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この秋、京都で民藝を

  • 2025.10.17
旧上田恒次家住宅、柚木沙弥郎「ベネチア風景」、河井寬次郎記念館の木彫作品
BRUTUS

民藝と京都カルチャーとの深いつながりを知る特別展@京都市京セラ美術館

民藝運動の始まりは京都だった——。「民藝」とは民衆的な工藝のこと。京都に住んでいた思想家の柳宗悦のもとへ、陶工の河井寬次郎と濱田庄司が集まったのは約100年前。3人は、当時の柳が興味を寄せていた「木喰仏」の調査旅行に出かけ、その道中で「民藝」の言葉が誕生した。1925年のことだ。

柳が魅せられ、民藝運動のきっかけにもなった木喰仏。江戸時代の遊行僧、木喰上人が各地を巡って制作した木彫りの仏像をさす。関東大震災で被災した柳が1924年に京都へ移り住んだ際、大事に持ってきた一体。木喰上人《地蔵菩薩像》1801年 日本民藝館蔵

現在開催中の『民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美』は、京都を舞台とした民藝運動の草創期に焦点をあてた特別展だ。木工家の黒田辰秋、染織家の青田五良、陶工の河井寬次郎、濱田庄司、バーナード・リーチといったレジェンドたちの工芸作品に加え、関連作家の作品や、柳らが日本全国で蒐集した手仕事など、全部で約170点を展示。

「暮らしの中にある美を見出す」という理念を掲げた民藝運動と、それを支えた京都の町とのかかわりをさまざまな角度から紹介する。民藝の歴史を物語る貴重な作品から、「しゃぶしゃぶは民藝関係者が広めた文化だった!?」なんていうストーリーまで、新鮮な発見があるはずだ。

たとえば「上加茂民藝協団」は、柳の理念に賛同した青田五良や黒田辰秋ら4人の若者が、京都の上賀茂で自給自足の共同生活をしながら制作に励んだ集団だ。本展では、そのわずか2年の活動期間中につくられた超貴重な作品を展示。新しい思想が始まる時の熱や勢いが伝わってくる。

《拭漆欅真鍮金具三段棚》
「上加茂⺠藝協団」は、1927~29年の2年間だけ、京都市上賀茂で活動した制作集団。黒田辰秋がこの期間に制作し、後に河井寬次郎が所有した《拭漆欅真鍮金具三段棚》。1927年 河井寬次郎記念館蔵
《馬ノ目皿》
「三國荘」は、柳、河井、濱田が東京での博覧会に出品したパビリオン「民藝館」を、後日大阪へ移築したもの。この館のためにしつらえられた家具や陶器、染織品は、民藝草創期の重要な作品や蒐集品だ。《馬ノ目皿》19世紀 アサヒグループ大山崎山荘美術館蔵
《色絵福貴文字文角筥》
「色絵磁器」で第一回の人間国宝に認定された陶芸家、富本憲吉の作品も。《色絵福貴文字文角筥》1936年 日本民藝館蔵

柳が京都在住期間に出会い、交流を深めた人々とのストーリーも興味深い。当時の京都には、民藝運動に賛同し応援した文化人も多く、彼らとの交流を伝える“民藝建築”がそこここに残っている。陶芸家で建築家の上田恒次が設計したのは、「旧上田恒次家住宅」や洛北にある鰻の名店「松乃鰻寮」。しゃぶしゃぶ発祥の地と言われている祇園「十二段家 本店」は、柳、河井、濱田らが親交を深めたサロン的な場所だった。

それらの美しい建築や贅を尽くした内装から想像されるのは、民藝運動が京都カルチャーの発信源でもあったこと。本展ではそれらの資料や作品もたっぷり展示。京都四条の和菓子店「鍵善良房」が所蔵する黒田辰秋の螺鈿菓子器もすばらしいが、店内で柳らがくずきりを食べている秘蔵写真もほほえましい!

