ベルリン在住で6人の子どものお母さん。モデルとして活躍する傍ら「台所から子育て、暮らしを豊かに」をコンセプトに、オンライン講座とウェブサイトを主宰している日登美さんによる、「食」からはじまるエッセイです。
旬は待ってくれない
寒さの厳しいベルリンでも、ちらほら外の空気に春の訪れを感じる今日この頃。こちらでも白菜が買えるのですが、そろそろ薹(とう)が立ってきて、いよいよ白菜の季節も終わりか、と感じている私です。それにしても、旬っていうのはあっという間ですね。
筍だって、菜の花だって、スーパーに出てきたなぁと思って、いつか食べよう、と思っているうちに、気がつくと旬が終わってしまっているということはありませんか? また季節の仕事、梅干しをつけたり、白菜でキムチを作ったり、というのはその時期にしかできません。そうは言っても日々やらねばならないことってたくさんあって、3度の食事もあるし、掃除洗濯、子どものお迎えに、習い事……などなどで、そこに旬を追いかける暇なんかないわ! という気持ちもわかります。
だけど、旬って待ってくれない。今やるか、やらないか。もちろんキムチは買えばいいし、梅干しだって買えばいいので、食卓の上の旬は逃したってなんとかなります。だけど実は子育ても旬と同じ。待ってくれないのです、そしてそれは逃したら取り返すことができないもの。
日々お母さんは忙しく、早く大きくなって手がかからなくなったらいいな、と思う気持ちもわかります。「ママ来てー」の声に「ちょっと待ってー」「あとでー」と先延ばしにしてしまうこともあるでしょう。だけど、そんな子どもの時期って、まるで旬の野菜みたいにあっという間に過ぎてしまうもの。
実は今月3、4番目の子どもの双子くんが20歳を迎えました。これで上の4人の子どもは全員、正真正銘20歳以上、成人です。やんちゃだった双子はたくさん手もかかって、その上私はシングルマザーだった時期もあって仕事に家事にと忙しく、よそのお宅より手がかけられないことの方が多かったかもしれません。でも子どもの「ママ、見て! ママ、来て!」の声にできるだけ立ち止まって過ごした時間は、かけがえのないものだったと今では思うのです。
それはまるで忙しい毎日に旬を追いかけて、季節の食卓を紡いでいく努力にも似ていました。
別に今よりもっと子育ても食卓も努力しようという意味ではありません。むしろ忙しい、大変な毎日のなかで、どうやって大事なものを紡いでいくかというのは、どこを削って、どこを残すか、という選択が必要になってきます。
全部やる必要はないのです。
意外と日々の暮らしって、無意識にどうでもいいことを大事にして、大事なことを削ってしまっていることもあるもの。だからこそ時々立ち止まって今の子育ての旬は何か、ということを意識してみるのは役に立つことかなと思います。その努力は大変だったという記憶よりむしろ、母にとっても子にとっても人生の宝物として残っていくものじゃないかと思うのです。