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“宣伝ゼロ”の異例公開『君たちはどう生きるか』 ジブリの実力を“証明”した、最高峰の手描きアニメ【本日放送】

  • 2025.5.2

本日5月2日、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』が『金曜ロードショー』で放送される。2023年に劇場公開された当時、事前宣伝を一切しないという異例のやりかたで公開されたことが議論を呼び、その内容についても様々な意見が噴出した。

海外においては高く評価され、米国アカデミー長編アニメ映画賞など数々の賞を受賞。日本のアニメが同部門を受賞するのは、『千と千尋の神隠し』以来のことだ。

公開当時は難解といった声も聞かれた本作。たしかにわかりやすいストーリーラインにはなっておらず、メタファーの連続で構成されるような内容なのだが、考えようによっては、これほどシンプルな作品もないと思う。理屈上の意味よりも、感覚的なイマジネーションの奔流に身を任せるように見れば、何かを感じ取れる作品なのだ。

不思議な世界に迷い込んだ少年が成長して帰還する話

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© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

舞台は太平洋戦争中、実母を空襲による火災で亡くした少年・眞人は、軍需工場の経営者である父と母の実家へと工場と一緒に疎開することになる。父は、母の妹・夏子と再婚したのだ。

その疎開先の近くには、アオサギが住む不思議な塔が建っている。人語をしゃべるアオサギは、母親があなたの助けを待っていると語りかける。ある日、夏子が失踪すると、眞人は塔の中にアオサギとともに向かい、そこから不思議な世界に迷い込むことになる。

そこは不思議な生き物たちが暮らす幻想の世界であり、その世界で眞人は大叔父と向かい合い、この世界のバランスを取るために石を積み上げる役割を引き継いでほしいと言われるが、眞人は拒否して現実世界へと戻る決意をする。

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© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

このように、物語自体はとてもシンプルだ。父親に対して葛藤を抱える少年は、幻想の世界で母を救い出し、現実世界へと帰還する。その時、少年は成長する。不思議な世界に行って冒険を繰り広げた後、戻っていくという物語は、古今東西たくさんあり、宮崎駿監督も『千と千尋の神隠し』のように、不思議な世界から帰還する物語を描いてきた。

一種の精神世界のような場所に迷い込んだことで、何かを感じて内面的な成長を描くという物語構成であり、それ自体は非常にシンプルでわかりやすい。

超一流アニメーターたちが描く宮崎駿のイマジネーション

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© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

とはいえ、個々のシーンは特に説明されずに不思議なことがたくさん起こるので「難解」と感じる人がいることは不思議ではない。通常、物語は必然性のあるシーンをつなげて理解できるように作られるが、本作はつながりよりも、イマジネーションの赴くままに様々な要素を詰め込んでいるような感じがあって、個々のシーンの連続性が見いだしにくい。それゆえに何が起きているのか理解できないと感じられるかもしれない。

しかし、この映画で描かれるのは想像力の空想の世界のようなものなので、何が起きても不思議ではない。理屈ではないということを理解してしまえば、難しいことは何もないはず。言葉では説明しがたいものなので、感覚的に捉えるという姿勢を持って観るのが重要になるタイプの作品で、考えず感じることを優先して鑑賞した方がいい。

本作はとにかく、一瞬一瞬のアニメーション映像の完成度が高くて眼福だ。やはり、スタジオジブリが日本最高峰のスタジオであることを改めて証明したと言える。原画を担当したアニメーターはいずれも超一流の人ばかり、他のアニメ現場ではエースと言えるような人材ばかりで監督経験者も多い。

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© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

例えば、冒頭の火災のシーンで、人物が炎に揺らめくシーンは、アニメならではの描写と言える。そうした派手なシーン以外にも、眞人が自ら石で頭を傷つけるシーンで流れる血のドロッとした感じなど、地味だがすごい描写がたくさんある。大量の鳥が飛び立つシーンなども全て手描きで描かれており、日本を代表するアニメーターたちの職人技が凝縮されている作品だ。他にも目を見張るシーンが満載で、日本の手描きアニメの最高峰の作品と言っていい。

昨今、SNSではジブリ風のAI画像が流行していたが、本物の職人たちによる絵は、そうしたものとはまるで強度が異なることが本作を見るとよくわかる。

走馬灯のような映画

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© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

この映画の主人公が置かれている環境は、父親が軍需工場の経営者であることなど、宮崎監督自身の少年時代と一部共通する。言うなれば、これは現実の自身の体験と想像力の世界を混ぜ合わせたような内容なのだ。その点で、この映画は“走馬灯”のような映画と言えるかもしれない。記憶の中では自分の想像と過去の思い出もないまぜになって、何が現実だったか曖昧になることは、人間だったらよくあること。そういう個人の記憶を映像として表現した作品ではないかと思う。

だから、つじつまとかはそれほど重要視されていないのだ。それよりも重要なのは、イマジネーションに身をゆだねてそれを受け入れること。考えようとしないで、これは誰かの脳内を直接見ているのだと思うと、面白く見えてくる。いうなれば宮崎駿という巨匠の脳内と直接コミュニケーションできるような作品なのだ。


ライター:杉本穂高
映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi