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35年前、紅白初出場に導いた“カバーなのに新しい”洋楽ソング 日本語で生まれ変わった“都会的グルーヴ”

  • 2025.10.11

「35年前の秋、どんな音がテレビから流れていたか覚えてる?」

1990年。光と影が交錯し、街の夜はきらびやかなネオンで彩られていた。そんな中、ひとりの国民的スターが放ったのは、誰もが予想しなかったカバーソングだった。しかも、そのパフォーマンスは、日本中を驚かせる“衝撃の演出”として今も語り継がれている。

宮沢りえ『Game』(作詞・作曲:D.Bowie、J.Lennon、C.Alomar 日本語詞:I.Toi)――1990年10月1日発売

世界的アーティストの名曲を“日本語で”

『Game』は、デヴィッド・ボウイとジョン・レノンが共作し、1975年に発表された『Fame』のカバー作品だ。英語詞をそのまま歌うのではなく、日本語詞を手がけたのはコピーライターとして知られる糸井重里。ボウイとレノンの前衛的なエネルギーを、日本語ならではのニュアンスで置き換えたことで、全く新しい響きとして届けられた。

宮沢りえ自身が主演したフジテレビ系ドラマ『いつか誰かと朝帰りッ』の主題歌として制作され、物語のムードをよりスタイリッシュに演出。前作『いつも誰かに恋してるッ』に続くシリーズ的な位置づけでもあり、ドラマと音楽の両面で彼女の存在感を強く印象づけた。

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1989年、NHKホールでファースト・コンサートを開いた宮沢りえ (C)SANKEI

眩しさと大人びた感覚を併せ持つ歌声

この曲の魅力のひとつは、当時17歳だった宮沢りえの歌声にある。少女のあどけなさを残しながらも、背伸びをするように大人の世界へ踏み込む響き。それはオリジナルの持つ雰囲気とは異なり、日本のポップシーンだからこそ成立した独自の像を描き出した。

アレンジは原曲のグルーヴ感を活かしつつも、より軽快で都会的な雰囲気に仕立てられ、ドラマ主題歌として耳に残るキャッチーさを兼ね備えていた。結果的に、音楽的な完成度よりも“宮沢りえがこの曲を歌うこと自体”が最大のインパクトとなった。

初紅白での“バスタブ中継”という事件

『Game』は、同年末の『第41回NHK紅白歌合戦』で彼女を初出場に導いた。だが、その演出は前代未聞だった。NHKホールではなく、都内某所の屋上に設置されたバスタブに浸かりながらの中継歌唱

華やかなステージ衣装ではなく謎の演出で映る彼女の姿は、まさにドラマティック。「紅白でここまで大胆な演出をやるのか」と視聴者を驚かせた。今振り返っても、この瞬間は紅白の歴史に残る“異色のシーン”のひとつだったといえるだろう。

時代を映した“特別な一曲”

日本語詞を手がけた糸井重里は、コピーライターとしてもはや説明不要の人物だろう。彼の言葉を介したことで、日本語としての軽妙さと遊び心が生まれている。これは単なる翻訳ではなく、“カバーを成立させるための再解釈”ともいえる仕事だったのかもしれない。

宮沢りえの『Game』は、単独のヒット曲として大きなセールスを記録したわけではない。しかし、その存在は90年代初頭の空気を象徴していた。宮沢りえがボウイの曲を日本語でカバーし、ドラマと結びつけ、紅白で異例の演出を見せる――そんな異端の試みが、まさに時代の実験精神を体現していた。

あの年の夜空に浮かぶネオンの輝きと、バスタブで歌う彼女の姿は、今なお鮮烈なイメージとして残っている。それは単なるカバー曲ではなく、90年代という時代そのものを刻印したシーンだったのだ


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。