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故ジェーン・グドール博士とともに歩んだ元『VOGUE JAPAN』編集者が綴る感謝の言葉

  • 2025.10.3

ジェーン・グドール博士が私たちに遺してくれた言葉

Photo_ Marko Zlousic / Jane Goodall Institute
Photo: Marko Zlousic / Jane Goodall Institute

「私たちは、理解してはじめて、心から大切に思えるようになります。そして、大切に思ってはじめて、行動することができます。行動を起こしてはじめて、そこに希望が生まれるのです」

“Only when we understand, do we care. Only when we care, can we act. Only when we act, will there be HOPE.”

これは、ジェーン・グドール博士が、私たちに遺してくれた言葉のひとつです。

2025年10月1日──地球は偉大なる存在を失いました。1934年4月3日生まれ、チンパンジー研究の第一人者であり、環境保護活動家、そして国連平和大使のジェーン・グドール博士。享年91歳でした。

博士は亡くなるその日まで、人々に希望の種をまき続けていました。講演を控えて滞在していたアメリカで、夜、眠るように静かに旅立たれました。

「2年後、日本にまた来るからね」──グドール博士との約束

2024年6月、イギリスで行われたJane Goodall’s Roots & Shoots Coordinators’ Meetingにて。
2024年6月、イギリスで行われたJane Goodall’s Roots & Shoots Coordinators’ Meetingにて。

85歳のとき、博士はあるテレビ番組で「世界中のプロジェクトがちゃんとうまく行くことを確認してからじゃないと死ねない」と話していました。そのために、2023年7月に、日本にも足を運んでくれたのだと思います。

今や世界75カ国に広がる「Roots & Shoots(ルーツ&シューツ)」の活動を通して伝え続けてきたのは、生きとし生けるものすべてへの敬意と、行動から生まれる希望でした。動物・自然・人間が調和した社会を目指し、地域での小さな行動が、人々に思いやりあるリーダーシップを育み、個人と社会のウェルビーイングを循環させていく。若者たちが起点となり、街の課題や資源を探究しながら仲間を広げていく姿に、博士は未来への確かな希望を見ていました。

「2年後に、必ずまた日本に来るからね」──2023年7月、来日した博士は私にそう約束してくれました。私もまた、ジェーンから託されたバトンを手に、この2年間奔走してきました。ずっと前から横浜でルーツ&シューツの活動していたユース、ジェーンのビジョンに共感する学校の先生や保護者など、一人、また一人と手を取り合う仲間が増え、奇跡のような瞬間に何度も立ち会いました。

今年6月の来日時に、ホテルで過ごした最後の夜。
今年6月の来日時に、ホテルで過ごした最後の夜。

約束通り、博士が今年6月に来日されたときには、多くの方々が「ルーツ&シューツ」の魅力を語り、そしてまた次の誰かへとその叡智を渡していく姿がありました。

帰りに、もう一度「またきてね」とジェーンに伝えると、今度は「ほかにいくところがたくさんあるの」と微笑み、抱きしめてくれました。まるで“もう大丈夫”と背中を押してくれているような一言でした。

ジェーンと私と、VOGUE

Photo_ Michael Neugebauer / Jane Goodall Institute
AP0025_8Photo: Michael Neugebauer / Jane Goodall Institute

私が博士を知ったのは、小学生のころです。ナショナル・ジオグラフィックの映像を見たときのこと。木に登り、野生のチンパンジーを観察する姿に、「私も彼女のようになりたい」とときめきました。

以来、ジェーンは私のロールモデルであり続けました。学位がなくても研究の扉を開いたこと。ジェンダー規範の壁を静かに壊したこと。気候不安に押しつぶされそうになったときには、「すべての存在が大切であり、役割があり、そして一人ひとりが変化を生み出すことができる。そして小さなことでも、私たちは地球にどんなインパクトをもたらしたいか、日々選ぶことができる」と教えてくれました。人生の節目ごとに、本やメディアを通して出会う博士の言葉に、私は幾度も救われました。不思議と、必要なときに博士からの言葉が届くのです。

