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上沼恵美子さん・69歳「愚痴やひがみに聞こえるかもしれないけど」今のテレビに思うこと

  • 2024.10.7

20年以上にわたり、関西を中心にテレビ界に君臨してきた上沼恵美子さん。2011年9月号にご登場いただいてから13年。その間、「人生のどん底を見た」と語りますが、’21年にはYouTubeチャンネルを開設し、昨年からは多くのテレビ番組にゲスト出演が続いて存在感を発揮。雑誌の連載もスタートし、今再び乗りに乗っている上沼さんの毒舌が炸裂しました。

裏切られ、どん底を見たからこそ、もう“ま、いいわ”と思える。欲がないほど強いものはないんです

お話を伺ったのは…上沼恵美子さん(69歳)

《PROFILE》
’55年兵庫県生まれ。’71年姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の千里でデビュー。’77年結婚後、芸能界を引退して専業主婦になるも、翌年「上沼恵美子」として復帰。以来、関西を中心に活躍。’94年、’95年に『NHK紅白歌合戦』の司会を2年連続で務め、日本を代表する人気司会者に。’95年スタートの料理番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』は27年続く長寿番組に。’21年YouTube公式チャンネル「上沼恵美子ちゃんねる」をスタート。

四半世紀続いた番組が終了。奈落の底に落ちました

16歳で姉との漫才コンビでデビューし、事務所が吉本興業でも松竹芸能でもないので、なんばグランド花月のような華やかな劇場には出れなくて、楽屋は汚い、お客さんも6名しかいないようなストリップ劇場を寄席にした舞台に立っていました。姉と「はよやめよ」と、漫才は4年しかやってないの。

20歳で出演した番組で夫と出会い、22歳で結婚。芸能界を引退し、翌年5月に長男を出産しました。ところが、専業主婦希望の夫の反対を押し切って、7月から上沼恵美子として土井勝先生の料理番組のアシスタントで復帰。当時は仕事について精神的リフレッシュ、とかっこええこと言うてましたけど、結婚して蓋を開けてみたら食べていかれへんかったの。夫は気前がよくて、人に奢ったりゴルフし放題で、家に入れる生活費がちょろりんこで、お金がなかったんです。

私のパンストの電線を見た母に、3枚重ねたら目立たないと言われたとき、そんな人生は絶対にイヤ、パンストくらい自分で買いたいと思いました。息子が言います。「おとんがお小遣い3万円でやれる人なら上沼恵美子は誕生しなかった。おとんが遊び人でよかった」って。

次男を出産後、NHKの法律番組にレギュラー出演し、’94年、’95年と2年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会。そこからですね。冠番組がどんどん来て、40代で花咲きました。とはいえ夫との約束で西は姫路、東は滋賀県までの範囲でしか仕事してないローカルタレントですが、かなり儲けさせてもらいました。

当時は姑と同居で、18坪の建売住宅の小さい家もイヤでね。30歳のとき、古い家を買って積水ハウスでリフォーム。セカンドハウスは白浜とハワイに2軒。犬の散歩中に見つけた建築中のマンションに、「7階ください」と大根買うみたいに買って、自分のアトリエにしたり。全部私のお金でキャッシュで買いました。こんなことできたのは、働かせてもらったから。忙しかったし、個人事務所なので事務所のピンハネもなかったんです。関西のタレントでは納税額一番になり、ありがたかったですね。感謝しかありません。

ところが、四半世紀続いた「快傑えみちゃんねる」が’20年7月、続いて’22年4月に「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」が終了したんです。「おしゃべりクッキング」は納得できる終わり方でしたが、「快傑えみちゃんねる」の関西テレビに今も腹が立っているし、言いたいことがいっぱいあります。人ってこんなに変わるんだと裏切りも見ました。でも、いただいたトロフィーを勝手口でかち割ってすっきり。それで仕返ししたつもりです。

今のテレビは製作費が少なく、私みたいにギャラが高くて、好きなこと言うタレントは時代に合わないことも全部わかってます。私が言うと愚痴やひがみに聞こえるかもしれないけど。

その後、12年間一緒に暮らした愛犬べべが亡くなって、テレビはお払い箱になるわ、雑誌にあることないこと書かれるわ、主人とも仲いい訳じゃないから別居して、人生の奈落の底に落ちました。常に雲の上を歩いているみたいな感覚で、人生ふわふわしてるんです。生きるってしんどいですよ。

でも私はね、どないしたいとか、花火上げたいとかまったくなくて、あるがままに仕事してきただけなんです。全然欲がないから、ま、いいわ、と思えるこの強さ。仕事にも行きたなかったし、完全に引退と思ってました。

そんなとき、うちに定期的にメンテナンスに来てくださる方が、「ファンです。大丈夫ですよ」と温かく見守ってくださって、気持ちが癒されたんです。その方は今も時々仕事を手伝ってくださり、心強い相棒になっています。

2024年『美ST』10月号掲載
撮影/彦坂栄治(まきうらオフィス) ヘア・メイク/河口智子(AIC) 取材・文/安田真里 再構成/Bravoworks,Inc.

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