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44年前、異才が生んだ“青春の都会的ロック” 時代を超えて愛される“新感覚の素朴サウンド”

  • 2025.9.1

1981年の東京。ウォークマンを手に歩く若者が増え、ラジオや喫茶店からはニューミュージックや都会的なポップスが流れていた。アイドル歌謡が依然として強さを持ちながらも、シンガーソングライターたちが都会の感覚をまとった音を鳴らし、新しいムードを作り出していた。

そんな空気の中で、ひとつの楽曲が静かに生まれ、やがて多くの人にとって“青春の象徴”となっていく。

佐野元春『SOMEDAY』(作詞・作曲:佐野元春)——1981年6月25日発売。

この曲は佐野の4作目のシングルとして世に出たが、いきなり大ヒットを記録したわけではない。当時のチャートを賑わせた派手なアイドルソングやニューミュージック勢の陰に埋もれる形で、最初は“知る人ぞ知る一曲”だった。だがその後の展開が、この曲の運命を大きく変えていく。

“新世代の旗手”として広がった存在感

佐野は1982年3月には、大瀧詠一のナイアガラ・トライアングルに、杉真理と共に参加。リリースされた『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』は、ナイアガラ・レーベルのポップセンスと3人の個性が鮮やかに溶け合った作品で、佐野にとっても幅広いリスナーにその存在を知らしめる大きな契機となった。“新世代の旗手”として確かな爪痕を残した出来事だったと言えるだろう。ちなみに初代ナイアガラ・トライアングルは、大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次の3人で構成されている。

その流れの中で同年5月、アルバム『SOMEDAY』がリリースされる。ロックの躍動感と都会的なセンスが融合したサウンドは、それまでのシングル以上に完成度が高く、評論家からも高い評価を得た。

表題曲も改めて注目を集め、大瀧詠一ら、早くから佐野の才能を認めていた音楽人たちの後押しもあって、「都会的で新しいソングライター」という評価が一層強まっていく。

こうした連続的な動きが相まって、『SOMEDAY』は少しずつ浸透し、やがて“時代に残る歌”へと成長していったのである。

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佐野元春-1997年撮影 (C)SANKEI

都会に息づく“余白とまっすぐさ”

『SOMEDAY』の魅力は、都会的でありながら素朴さを失わないサウンドにある。ロックンロールの軽快さとポップスの洗練がバランスよく溶け合っている。イントロのピアノが鳴った瞬間から広がる景色は、聴く人それぞれの心に情景を描き出していく。

歌詞は未来を信じる「いつか」を軸に、青春のきらめきと切なさを同時に映し出す。直接的な言葉ではなく、どこか余白を残す表現だからこそ、聴き手の人生の記憶や経験と自然に重なっていく

佐野のボーカルもまた熱すぎず冷たすぎず、その絶妙な距離感が聴く人の心を長くとらえ続けるのである。

再発で蘇った“約束のアンセム”

1989年には、JR東海のキャンペーンソングに採用されたことをきっかけに、『SOMEDAY』は再び注目を集める。

翌1990年4月21日にはシングルが再発売。同年5月にはベストアルバム『Moto Singles 1980-1989』もリリースされ、デビューから10年を迎えた佐野の歩みを総括する流れの中で、この曲は世代を超えて広く知られるようになった。

『SOMEDAY』はその後も幾度となくカバーされ、ドラマやCMでも流れ、新しい世代へと受け継がれていった。ランキングの記録以上に、「思い出の一場面とともに甦る曲」として愛され続けているのだ。

初リリースから40年以上経った今でも、この曲が色褪せない理由は明白だろう。都会の風景の中で描かれる恋や友情、未来への希望。そのすべてが「青春の普遍」を映し出しているからだ。

青春を呼び覚ます“永遠の余韻”

『SOMEDAY』を聴くと、不思議とその人自身の青春が呼び起こされる。あの頃交わした約束、胸の高鳴り、そして“いつか”への憧れ。曲に込められた想いは、リスナーの人生の転換期や節目に寄り添ってきた。

佐野元春のキャリアにおけるターニングポイントと、聴き手の青春が重なり合う――。

『SOMEDAY』は、そんな奇跡のような共鳴を今も生み出し続けるアンセムなのである。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。