大学時代、将来に迷っていたとき、授かった言葉があります。「地球環境を守りたいと思っているけれど、大学でそれを専攻していないからできない。違う仕事についてしまったからできない。そんな相談を受けることがあるけれど、本当にやりたいことを選ぶことは、いつでも遅いことはない」──その言葉に励まされ、薬学部で学んでいた私は、NHKの記者になるという道を誇らしく思えるようになりました。社会課題に光をあて、対話を生み出す報道の持つ力、ストーリーを伝える手段と経験をそこで得ることができました。

博士を取材した記事を掲載した2023年の『VOGUE JAPAN』10月号を直接お見せすることができました。するとその誌面にサインを書いてくれました。一生の宝物です。
博士を取材した記事を掲載した2023年の『VOGUE JAPAN』10月号を直接お見せすることができました。するとその誌面にサインを書いてくれました。一生の宝物です。

そして密かに願っていたインタビューの機会は、『VOGUE JAPAN』の編集者となったときに訪れました。コロナ禍にPodcast「Hopecast」を始めたジェーン。彼女の言葉を、世界中が求めていました。そんな彼女の言葉を日本に届けたい。そう願ってオファーを送り、すぐにオンラインイベントへの登壇に快諾をいただいたときの喜びは忘れられません。その後、2023年の来日が決まり、その出会いから、私は通訳として博士に寄り添うことになりました。

そのときの来日では、『VOGUE JAPAN』での単独インタビューも実現しました。1時間半に及ぶ対話と、日本庭園でのゆったりとした撮影の時間。世界を見渡しても奇跡のような出来事だったんだと後々思い知りました。

“死”という次なる冒険へ

2023年の本誌取材での1カット。都内の日本庭園を歩く博士。Photo_ Kaori Nishida
2023年の本誌取材での1カット。都内の日本庭園を歩く博士。Photo: Kaori Nishida

私は人生の運をここで全て使い果たしてしまったんじゃないかと思いましたが、むしろ逆でした。取材をきっかけに、私はジェーン・グドール・インスティテュートの一員となり、不思議な縁とタイミングで、日本でジェーンの思いを継承したいと願う人々だけでなく、グローバルファミリーと出会いました。困難ももちろんたくさんありますが、ルーツ&シューツに関することは、結果としてうまくいく気がします。ジェーンが全部、操っているんじゃないかと思うくらい。

歩みを進めるたびに、ルーツ&シューツの豊かさと、日本での必要性を実感しています。そして、それに社会が応えるかのように、思いやりの連鎖が広がっています。

今年の来日が、最後の来日となってしまいました。深い悲しみを感じています。このニュースに触れて、同じ悲しみを感じている皆さまとともに、私の心はあります。

90歳になったとき、ジェーンが次なる冒険として話していたのが、死ぬことでした。「死んだら何もないかもしれない。けれど、死んだ先の世界についての話をよく耳にするでしょう。私はそれを信じています。その先の世界を見れるなんて、なんてエキサイティングなのかしら」と、カナダでの講演ではじめて語って以来、いろんなところでそんな話をしていました。

きっと、ジェーンはこれからも私たちを希望ある世界に連れて行ってくれると思います。彼女の叡智を、この先も継承していきたいです。

ジェーンを今まで以上に、近くに感じます。訃報を知った朝、私が涙していると、我が家の猫が大切にしているおもちゃを持って、話しかけてきました。ひざになんて乗ったことがないのに、ごろんと静かに横たわりました。きっと、ジェーンは世界中の動物たちを通して、みんなに挨拶をして回っているのかな、なんて思ったり。

今ごろ、タンザニアのゴンベの森では、「ジェーンが帰ってきた!」ときっと大騒ぎになっているに違いありません。

Photos: Courtesy of Jane Goodall Institute Japan Text: Mina Oba

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