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30年前、日本中が虜になった“風のように自由な歌” 20万枚超を売り上げた“異国のサンバ”

  • 2025.9.1

「30年前、どんな音楽が異国の風を運んでくれた?」

1995年。バブルの熱気は完全に消え、街には現実的な空気が漂っていた。渋谷の交差点を渡る若者の足取りは少し軽く、郊外を走る車の窓からはラジオが風に混じって流れていた。時代がどこか閉塞していく中で、人々は新しい自由や開放感を求めていた。そんな空気に、まさに“風”のように舞い込んだ曲があった。

THE BOOM『風になりたい』(作詞・作曲:宮沢和史)——1995年3月24日発売。

1994年11月にリリースされたアルバム『極東サンバ』からのシングルカット。沖縄音楽を大胆に取り入れた『島唄』の大ヒットで注目を浴びたTHE BOOMが、次に挑んだのはブラジル音楽。ボーカル・宮沢和史の現地での体験が、そのまま音楽に結晶した作品だった。

ブラジルで受けた衝撃と“新しい冒険”

街角で自然に始まるサンバ、太陽の下で響き渡るパーカッション。その祝祭的な空気に触れた宮沢が生み出した『風になりたい』は、異国のリズムを日本語ポップスの中に落とし込んだ意欲作となった。

16枚目のシングルとなる本作は、まるで青空の下で踊りたくなるような高揚感を生み出す。宮沢の歌声は伸びやかで、肩の力を抜きながらも情熱を秘めていて、聴く者を一気に南国の風景へと連れていってくれる。

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THE BOOMのボーカル・宮沢和史-2008年撮影

“風”のように心を解き放つ一曲

『風になりたい』の魅力は何よりもその“自由さ”にある。シンプルで覚えやすい旋律は、聴けば自然と口ずさみたくなるし、リズムに身を委ねれば体が勝手に揺れ出す。

難解さを排したサンバ調のアレンジは、ブラジル音楽に馴染みの薄い日本人にもすんなり届き、「風になって駆け抜けたい」という衝動をそのまま体現するかのような解放感を与えてくれた。

ヒットの広がりとその余韻

派手な初動ではなく、じわじわと浸透していったのもこの曲の特徴だった。ランキングでは20位前後を推移しながら、最終的に20万枚を超える売上を記録。決してミリオンの大ヒットではないが、街のカフェやキャンプ場、学校の合唱の場面など、暮らしのさまざまな場面に自然と溶け込んでいった。

また、この曲は後年まで長く愛され続け、多くのアーティストによってカバーされただけでなく、合唱曲としても親しまれるようになった。世代を超えて歌い継がれ、時代を超えて“風”のように広がり続けているのだ。

THE BOOMが刻んだ“音楽の旅”

『風になりたい』は、THE BOOMにとっても重要な転機だった。沖縄からブラジルへ、常に異文化を吸収しながら独自の音楽を追求する姿勢は、他のバンドにはない個性を形づくった。宮沢和史の探求心は、この曲でさらに確信的なものとなった。

『島唄』が“郷愁と祈り”を込めた曲だとすれば、『風になりたい』は“自由と祝祭”を描いた曲。異なる方向性を持ちながらも、どちらも日本人の心に深く響いたのは、宮沢が常に“人と音楽をつなぐもの”を探し続けていたからだろう。

あの春を吹き抜けた風は今も

1995年の春、日本人が少しずつ閉塞感を抱き始めていた時代に、THE BOOMが届けたのは“自由に舞う風”だった。南国の太陽を想起させながらも、どこか日本人の感性に寄り添う優しさを持つこの曲は、日常の中で小さな解放をもたらしてくれた。

今、『風になりたい』を聴くと、都会の雑踏や日常の重さを忘れて、青空の下を駆け抜ける自分を想像できる。30年経った今も、その“風”は確かに私たちの心の奥に吹き続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。