旧上田恒次家住宅
河井寬次郎の弟子で建築家でもあった上田恒次が設計し、今も京都に残る「旧上田恒次家住宅」。(撮影:原田祐馬)
松乃鰻寮
今も京都に残る民藝建築のひとつ「松乃鰻寮(旧松乃茶寮)」。一階応接室(写真提供:松乃鰻寮)
黒田辰秋《螺鈿くずきり用器/岡持ち》
若き日の黒田辰秋に、店内の什器や螺鈿の菓子器を発注したのが和菓子店「鍵善良房」。京都には民藝運動を支えるパトロン的な飲食店も多かった。黒田辰秋《螺鈿くずきり用器/岡持ち》1932年 鍵善良房蔵(撮影:伊藤信)

Information

特別展『民藝誕生100年-京都が紡いだ日常の美』

会期:開催中~2025年12月7日 *10月28日より一部展示替えあり
会場:京都市京セラ美術館 本館 南回廊1階
住所:京都府京都市左京区岡崎円勝寺町124
TEL:075-771-4334
営:10時~18時(入場締め切りは閉場30分前)
休:月曜(祝日は開館)
HP:https://kyotocity-kyocera.museum/
観覧料:一般2,000円

染色家・柚木沙弥郎がのこした「旅の記憶」に触れる@エースホテル京都

「旅は非日常ではなくて、ふだんの日常が聖日常であり、その延長線上に旅があればいい。」1946年に民藝と出会い、芹沢銈介に学んだ染色家の柚木沙弥郎は、こんなことばを残している。2024年に101歳で逝去するまで、美しくグラフィカルな型染作品をたくさん制作したが、それらとはまた違う魅力に触れられるのが、「柚木沙弥郎『旅の歓び、旅の色彩』原画展」だ。ヨーロッパやインド、南米、日本各地への旅で出会った風景や人や土地の文化が、色鮮やかな水彩画や型染で表現されている。

展示会場は烏丸御池の〈エースホテル京都〉。柚木が客室のアートやロゴなどを手がけたゆかりの深い場所でもある。しかも、今回作品が展示されているのは、宿泊客以外も自由に鑑賞できる1階ギャラリースペース。未発表作を含む貴重な作品を、ゆっくりと間近で見られることがなによりの贅沢だ。

柚木と縁の深い〈エースホテル京都〉の1階ギャラリースペースが展示会場。宿泊客以外も自由に鑑賞できる。今回展示されている水彩画や型染のほとんどは、柚木自身が選定や編集に携わった最後の画集『旅の歓び、旅の色彩』(平凡社)に収録された作品の原画だ。

1967年、44歳の時に、2か月間かけて人生初の海外旅行へ出かけた柚木。ひとり旅の記憶をもとに描いた水彩画からは、「それまでは画集の中にある、遠い世界のことで現実味がなかったけれど、自分の目の前にあるという。うれしかった。モノクロの世界から、色彩のある世界になるわけだから」(柚木沙弥郎自選作品集『旅の歓び、旅の色彩』より)という、どうしようもないワクワク感が伝わってくる。

ユーモラスな表情のイエス像、リスボン港で見かけた旅する夫婦の姿、インドのジャイプールで目にしたピンク色の建物、柚木自身の姿と似ているようにも見えるスイカ売り……柚木にとって旅の記憶は、旅から帰った後も心の中でゆっくりと熟成され、人生の節目節目で寄り添い、励ましてくれるものだった。そんな優しい作品たちに触れる時間もまた、京都の旅を彩る思い出になるはず。

柚木沙弥郎「リスボンの港」
これから旅へ出かけるのか、思い出を抱えて帰宅する途中なのか…どちらにも見える魅力的な一枚。「リスボンの港」1977年 水彩 ポルトガル
柚木沙弥郎の作品
左上はおそらくイタリアを旅した時に出会ったイエス像、右下は「カイロの二人の男」。「1967年に僕が初めてヨーロッパを旅したときは、行く前にたくさん調べたし、いろいろな人から話を聞いた。今みたいにインターネットなんてないから大変だった。自分でヨーロッパの地図を描いたりして。芹沢銈介先生にもいろいろ教えてもらった。」(『旅の歓び、旅の色彩』より)
柚木沙弥郎「カイロの二人の男」
とぼけたような表情におもわず引き込まれる。裏にはスペインやモロッコの手描き地図があるそうだ。「カイロの二人の男」(部分)1967年 水彩 エジプト
柚木沙弥郎「ベネチア風景」
色彩のグラデーションや筆のタッチ、紙の質感までじっくり鑑賞できる。「ベネチア風景」(部分)制作年不明 水彩 イタリア
柚木沙弥郎の作品
左はインド・ジャイプールの建物。右は東京駅や両国国技館など東京の風景。ともに型染作品。
柚木沙弥郎「メキシコの椅子と犬」
「メキシコの椅子と犬」(部分)1978年 型染
柚木沙弥郎「ピンクcityの名が示す村。ピンクの町は今まで想像のつかないものだ。」
「ピンクcityの名が示す村。ピンクの町は今まで想像のつかないものだ。」(『旅の歓び、旅の色彩』より)。「ジャイプール」1974年 型染 インド
柚木沙弥郎「スイカ売り」
紙の状態からかなり古いものだと思われる貴重な一枚。「スイカ売り」(部分)制作年不明 型染 日本

