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35年前、日本中がザワついた“危うい音の媚薬” 90年代アイドルの常識を壊した“禁断のラブソング”

  • 2025.7.23

「その唇、何を語ろうとしていたのかーー」

1990年、日本の音楽シーンは“平成”に移り変わって間もない時期。昭和から続くアイドル文化が変容を見せ始め、よりリアルな感情や内面性を重視する流れが芽吹きつつあった。

そんな“アイドルの常識”が揺らぎ始めた時代に、媚びない色気と孤高のムードをまとって登場したのが工藤静香だった。アイドルというより、“自分の感情に忠実な女”ーーそのイメージを強烈に印象づけた彼女が放った1曲は、1990年代の幕開けに鋭い楔を打ち込んだ。

工藤静香『くちびるから媚薬』(作詞:松井五郎・作曲:後藤次利)ーー1990年1月10日リリース。

この曲がなぜ、令和になった今でも“記憶に残る名曲”として語り継がれているのか、改めて振り返ってみたい。

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(C)SANKEI

“アイドル”という枠を壊した、決定的な1曲

『くちびるから媚薬』は、工藤静香にとって通算9枚目のシングル。前年には『嵐の素顔』(作詞:三浦徳子・作曲:後藤次利)や『黄砂に吹かれて』(作詞:中島みゆき・作曲:後藤次利)と立て続けにヒットを記録し、ソロアーティストとしての存在感を確固たるものにしていた。そんな彼女が、さらに一線を画す“型”を破った瞬間が、この1曲に凝縮されている。

タイトル自体が挑発的な響きを放つが、単なるセクシャルな表現に留まらず、楽曲全体には、「好き」という単純な感情だけでは表現しきれない、不安定で危うい心情と微妙な支配・依存の心理がにじみ出る。作詞は松井五郎が手掛け、その毒気を孕む詩は、ただ可愛いだけではなく、どこか大人の苦味を感じさせるものだ。

そして、作曲を担当した後藤次利が仕上げたサウンドは、特にAメロのスカ調のアレンジが新鮮で、当時としては斬新な響きを放った。後藤次利の硬質でタイトなアレンジが、この楽曲に鋭い切れ味と格好良さを与えており、それまでのアイドルソングとは一線を画す存在となった。

工藤静香が単なる可憐なアイドルではなく、“色気と強さ”を併せ持った大人のアーティストであったことを再確認させる1曲であった。

“音の媚薬”のように広がった共感

この曲が支持された理由は、その音楽性だけではない。当時、工藤静香は“元おニャン子”という肩書をすでに超え、“一人の女性アーティスト”として確立しつつあった。その過程で彼女が選んだのが、他の誰かの理想像ではなく、“揺らぎ”や“影”を抱えた自分自身を描く楽曲たちだった。『くちびるから媚薬』もまた、「可愛い」でも「元気」でもない、感情の奥底にある衝動や弱さを歌っていた。

「こんな気持ち、自分だけだと思っていた」ーーそんな思いを抱えていた10代後半〜20代の女性たちに共感を与えたこの曲は、まさに“音の媚薬”だった。

また、TVパフォーマンスでは、タイトで色気が漂う衣装、鋭く切るような視線、そして一分の隙もない表情。そのすべてが楽曲の世界観とリンクし、強烈な印象を残した。

今なお心をかすめる“禁断の余韻”

『くちびるから媚薬』は、音楽ランキングで1位を獲得。工藤静香にとって、その勢いを決定的なものとした。だが、それ以上に意味があったのは、この楽曲が“女性アイドル”という概念を、ひとつ前進させたという事実だろう。

恋愛に奥行きを持たせ、感情の濃度を上げ、甘さに苦味を足したこの楽曲は、あくまでポップスの範疇にありながら、そこに“毒”と“知性”を持ち込んだ。

リリースから35年。未熟なままの感情に真正面から向き合った“生々しさ”は、今の時代だからこそ響くのかもしれない。

誰かを好きになることの“正しさ”や“清らかさ”ばかりが語られる今、この楽曲のように、“惹かれることの怖さ”や“求めすぎることの苦しさ”をそのまま表現したラブソングは、逆に新鮮ですらある。

そして工藤静香という存在が、なぜ当時、あれほどまでに多くの人の心をざわつかせたのかーー

それはこの曲が、“唇”ではなく“心の奥”に触れていたからではないだろうか。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。