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体があってこそ、幸せを目指す私たち。AI時代におけるウェルネスの意味とは?

  • 2025.8.1
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どうやら私たちは、血の通った肉体を持つ最後の人類になるらしい。最近私はそう考えるようになった。数年後には、空間認識能力も含めて今よりも格段に進化した人工知能が出現すると言われている。今後は人工知能が人工知能を開発するので、それがどのような仕組みであるのかをもはや人間は知り得なくなる。眠気や尿意や空腹を覚えるホモ・サピエンスには手の届かない領域まで、知能は飛躍してしまうのだ。

現代は、人類史上のデジタル原始時代であることが宿命づけられている(デジタル技術はまだ誕生したばかりだから)。それに加えて、人類が脱身体を果たした大きな転換点となるのだろう。生物が海の中から陸に上がった瞬間以上に大きな生物進化の節目である。もはや知能は、生物であることをやめることに“成功”したのだから。太古から権力者らが追い求めた不老不死の夢は、めでたく叶ったのだ。生身を捨てるという方法で。

人類を地球上で「(人間が考えるところの)最も知的で特別な存在」と位置づけるならば、それはこれからは有機的な存在である人間ではなく、血の通う肉体を持たない知能を指すようになる。知的覇者の座を譲ったヒトはおそらくしばらくは地上に存在するだろうけれど、特別な地位ではなくなる。心臓が止まったら死んでしまう私たちは、数多いる動物の一種であるヒトとして生きていくのだ(実は今現在だってそうなのだが)。かくして、人間は身体に還る。オーガニックなあなたと私。“知的進歩”なるものは個別の人体を持たない新人類に任せて、残された私たちは限られた命を粛々と生きていこう。それこそが、有機体である私たちの身の丈の知性、命に伴う知である。人工知能から始まった超知能と命に伴う知とは決定的に違うものだ。AIの振る舞いがどれほど人間に似ていても、それはオーガニックではない。やがて機能を止めて分解され、原素に還ることが宿命づけられた肉体に伴う知は、我らヒトに残された最後の人間らしさなのだ。

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なんてことをお茶を飲みながら考えるのが日常になっているなんて、2009年6月号が発売された頃の私は全く想像していなかった。当時はまだSFの世界の話だった人工知能と暮らす日常がたった16年で実現してしまった。スマホの中にAIがいて、どんな質問にも素早く(嘘や捏造も交えて)答えてくれる。私はAIにチャットで「あなたが何ら身体性を伴わずにあたかも身体的な体験に基づいた思考であるかのように物事を語るのは、不誠実ではないのか」などと尋ねて、問答を楽しんでいる。さらに16年後にはそんなのも笑い話になっているだろう。

2009年の誌面を見ると、冒頭で「私たちのオーガニック特集は、“こんな感じのオーガニックっていいんじゃない?”というゆるい気分でのお勧めです」と謳っている。当時の私もそんな気分だったが、2025年的には、さすがに何言ってんすか感は否めない。誌面には、難しいことは言わずに自然ぽいものに癒やされたいという雰囲気が漂う。茶色やオフホワイトのリラックスしたドレス。ブランドバッグに麦の穂の束を入れてみたりして。インターナショナル・ファッション・ディレクターのジーン・クレールによる環境問題への真剣な懸念を示すコラムもあるが、全体的にはオーガニック(なんか体に良さそう)な気分をふわっと楽しむ作りである。しかしここ10年ほどで、ファッションインダストリーが地球環境やそこで働く人に及ぼしている悪影響について、一般にも広く知られるようになった。SDGsの浸透もあり、自然との共存は気分ではなく「人類が生き延びるために必須の取り組み」という認識に変わっている。産業の持つ負の面について誠実に語り、具体的な対策を講じることこそが、ファッションが文化として生き残るうえでは不可欠だろう。ラグジュアリーな存在は、責任が伴ってこそ本物である。

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ここ最近、日本では米騒動が起きている。これを機に農業が大きく変わるかもしれない。すでにAIで動く無人トラクターなどもあるそうだが、今後は少ない人手で効率的に生産するための変化は必然なのだろう。しかし一方で、日本の農業は神事との結びつきが強く、思うようにならない自然を前にして飢え渇く人々が祈りながら命懸けで続けてきたものである。棚田の風景も人の手が少しずつ作り上げたものだ。いわば極めて有機的な体験の中で育まれてきた稲作の営みを大規模化・機械化の過程でどうやって維持するのかというかなり大事な問題に、今日本は直面している。コメ離れの要因は価格高騰や食習慣の変化以上に、そうしたリスペクトを伴う文化的経験や土に触れる体験の欠如が、大きな要因だろう。広義のオーガニックな構造を守り存続させる試みなしには、“オーガニックなライフスタイル”は単なる消費で終わってしまう。我ら人間に残された尊いものは、滅びゆく身体を生き切るための知恵であり、滅ぶことを前提にしてもなお、善く生きようとする知的な営みだけなのである。

Photography: Shinsuke Kojima(magazine) Text: Keiko Kojima Editor: Gen Arai

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