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35年前、日本中が無言で恋した“抑えめラブソング” 後の『SAY YES』コンビが描いた“静かなるヒット曲”

  • 2025.7.23

「35年前の今頃、どんな音楽が街を包んでいたか覚えてる?」

平成が始まって1年が過ぎた1990年。社会の熱気の裏では、“先行きへの不安”が少しずつ忍び寄っていた。まだ表面上は華やかさが残っていたものの、雑誌やテレビに映る賑わいの奥に、得体の知れない“静けさ”が漂っていた。

しかしその一方で、表には出にくい「静けさ」や「戸惑い」も、確かに街を包んでいた。そんな中、その空気を切り取ったような1曲がリリースされる。

中山美穂『Midnight Taxi』(作詞・作曲:飛鳥涼)ーー1990年1月15日発売。

派手なタイアップや大々的なキャンペーンがあったわけではない。それでもこの曲は、“時代の隙間に刺さる”ように届き、多くのリスナーの記憶に残った。

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(C)SANKEI

飛鳥涼が手がけた、表現の“転換点”

この時期の彼女は、すでにアイドルとしての全盛期を経て、アーティストとしての表現を模索し始めていた。

角松敏生が作詞・作曲した『You’re My Only Shinin’ Star』など、より音楽性の高い作品にも取り組み始めていた中で、次に手を組んだのがCHAGE and ASKAの飛鳥涼だった。

飛鳥涼(ASKA)は、当時すでにヒットメーカーとしての地位を確立していた彼が手がける楽曲は、単なるラブソングとは異なり、“空気や余韻”を描き出すような独自の作風で知られていた。

そうした飛鳥涼の世界観に、この年に20歳を迎える中山美穂の“進化しつつあった表現力”が自然と溶け込んだ結果、『Midnight Taxi』という、アイドル時代の延長線上にはない1曲が生まれた。

時代と響き合った“静かなるヒット”

『Midnight Taxi』がリリースされた頃、音楽シーンではまだ“バブル的な明るさ”が表面に残っていたが、その裏側で、より内面に響く作品へのニーズも生まれ始めていた。

この楽曲が持つ最大の魅力は、全体に漂う“抑制された美しさ”にある。飛鳥涼によるメロディは、極端な盛り上がりを避けながら、一貫して静かで均整のとれたラインを保っている。そこに編曲家・十川知司(十川ともじ)が加わることで、余白のある音作りと冷静なダイナミクスが際立ったサウンドに仕上がった。

ちなみに、十川は翌1991年、飛鳥涼が作詞・作曲を手がけたCHAGE and ASKAの大ヒット曲『SAY YES』の編曲も担当している。その事実からも、“飛鳥涼の音楽を言語化し、構造化できる編曲者”としての信頼関係が、この時点ですでに築かれていたことがうかがえる。

中山美穂のボーカルもまた、過剰な感情表現に走らず、静かな輪郭を保ったまま旋律に寄り添っている。これによって、聴く側に解釈の余地が広がり、「感情」ではなく「空気」として心に残る作品となっていた。

華やかさではなく、密やかな強さ。旋律ではなく、静けさで届くタイプの楽曲。そうした特性こそが、『Midnight Taxi』を“記録よりも記憶に残る1曲”たらしめた理由なのだ。

1枚のシングルに仕掛けられた、もうひとつの飛鳥涼

『Midnight Taxi』のもうひとつの注目点は、B面に収録された『本気でも…』もまた、飛鳥涼が作詞・作曲を担当していること。1枚のシングルに収められた2曲を、同じ作家が手がけているという事実は、当時としても珍しくはない。

だが、このケースでは“表”と“裏”がきちんと構成として成立しており、ひとつの音楽作品として完成度が高かった。表題曲とカップリングが同じ作家によって作られたことは、作品全体の統一感や音楽的な意志の強さを裏づけるものでもある。

派手さの中に、そっと潜んだ“変化の予感”

『Midnight Taxi』が世の中に出た1990年は、音楽業界もまた変化の入り口に立っていた。CDシングルが主流となり、歌手やアイドルも「ただ売れる」だけでなく、「どう存在するか」が問われ始めた時代。

そんな転換点に現れたこの楽曲は、アイドルとしての活動だけでなく、“アーティスト”としての中山美穂の姿勢を象徴する1曲ともいえる。

静かな夜に、時代がふと“素顔”を見せた瞬間をとらえた1枚。

それが『Midnight Taxi』という作品だったのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。