。

この興行的苦戦により、宮崎駿は一時、厳しい評価にさらされ「冬の時代」を過ごすことになる。業界内でささやかれたそのジンクスは、後に「カリオストロの呪い」と呼ばれるほど長く彼を縛り付けた。

だが、その「時代とのズレ」こそが、本作が流行り廃りを超えた普遍性を獲得した理由でもあった。消費されるエンターテインメントではなく、何度噛み締めても味のする物語。その真価が理解されるには、数年の歳月が必要だったのだ。

「奴はとんでもないものを盗んでいきました」

本作を語る上で避けて通れないのが、ラストシーンの余韻だ。

ルパンはクラリスを連れて行くこともできた。しかし、泥棒の世界に彼女を引き込むことを良しとせず、あえて突き放す。「抱きしめたい」という衝動をこらえ、去っていく背中。その「抑制の美学」に、当時の少年たちは大人の男の矜持(プライド)を見た。

「いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」 銭形警部のこの台詞は、単なるキザな締めくくりではない。ルパンを追い続けてきた宿敵だからこそ言える、最大の賛辞であり、スクリーンを見つめる観客全員の気持ちの代弁だった。

いつまでも色褪せない「蒼さ」

1979年12月15日公開の映画『カリオストロの城』とは何だったのか。

それは、スラップスティックなアクション映画の皮を被った、極めて純度の高い「青春の終わり」の物語だった。

かつて誰もが持っていたはずの純真さや正義感。それを象徴するクラリスを守り抜き、自分たちは汚れた世界へと帰っていくルパン一味。その切なさと爽快感のコントラストは、半世紀近く経った今も、決して色褪せることがない。

宮崎駿が本作に込めた魂は、興行収入という数字の檻を破り、世代を超えて受け継がれる伝説となった。あの緑のジャケットのルパンは、今もどこかで、誰かの心を盗み続けている。


※本記事は執筆時点の情報です