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なぜ『火垂るの墓』はトラウマ級に辛いのか。アニメで描かれた“餓死のリアル”とは【Netflix配信】

  • 2025.7.15
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(C) 野坂昭如/新潮社, 1988

スタジオジブリが制作した高畑勲監督作品『火垂るの墓』が、Netflixで7月15日から配信される。同作が日本国内でネット配信されるのは初めてのことで、スタジオジブリ作品としても初めてのこととなる。

本作だけがジブリ作品の中で配信に踏み切れたのは、唯一ジブリではなく原作小説を出版した新潮社が権利を保有していたからだ。その内実はここでは省くが、ともあれ、終戦から80年の節目の年に、本作を見られるようになった意義は大きい。世界が好戦的な雰囲気になってきている今だからこそ、この映画が描いたことの重みは増している。

戦争末期、子ども2人だけ生き抜こうとする兄妹の物語

物語は太平洋戦争が終結した直後、昭和20年の9月から始まる。主人公の清太が力尽きて死にかけている。それを清太の魂が見つめていて、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というナレーションが流れるという、あまりにも辛いシーンから幕を開ける本作は、戦争の容赦のない理不尽さを見る人に強烈に突きつける。

戦争末期、神戸の大空襲で母親を亡くした14歳の清太と4歳の節子は、父方の叔母の家に居候することになるが、肩身の狭い思いをさせられ、2人だけの力で生きていくことを決める。洞窟に家財道具を持ち込み、兄妹が仲睦まじく暮らしていけたのも最初のうちだけで、節子は栄養失調でどんどんやせ細っていく。追い詰められていく清太は、なんとか節子に栄養あるものを食べさせようと盗みにまで手をつけるようになっていく。しかし、節子の小さな命はやがてあえなく消え去ろうとしていた。

幼い兄妹がなすすべなく戦火の中で衰弱していく様子をアニメーションによる巧みな表現で描いている作品で、今なお作画力と演出力いう点で、日本アニメの歴史に残る完成度を誇る作品だ。アニメーションによるリアリティの表現の仕方を徹底的に追求した作品であり、むしろ実写では到達できないレベルのリアルを描いた作品と言える。

清太の決断の是非

本作の主人公・清太と妹の節子は海軍将校の家庭に生まれ、それなりに裕福な家の出身だ。そんな彼らが母親を亡くし、叔母の家に居候することになるが、2人がその家を出ていく展開となるのが、物語の重要な分岐点となっている。

母親がいなくなって寂しい想いをしている節子のそばに居続ける清太だが、叔母の目から見れば働きもしないで遊んでいる厄介者でしかない。そんな叔母に疎まれ、節子も叔母の家に帰りたがらなくなった結果、清太と節子は2人だけで生きていくことを決めてしまう

この時、清太がプライドを捨てて叔母に謝罪して、節子にも言うことをきかせれば2人は死なずにすんだかもしれない。この映画を見た人は、そう思うことがあるだろう。

しかし、14歳の少年がいつでも適切な判断ができるわけではない。戦争中の異常なあの時代、どう生きるのが正解かわかっていた人がどれだけいただろうか。誰もが余裕がなく、大人も日々の生活で精いっぱいだった時代だ。

一方で、高畑勲監督は清太について、“現代の子どもに近い”存在だとインタビューで語っている(本作DVDの映像特典より)。高畑監督は、幼少期に戦争を体験している世代だが、あの当時、清太よりもっと我慢することで生き延びた少年少女たちもいたはずで、清太はある程度お金を持っていて家事もできるから、自分でなんとかできると思ってしまった。だから、叔母に頭を下げずに最期は節子も自分も死ぬことになってしまった、ということを語っている。

そして、公開当時の反響を振り返り、清太に対する批判がもっとあっても良かったのではないかと述懐しているのだ。

筆者としては、14歳の少年が選択を間違うことはありうることだし、一度の間違った決断が死に直結してしまう過酷な戦火の日常を恐ろしく感じた。戦争はそこまでギリギリのところに人を追い詰めていくものなのだと、深く納得させられるものがあった。それに、本作は節子につらい思いをさせたくないという清太の気持ちがよくわかるように描かれている。そんな清太の立場から戦争の時代を追体験させるような作りになっているのだ。

アニメだから到達できた餓死のリアル

本作はアニメーションだからこそ可能な戦争の極限状態を描いたと言える。特に、冒頭の清太や終盤の節子の描写だ。衰弱して餓死に近い死に方をする2人だが、この餓死のリアルをひしひしと感じさせる力が本作にはある。

実写の劇映画で生身の俳優を使って餓死を表現するのは難しい。どれだけ役者が熱演しても、それが俳優であると観客はわかっているからだ。しかし、本作のアニメーターたちは、餓死に向かって衰弱し、身体から力が失われいく様子を巧みに絵によって表現している

哀しいほどに衰えていく節子の姿は、アニメーションでなければ到達できない絶望感がある。なすすべなく節子が動かなくなってしまう時、異様なまでに喪失感を感じさせる。

戦争は大切なものを喪失させる。その喪失をどんな映画よりもリアルに感じさせる作品だ。誰もが理不尽に大切なものを奪われるのが戦争だと、これほど痛切に伝える作品は他にない。戦後80年にぜひとも見るべき作品だ。



ライター:杉本穂高

映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi