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2004年に公開された“名作映画” 今では出来ない“当時ならでは”の映像で魅せた特別な作品

  • 2025.11.17

2004年に劇場公開された岩井俊二監督の映画『花とアリス』は、二人の少女の友情と青春を描いた不思議な物語だ。

以下本文には映画の内容が含まれます。

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蒼井優 (C)SANKEI

本作の主人公は、花こと荒井花(鈴木杏)とアリスこと有栖川徹子(蒼井優)という二人の少女。

高校に進学した花は、憧れていた先輩・宮本雅志(郭智博、現・西村和泉)がいる落語研究会に入るが、中々話かけることができない。
そんなある日、宮本は頭を打って倒れてしまう。
宮本を心配して近づいた花は、咄嗟に自分は宮本の恋人だと嘘をついてしまうのだが、花の記憶がない宮本は、自分が記憶喪失になったと勘違いしてしまう。

その後、花は宮本と付き合うことになるのだが、ある日、調子の悪いパソコンを宮本にチェックしてもらった際に、花が中学時代に宮本を盗撮した写真の画像データを見られてしまう。
写真について宮本は詰め寄るのだが、花はこの写真を撮ったのはアリスだと咄嗟に言う。
そして、宮本は昔、アリスに付きまとわれて嫌々付き合っていたが、花に一目ぼれしたことで二人は別れた。その時にアリスに逆恨みされて恐喝行為として宮本の写真を送り付けてきたと、嘘に嘘を重ねてしまう。
だが、その話を聞いた宮本はアリスに昔の自分のことを聞きに行くようになり、やがてアリスに好意を抱くようになっていく。

偽物というモチーフを繰り返し描いてきた岩井俊二

花と宮本とアリスの三角関係が描かれるため、物語は青春ラブストーリーと言えるが、この関係は花によって捏造されたものであるため、宮本からすると騙されて嘘の関係を演じていることになる。
そんな偽物の恋がやがて本物となっていき、宮本が花とアリスのどちらを選ぶのかが、物語の見どころとなっている。

監督の岩井俊二は、偽物というモチーフを繰り返し描いてきた映画監督だ。

たとえば、映画『スワロウテイル』は、日本で暮らす外国人の違法労働者たちが、偽札づくりで得た大金でライブハウスを経営し、そこで歌っていた娼婦のグリコ(Chara)が、YEN TOWN BANDのボーカルとしてデビューする姿を描いた物語だった。
この、YEN TOWN BANDは架空のバンドとして、現実の世界でも劇中で流れる曲を収録したアルバム『MONTAGE』と主題歌が収録されたシングルCD『Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜』をリリースした。

映画内に登場するミュージシャンをデビューさせる試みは『リリイ・シュシュのすべて』や『キリエのうた』でも展開されており、岩井映画に欠かせないものとなっている。

映画内の存在である架空のミュージシャンを現実世界に登場させる行為は、本物と区別がつかない精巧な偽物を作る行為に等しい。
この虚実を混濁させたいという遊び心こそが、岩井映画の核にあるものである。
だからこそ映画の中に偽物や嘘というモチーフが繰り返し登場するのだろう。
そう考えると、花が捏造した偽りの三角関係が、次第に本物に変わっていくという『花とアリス』の物語は、岩井映画の構造をそのまま反映していると言える。

一方、花のラブストーリーと同時進行で描かれるのが、アリスの芸能活動だ。
恋愛が物語の中心となっている花に対して、アリスは家族との関係が物語の中心にあり、恋愛に奔放で年齢のわりにどこか幼い母親の有栖川加代(相田翔子)との日常や、離婚した父親・黒柳健次(平泉成)との関係がとても丁寧に描かれる。

そして途中からアリスは芸能事務所にスカウトされて、様々なオーディションを受けるようになるのだが、映画というフィクションの中で観せられるオーディションを受けるタレントたちの姿はとても生々しく感じる。

映画の中でオーディションの場面やCM撮影の裏側を観るのはとても不思議な体験で、突然、映画撮影の裏側にある現実が映され、虚実がひっくり返ったような奇妙な感覚に襲われる。
最終的に制服を着たアリスが、オーディションでバレエのダンスを踊る場面が映画のクライマックスとなるのだが、このシーンの撮影はリアルでありながらどこか幻想的で、不思議な臨場感がある。

物語自体は女子高校生の他愛のない日常を描いており、友情と恋愛と芸能界を幻想的な映像で表現した少女漫画的な映画なのだが、同時に生々しさを感じるのは撮影監督の篠田昇の力が大きいだろう。

撮影監督・篠田昇の雄弁な映像

篠田は、岩井俊二の商業映画第1作となる『undo』から撮影監督として参加している岩井映画には欠かせない存在だが、彼の撮影した映像がいかに雄弁で独特だったかは『花とアリス』の冒頭を観ればすぐにわかる。

映画が始まると、花とアリスが冬の田舎道を歩いて駅に向かい、電車に乗る姿が延々と映されるのだが、大きな出来事は何も起こらないのに映像から目が離せない。
少し揺れている映像は肉眼で人や風景を見ている時の感触に近く、独自の臨場感があるのだが、一方でカメラアングルは人物の背後の風景までしっかりと捉えており、どのカットも一枚絵として見応えがある。
そこに岩井映画の大きな特徴である逆光や、撮影されている主要人物の背景で無数の人々が行き来している姿を捉えた奥行きのあるカットが挟まり、更に岩井自身が担当する音楽と編集による独自のリズムが加わることによって、本作ならではの映像美が生まれる。
この圧倒的な映像美こそが『花とアリス』の最大の魅力だ。

残念ながら2004年に篠田は亡くなり、『花とアリス』は彼が撮影した最後の岩井映画となってしまった。
本作以降、岩井の映画制作のペースは落ち、ドキュメンタリーやテレビドラマの制作、映画のプロデュースといった映画監督以外の仕事が増えていったのは、篠田の不在が大きかったのではないかと感じる。

その意味でも『花とアリス』は特別な作品で、あの時の岩井映画でしか成立しない映像美が堪能できる青春映画として、今も輝き続けている。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。