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30年前、日本中を虜にした“緻密な脱力ダンスナンバー” 本気でふざけた異色コンビ“120万枚超の2曲目”

  • 2025.8.9

「なぜだろう、あの曲を聴くと目頭が熱くなる」

バブルの余韻もすっかり冷め、世の中が「現実」に適応し始めた1995年。景気も気分も、明るさから落ち着きへと向かっていたあの年。テレビから流れた、どこか気の抜けたような、それでいて忘れがたいリズムが人々の耳に残った。

“あの人たち”、まさかの2発目だった。

H Jungle With t『GOING GOING HOME』(作詞・作曲:小室哲哉)――1995年7月19日発売。

『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』(作詞・作曲:小室哲哉)が空前の大ヒットとなる中、まさかのそれに続く第2弾。勢い任せのユニットかと思いきや、2枚目のシングルでも120万枚を突破する大成功を収め、まぐれではないことを証明した。

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1995年、H Jungleこと浜田雅功 (C)SANKEI

“ふざけているようで真剣だった” 1990年代の現実

H Jungle With tは、ダウンタウンの浜田雅功と小室哲哉による異色の音楽ユニット。その存在自体がテレビの“おふざけ企画”の延長線のようでありながら、音楽的にはとことん真剣。いや、真剣すぎるからこそ笑えてしまう“ギャップ”こそが、このプロジェクトの本質だったのかもしれない。

『GOING GOING HOME』は、そんなユニットの第2弾。前作のエネルギッシュで社会を鼓舞するような雰囲気とは打って変わって、ジャングル・ビートを入れながらもどこか哀愁すら漂うミディアムテンポのダンスナンバーとなっていた。

当時、テレビで何度となく耳にした「Going Going Home♪」という繰り返しは、やけに力の抜けた歌声と、小室サウンドの緻密さが絶妙に混ざり合い、聴くほどに“クセになる”曲だった。

浜田雅功の“本気じゃない本気”が生んだ化学反応

この曲は、浜田雅功にとってH Jungle With t名義の2枚目のシングルでもある。だが、彼はあくまで「芸人」としてそこにいたのかもしれない

だからこそ、過剰に「アーティスト然」とせず、変に歌唱力で勝負せず、飄々と歌う。その肩の力の抜け具合が、90年代半ばの日本の空気感にぴったりと合っていた。

そしてその“適度な脱力感”を小室哲哉のプロデュース力が最大限に活かしたことこそ、この楽曲の真の強さだった。

小室は当時、“小室ファミリー”のトップとして、音楽プロデューサーという名を世間に広めていった。その中でこの曲は、「実験」的なポジションにも見えた。だが結果的には、その実験は大成功に終わる。

実際に120万超のミリオンセールスを突破。当時はまだCDバブルが続いていたとはいえ、実験的ユニットが2作連続でミリオン突破というのは強烈なインパクトだった。

心の“夏”にそっと寄り添う名曲

歌詞の内容は、特別に甘い言葉を並べたラブソングでもなく、夢や希望を語るわけでもない。ただ夏の風景に、ふと「お前の胸でもう一度甘えてみたい」とつぶやく。それはロマンチックな愛の告白ではなく、少し疲れた男の“独り言”のような響きを持つ。

言葉にすればどれも青臭い。でも、歌ってるのが浜田雅功だからこそ嘘にならない。本気か冗談かわからない声の中に、どうしようもなく人間くさい“後悔”がにじむ。

だからこそこの曲は、聴く人によって意味が変わる。故郷を思い出す人もいれば、昔の恋人を思い出す人もいる。

ただひとつ共通してるのは――「あの頃の自分に、ちょっと謝りたい気持ちになる」ということだ。

だからこそ、特別な誰かでなくても、聴いた人の“自分の夏”にスッと重なる。

情景ではなく、感情の余韻が心に残る。これが、H Jungle With tという一過性のユニットの曲でありながら、『GOING GOING HOME』が30年経っても記憶に残る理由ではないだろうか。

“お遊び”から生まれた、時代の写し鏡

芸人と音楽プロデューサー――本来交わらないはずの2つの才能が、本気でふざけた結果、生まれたのがH Jungle With tだった。

『GOING GOING HOME』は、その“続編”でありながら、単なるお祭り企画には終わらなかった。

CDセールスが120万を超えたという事実もさることながら、「テレビと音楽が渾然一体となっていた90年代の夏」の空気を、まるごと封じ込めたような一曲だった。

炎天下の中、ダラダラと流れる午後の時間。冷房の効いた部屋で、なぜか寂しげに響いてくるサビの繰り返し。

真っ盛りの夏に聴いてるのに、なぜか“終わり”の気配がする。その逆説的な感覚が、当時の空気感と妙にリンクしていた。

小室哲哉の巧妙なプロデュースと、浜田雅功の力の抜けたボーカル。“真剣なおふざけ”が、本物の記憶として残った数少ないプロジェクト型音楽だった。

――どこへ帰るのかは、人それぞれ。

だが、あの夏、あのサビが流れた瞬間、意味もなく“帰りたくなった”感覚だけは、確かに日本中に広がっていた。

この曲は、ただ売れただけではない。あの頃を生きていた人の“感情の一部”として、今も静かに残っている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。