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30年前、日本中が招かれた“夜のカラオケ革命” 音楽番組の常識を覆した“予測不能なショータイム”

  • 2025.7.19

「この曲、あの人が歌ってたの覚えてる?」

1995年春、日本のテレビにとって“音楽バラエティ”というジャンルの地殻変動が始まった。バブル崩壊の余韻が色濃く残る平成中期。閉塞感が漂う時代の空気を、土曜の夜にだけ吹き飛ばしてくれた番組があった。

『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)ーー1995年4月15日放映開始。

ヒットチャートの最新楽曲を、豪華なプロ歌手たちが“なぜか本人以外の立場で”歌う。

合言葉は「見たい、聴きたい、歌いタイ!」。

聞き慣れたメロディなのに、毎週まったく違う“色”に染まっていく音楽体験に、日本中が夢中になっていった。

成り立ちは“深夜の実験枠”から始まった

『THE夜もヒッパレ』のルーツは、1年前の1994年4月に遡る。土曜23時台前半に放送されていた音楽バラエティ『夜も一生けんめい。』が好評を博し、その発展・拡大版として『夜もヒッパレ一生けんめい。』が同年10月より、土曜22時枠でスタート。

この時点では、前半30分を『夜もヒッパレ』、後半30分を『夜も一生けんめい。』として1時間2部構成で放送されていた。そして1995年4月、視聴者からの反響や構成の強化を受けて、前半部が独立して『THE夜もヒッパレ』として再編・リニューアルされ、現在語られる“土曜夜の伝説番組”が誕生したのである。

三宅裕司・赤坂泰彦・中山秀征が支えた“3本柱”の絶妙なバランス

『THE夜もヒッパレ』の番組進行を支えたのは、個性も役割も異なる“3本柱”だった。

まずは総合司会の三宅裕司。『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)で音楽バラエティの下地を作っていた彼は、舞台仕込みのテンポ感と軽快なトークで番組全体を包み込むように仕切った。

そして、テレビに現れたDJ・赤坂泰彦。手持ちマイクでステージを動き回りながら、ランキング紹介をラジオライクにこなす姿は唯一無二。曲紹介すらエンタメに変える手腕で、毎回ライブ感を演出していた。

この2人に加え、1995年のリニューアルから新たに加わったのが中山秀征。明るく柔らかな語り口と、どこか“間の抜けたお兄さん感”で、観る側との距離を一気に縮めた。彼は司会というより“視聴者代表”のような立ち位置で、番組に抜群の親しみやすさをもたらしていた。

多彩なアシスタントたちが、土曜の夜に花を添えた

さらに番組のもう一つの魅力が、時期ごとに入れ替わる多彩なアシスタント陣だった。

初期を支えたのはマルシア。歯切れのよい進行補佐と、確かな存在感で番組の屋台骨を担った。その後も、松本明子、工藤静香、酒井法子、NOKKO、米倉涼子など、ジャンルも世代も異なる女性タレントたちが週替わりまたは期間限定でアシスタントを務め、毎回新鮮な空気をもたらした

いずれの顔ぶれも“歌手だけ”でも“女優だけ”でもない、当時のテレビ界を横断する存在たち。彼女たちがアシスタントという枠を超えてトークやパフォーマンスに加わることで、番組はより柔軟で、遊び心ある空間に進化していった。

視聴者に寄り添う、豪華すぎる“レギュラーチーム”

番組のレギュラーメンバーも超豪華だった。当時、若手女性グループとして注目を集めていた安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S(後のMAX)は忘れてはならない。そのまま番組内で頭角を現し、後に安室はソロアーティストとして、MAXはダンスグループとして大躍進を果たす。

さらに知念里奈らも加わり、若い世代のスター候補たちが“テレビのど真ん中”で経験を積む場となっていた。

そして忘れてはならないのが、ライブコーナーを担当していたグッチ裕三とモト冬樹が率いるビジーフォー・スペシャル。強烈なコント要素と圧倒的な歌唱力で、ステージを“お約束感”と“本気のうまさ”が共存する特異空間へと昇華させた。

SPEEDの名は、テレビの中で生まれた

この番組から、本物の“時代の顔”が誕生したことも忘れてはいけない。

沖縄アクターズスクール出身の少女4人組に、視聴者参加でグループ名の公募が行われ、そこで決まった名前が『SPEED』。そのまま1996年に『Body & Soul』(作詞・作曲:伊秩弘将)でメジャーデビューし、瞬く間にトップアーティストとして大ブレイクを果たした。

名前も番組で決まり、デビューのきっかけも番組だったという意味では、SPEEDこそが『THE夜もヒッパレ』の申し子であり、平成のJ-POPシーンを象徴する存在でもある。

音楽×バラエティの境界線を溶かした、テレビの“完成形”

こうした個性豊かな面々による掛け合いや演出が、『THE夜もヒッパレ』を単なる音楽番組では終わらせなかった理由だ。

ランキングを追う番組でありながら、歌っている人のキャリアも、ジャンルも、世代もバラバラ。それでも一体感があり、どこか“テレビの中の文化祭”のような賑やかさがあった。

音楽を聴くだけじゃなく、音楽で遊ぶ。その楽しさを、出演者全員が本気で共有していたからこそ、視聴者の心にも届いたのだ。

 

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番組の司会をつとめた三宅裕司(左)と番組ゲストとして美声を響かせていた尾崎紀世彦(右)(C)SANKEI

実力派・大御所が“今の曲”を歌う、という贅沢なねじれ

『THE夜もヒッパレ』の肝は、「今のヒット曲をカバーする」という一点に尽きる。しかしその“誰が歌うか”が毎回クセ者だった。

出演していたのは、チャートを席巻する若手ばかりではない。むしろ、70〜80年代にヒットを飛ばした大御所歌手や、実力派の中堅アーティストたちが堂々と最新J-POPを歌いこなす姿こそが、この番組の真骨頂だった。

たとえばアイドル時代を経た女性シンガーが、小室ファミリーのヒット曲をソウルフルにカバーしたり、演歌界のベテランが渋い声でポップナンバーを歌ったり。尾崎紀世彦が歌うMr.Childrenの『Innocent World』(作詞・作曲 桜井和寿)あたりは未だに伝説のように語り継がれているほどだ。

「旬の曲」×「意外な人選」×「確かな歌唱力」ーーこの“ねじれの妙”が、視聴者にとって何よりのごちそうだった。

もう一度見たい、“テレビがライブだった時代”

『THE夜もヒッパレ』は2002年9月まで放送され、土曜の夜を盛り上げ続けた。どの回もライブ感が強く、観る側にも“予測できない”ワクワク感があった。

「誰がどの曲をどう歌うか」ーーそれだけで、次の土曜が楽しみになる。

SNSもYouTubeもなかった時代、テレビこそが“音楽の最前線”だった。そして『ヒッパレ』は、単なる音楽番組ではなく、エンタメとして完成された“週末の祝祭”だった。

あの時代の土曜22時、リビングがライブ会場に変わる。

テレビの中で、歌と笑いと驚きが渦巻く。そんな“夜のカラオケ革命”を、私たちは確かに体験していた。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。