Information

柚木沙弥郎『旅の歓び、旅の色彩』原画展

会期:開催中〜10月31日
会場:エースホテル京都 ギャラリースペース 1階 新風館
住所:京都府京都市中京区車屋町245-2
HP:https://jp.acehotel.com/

3階レストラン「KŌSA」では、柚木の旅に着想を得た「柚木沙弥郎と旅するアフタヌーンティー by エースホテル京都」を期間限定で提供。

陶工・河井寬次郎が暮らした自宅兼仕事場で作品と親しむ@河井寬次郎記念館

大正時代から昭和にかけて京都を拠点に活動し、今も多くの作り手から愛され尊敬されている陶工・河井寬次郎。そんな寬次郎の住まい兼仕事場を公開しているのが〈河井寬次郎記念館〉だ。美術館や民藝館で展示品として見ることの多い寬次郎の陶器や木彫を、鑑賞するというより「ともに過ごす」感覚で味わえる。もしかしたら、ほかのどの場所で眺めるよりも、親しみ深く感じられるかもしれない。

場所は清水寺にほど近い東山五条の住宅街。今も民家が立ち並ぶ路地は、寬次郎が大正9年に住居と窯を得て独立した地でもある。記念館となっている現在の住まいは、昭和12年に自らが設計したもの。故郷・島根県の安来から、寬次郎の兄を棟梁とする大工職人を呼んで建てたそうだ。囲炉裏をしつらえた吹き抜けの間や、緑豊かな中庭を眺める客間、そこここに置かれた椅子などから、人を招くのが好きだった寬次郎の暮らしぶりがうかがえる。

寬次郎がろくろをまわしていた仕事場
寬次郎がろくろをまわしていた仕事場。意匠をつける際の筆やトンボ(器などのサイズをはかる道具)などもそのまま展示されている。
河井寬次郎記念館の木彫作品
戦後、60歳を超えてから手がけた木彫作品も随所に飾られている。
河井寬次郎記念館の囲炉裏のある吹き抜けの間
建物は太い梁や柱を活かした重厚な佇まい。1階、囲炉裏のある吹き抜けの間。囲炉裏に吊るされた自在鉤も寬次郎がデザインしたもの。
河井寬次郎の書いた文字
たくさんの文章や言葉を残した寬次郎。「心刀彫身」は昭和36年、71歳の頃に書いたもの。
河井寬次郎記念館 外観
黒塗りの格子や犬矢来(軒下のアーチ状の垣根)が印象的な外観。表札は木工家・黒田辰秋の作で、書は棟方志功。ともに寬次郎の友人であり、民藝運動の同志であった。

陶器や木彫などの作品が随所に置かれているほか、家具や調度類も自身がデザインしたものや蒐集したものがほとんど。寬次郎が思い描く美しさは、人の暮らしや仕事とともにあった。そのことが、当時の空気感そのままに伝わってくるのがうれしい。

また、書くことでも自己を表現した寬次郎の「書」に触れられるのも記念館ならでは。たとえば「心刀彫身」。心の刀で身を彫る、つまり、自分をつくるのは他人ではなく、自身の心の刀だというような意味合いだ。いつも自分の中から何が生まれてくるのかという好奇心をもち、可能性を探っていた寬次郎の想いを知ると、あちらこちらに置かれた作品の向こう側に、新たな強さや輝きがあるように感じられる。「京都に行くときは、必ず河井寬次郎記念館を訪ねる」という民藝ファンが少なくない理由も、きっとそこにある。

河井寬次郎の木彫像
昭和30年ごろに手がけた木彫像。60歳~70歳にかけてのほぼ10年間で、人物や動物をモチーフにした木彫像から抽象的な木彫面まで、数百点近くの木彫作品を作った。
河井寬次郎の陶器
寬次郎の陶器にはサインも銘もない。無名の職人の仕事にも美は宿る、特別な作家だけが作るものではない、という姿勢のあらわれだ。
河井寬次郎の陶器
BRUTUS

Information

河井寬次郎記念館

住所:京都市東山区五条坂鐘鋳町569
TEL:075-561-3585
営:10時~17時(入館受付16時30分まで)
休:月曜(祝日は開館、翌日休み)。2025年12月26日~2026年1月7日は休館。
入館料:900円

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