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ファッションは欲望を映すスクリーン。憧れを求め続ける私たちの未来とは【連載・ヴォーグ ジャパンアーカイブ】

  • 2025.12.1
Photo_ Patrick Demaechelier Model: Cara Delevingne
Photo: Patrick Demaechelier Model: Cara Delevingne

外国映画には100%の関税を。そう叫びながら、アメリカがまた閉じていく。ハリウッドにはかねて“白すぎる”という批判があった。人種や文化の多様性をもっと重視するべきだという声が上がったのだ。著名プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインの性加害事件で注目を集めたのは、長年にわたる性差別的な構造だった。世界的な俳優であっても女性の報酬は男性よりも低いという問題もある。性的マイノリティを誰が演じるのかという議論もある。それらが、つまりいわゆるDEI(多様性と公正さと包摂性)と人権尊重の取り組みが、2025年現在の米国内では政権から敵視される“反民主的な行い”になってしまった。それこそ出来の悪い作品のような展開だ。これから映画の都はどうなっていくのだろう。

映画の歴史について書籍を読んでいたら、こんなことが書いてあった。19世紀末、ロイ・フラーというダンサーが「サーペンタイン・ダンス」という踊りで人気を博したという。当時は映像技術の黎明期。フラーは、踊りながらたっぷりとした白い絹の衣装を大きく広げて動かし、そこに花や蝶の映像を投影した。色鮮やかなスポットライトを浴び、幻想的な雰囲気で大人気となったそうだ。まだ今のような映画が誕生する前に、フラーは衣装をスクリーンとして用い、カラフルな照明と舞い踊る体の動きによって映像に息を吹き込んだ。人の目を惹きつけるものは、何より人体。そして踊り。さらには衣服や装飾。フラーはそれらに当時の最新技術の映像を加えた先進的なアーティストだった。

今では私たちはスクリーンに囲まれて暮らしている。シネコンの巨大画面や膝に乗せたパソコンのモニターで映画を楽しみ、作中でハリウッドセレブが纏うハイブランドの服をスマホで検索し、オンラインストアで購入することもできる。セレブみたいな洒落た衣服を身につけて注目を集めたい。財布の余裕をアピールしたい。他人の記憶に強い印象を残したい……。私たちは衣服のデザインや装飾を楽しむだけでなく、衣服というスクリーンに投影される他者の欲望や、衣服によって他者の脳内に照射されるイメージを思い通りにしたいと熱望している。人体を覆う皮膜の上では自意識と他者の視線がせめぎ合い、対話する。見せたがりの自分と、無遠慮に眺める他人。注目される不安と、心ならずも目を奪われてしまう悔しさ。視線を浴びる快楽と、野次馬の強欲。「見たい」「見せたい」「見られたい」が交錯する平面は、世相を映し時代を作り出す現場である。ファッションは、映画そのものだ。

「映画のような人生」という言葉があるが、誰の人生も他人に語れば映画の筋書きのように聞こえるものだ。私たちの身に起きることは、大抵は他の人も経験しているありふれたことである。数奇で特殊な人生を送る人はごく僅かで、ほとんどの人のストーリーは平凡な誰かの人生と大差ない。だからこそ個人的な体験は、常に万人に開かれている。人は他人の苦労話に我知らず自身を重ねて孤独を癒し、他人の思い出話を聞いて過去の瞬間をもう一度生きることができる。あなたも私も、隣に座っている赤の他人も、みんな誰かの眼差しと幻想を映すスクリーンであり、同時に誰かの目に映る作品でもあるのだ。

あなたの体験は、語るそばから聞き手によって切り取られ再構成される。勝手にジャッジされ分類される。私たちは生きている間中100人の見知らぬ自分が誕生してしまうのだ。しかもそれが一体どんな人物なのかを知ることはできない。他人の脳内スクリーンを覗くことはできないのだから。なすすべがなく、なんと理不尽なことだろうか。そんな丸裸の私たちが試みるささやかな抵抗が、服を着るという行為だ。衣服は歪な裸体を包み、無遠慮に品定めする他人の眼差しを受け止め、その印象をあなたの望むように上書きしてくれる。流行最先端のドレスや、立派な制服や、上質な仕立て服や、極彩色のしたい。他人の記憶に強い印象を残したい……。私たちは衣服のデザインや装飾を楽しむだけでなく、衣服というスクリーンに投影される他者の欲望や、衣服によって他者の脳内に照射されるイメージを思い通りにしたいと熱望している。人体を覆う皮膜の上では自意識と他者の視線がせめぎ合い、対話する。見せたがりの自分と、無遠慮に眺める他人。注目される不安と、心ならずも目を奪われてしまう悔しさ。視線を浴びる快楽と、野次馬の強欲。「見たい」「見せたい」「見られたい」が交錯する平面は、世相を映し時代を作り出す現場である。ファッションは、映画そのものだ。コスチュームや、洗いざらしのデニムは、身体という無防備なスクリーンに絶え間なく注がれる無数の視線に真っ向から挑み、あなたが望む自己像を相手の脳内にしっかりと焼き付けてくれる。相手の目をくらませて、心を奪うことだってできる。

眼の起源は、数億年前に海中を漂っていた原始のクラゲのような生き物が、原始の植物プランクトンを捕食してたまたま光を感知する遺伝子を自身の遺伝子に取り込んだことにあるという。見えてしまうのは幸せなのか残酷なのか。人の世が何度も闇を潜りながら、それでも光のある方へと進んでいくことを願う。

Photo: Shinsuke Kojima (magazine) Text: Keiko Kojima Editor: Gen Arai

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