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「この仕事辞めたい」引退寸前、緊急搬送の過去…14歳で“鮮烈デビュー”を飾った天才が“抱えた葛藤”と快進撃の今

  • 2025.5.10

映画やドラマに欠かせない実力派俳優たち。今回は、その中で最も注目の俳優5名をセレクトしました。本記事では第2弾として、柳楽優弥さんをご紹介します。14歳でカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を獲得後、壮絶な挫折を乗り越え、唯一無二の演技で再起を果たした柳楽さんの魅力に迫ります!

※本記事は、筆者個人の感想をもとに作品選定・制作された記事です
※一部、ストーリーや役柄に関するネタバレを含みます

史上最年少、日本人初の快挙を達成した名優

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(C)SANKEI

幼い頃から人を笑わせるのが好きだった柳楽優弥さん。ドラマに出演する友人を見て「自分も周りを笑わせたい」と芸能界を志しました。その後、中学生でスターダストプロモーションに合格。初めて挑んだオーディションは、是枝裕和監督の『誰も知らない』でした。演技未経験ながら「目に力がある」と、主役に抜擢!台本なしの自然な演技が絶賛され、2004年カンヌ国際映画祭において史上最年少かつ日本人初の最優秀男優賞という快挙を成し遂げました。

アイドルではなく俳優を選んだ理由とは…

実は柳楽さんは、なんとアイドルのオーディションにも合格していました。中学生の頃に応募し、書類審査に通過したものの、合格通知が届いたのは約1年後。すでに現在の事務所に所属し、映画の撮影が始まっていたため、俳優の道を進むことに。

柳楽さんはこのエピソードについて「僕の中では誇らしい思い出」と笑顔で振り返っています。もしあのとき柳楽さんがアイドルの道を選んでいたら、多くの名作は生まれていなかったかもしれませんね。

世界に認められた少年の挫折 ─ 叱責、失意、そして覚醒

順調に見えたキャリアにも、挫折が訪れました。18歳ごろに体調を崩した柳楽さんは、2008年、自宅で大量の安定剤を服用して緊急搬送される事態に。幸い命に別状はなかったものの世間を騒がせることになったのです。

また当時、「かなり太っていた」という柳楽さんに対し、故・中村勘三郎さんから「君は見栄えが悪いから俳優辞めなさい」と厳しい叱責が。この言葉に奮起し、必死の減量に成功。「本当にありがたくて。おかげさまで原動力になりました」と、柳楽さんは大先輩からの叱責を糧に体とメンタルを鍛えました。

さらに20歳の頃には「社会勉強」のために約1年間、芸能活動を休止。自動車ディーラーでの洗車や飲食店での接客業を経験し、2019年にはニューヨークへ短期留学。パンケーキ店で皿洗いを手伝ったといいます。こうした人生経験が、現在の深みある演技へとつながっているのでしょう。

17歳でプロポーズ!交際秘話

柳楽さんはプライベートでも、ドラマのような純愛を貫きました。妻で女優の豊田エリーさんとは、高校の先輩後輩として出会い、17歳で一度プロポーズするも、「18歳にならないと結婚できないんだよ」と言われ、19歳で改めて求婚。その後、婚姻届を提出し、明治神宮で挙式しました。

カメレオン俳優へ止まらない絶賛の声

柳楽さんは、映画『ディストラクション・ベイビーズ』で狂気を秘めた若者を演じ、圧倒的な存在感で第90回キネマ旬報主演男優賞を受賞。ドラマ『ライオンの隠れ家』では、繊細で温かなキャラクターを演じ、俳優としての幅をさらに広げました。ここ最近では、ディズニープラスが配信する『ガンニバル2』での快演が大絶賛。

「柳楽優弥くんの演技がすごい。目がリアル」「柳楽優弥さんの叙情的で抑制された話し方を耳にすると、感情が巻き込まれて泣けてくる。存在感が素晴らしい」と、称賛のコメントが数多く寄せられています。

紆余曲折の人生を力に変えた実力派俳優

「この仕事辞めたいってそこまで考えたりしました。だけど辞めるんだったら、世間から徹底的に辞めろって言われるまでやってから辞めようかなって思って」と引退を考えたこともあると明かした柳楽さん。

そんな紆余曲折を経て日本を代表する俳優へと現在も躍進を続けています。波乱万丈の人生を歩んだ柳楽さんの演技から、これからも目が離せません!


※記事は執筆時点の情報です