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【注目アーティストfile.39】変化し続ける私と社会を刺繍でつなぐ——キム・ジンヒ

  • 2026.10.9
Hearst Owned

ファッションのスタイリングを楽しむように、もっと気軽にライフスタイルにアートを取り入れてほしい――そんな思いで気鋭の現代アーティストの作品をELLE SHOPで販売中! 今回は韓国で、自己と社会の関係性をテーマに、写真に詩集を施すアーティスト、キム・ジンヒさんに注目。写真と刺繍を通して、自分自身と他者、女性と社会の「関係性」を見つめてきた創作の道のりをインタビューした。作品の詳細・購入はELLE SHOPへ。

写真の上に糸を重ねて、見えない感情をすくい上げる

JINHEE KIM

大学の写真卒業後、同世代の女性たちが抱える痛みや不安など、繊細な心象に寄り添った作品〈Whisper(ing)〉シリーズでアーティストとしての活動をスタートさせたキムさん。その発展形として誕生した〈She〉では、写真のプリントに直接、言葉や抽象的な形の刺繍を施すようになった。それは、写真に写っているものだけでは捉えきれない、被写体の内面や感情を表現するためだった。2014年のセウォル号沈没事故を受け、事故現場近くの風景写真に抽象的な形の刺繍を施した〈April〉、ヨーロッパの蚤の市で手に入れた古いポストカードに言葉を縫い込んだ〈Letter to Her〉〈Labor of Love〉など、その後も写真と刺繍の関係をさまざまに探ってきた。「画像に施した刺繍は、そのカードに綴られていた手紙の言葉。何十年も前に見知らぬ人々が交わした言葉が、時を超え、こうして現在を生きる私や鑑賞者の方と、温かい共感としてつながっていくのです。シリーズごとに、どのような方法が最も効果的なのかをいつも考えています。写真から制作を始めたので、かつては写真の技術的な完成度にこだわっていました。でも次第に、写真そのものの出来栄え以上に、そのメディアをどう使い、何をどう伝えるかが大切なのだと気づいたのです。私にとっては、高度に磨かれた技術よりも、説得力のある表現のほうが大切です」

《FingerPlay-057》2019 | digital pigment print | © Jinhee Kim, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY JINHEE KIM

刺繍することは、身体を使って考えること

今回ELLE SHOPに登場するのは、2018年から取り組んできた〈Finger Play〉シリーズ。韓国で流通する雑誌などの印刷物から、女性の手や仕草の写真を収集し、そこに刺繍を施すなどして作品へと変えていく。制作のきっかけは、自分の手だった。「免疫系の不調によって、私の手には繰り返し湿疹ができるようになりました。その手と、ファッションメディアに描かれる、いわゆる女性らしく美しい手や仕草との間に、はっきりとした隔たりを感じたんです」。メディアのなかで美しくポーズを取る手を、私たちはあたりまえのように見送っているけれど、そこにはいつの間にか共有された「女性の手はこうあるもの」というイメージがある。キムさんはそのイメージを収集し、刺繍という自らの手仕事を重ねていく。写真に針を通し、糸を押し込み、また表へと押し出す。その反復はキムさんにとって、自らの内側にあるものを社会へと「押し出す=表出する」行為でもある。社会が無意識に作り出した女性像の上に、自身の身体や感覚が書き加えられていくのだ。

写真に糸を刺していく作業は、一見静かな手仕事に思えるが、実は過酷な身体作業なのだという。「実際には身体の限界が試されるような、負荷の大きい手仕事です。高い集中力と持久力が必要でいつも疲れ果ててしまいますが、一点を完成させたときには、深い充実感があります」

《FingerPlay-060》 2019 | digital pigment print | © Jinhee Kim Courtesy of KANA KAWANISHI GALLERY JINHEE KIM


キムさんが一貫して探求してきたのは「関係性」だという。自分と他者、自分と社会。そして近年、その関係にも変化が生まれている。「もともと身の周りの人々や社会の物語に関心がありましたが、結婚、出産、子育てを経験し、社会という枠組みのなかで、私自身のアイデンティティと、移り変わる状況とが、互いにどう影響し変化していくのかを深く考えるようになりました」。外と自分は、呼応しているという。「大切な人、自分が属する社会、惹かれるもの、反感を覚えるもの。これらは全て“私”から始まっています。外側のものが薄れたり変わったりすれば、それらは私の心を動かす存在ではなくなるし、一方で自分の内面に変化があれば、外の世界が全く同じでも、その見え方はガラリと変わります。 “私”は私のままで変わらないときもあれば、変化するときもあり、ときには全く新しい自分になることもあります」。とは言え、中年になった今でも、自分自身のことはよくわからないという。「これほど尽きることなく考えるきっかけを与えてくれ、これほど苦しみと喜びをもたらしてくれるものは、“自分”のほかにはありません」

2019年に西麻布のKANA KAWANISHI PHOTOGRAPHYで開催した個展「Finger Play」のオープニング当日の様子。 JINHEE KIM

変わる自分と、変わる社会。その間にあるもの

壮大な志などは抱いていない、とキムさん。「繰り返し思うのは、“自分でさえ、自分のことがよくわからない”ということ。ほかの人が私を十分に理解できないのも当然ですし、だからこそ、社会のなかで自分がどのように存在しているのかを問い続けるしかないのだと思います」。自分は社会のなかでどんなよい役割、ふさわしい役割を果たせるのか。社会は自分にどんな善意を、あるいは意図しない悪意をもたらすのか。「今の作品がこうした思いを十分に伝えられているのかどうかははっきり言えませんが、これからの制作に少しずつ織り込んでいきたいと思っています。見る方にも一緒にこうしたことを考えていただき、今後の作品とともにその思考を深めていけたら嬉しい」

2019年の個展「Finger Play」の展示風景。 JINHEE KIM

「自分でさえ、自分のことがよくわからない」

最後にキムさんはこんな言葉を寄せた。「私にとって、この世界は、はっきりと定義できないものばかりでできています。かつて明確だったことも、視点が変わったり自分以外の存在と関わったりすることで、いとも簡単に崩れてしまう。定義とは、社会のなかで便宜上交わされる合意にすぎず、その合意はいつでも変わりうるものなのではないか、とよく考えます」。けれどキムさんは、その不確かさを不安としてだけ捉えてはいない。「全てはいつでも変わりうると気づくことで、むしろ一つひとつがいっそう大切に感じられ、重くのしかかっていたものも、少し軽くなります」。自分も、他者も、社会も、まだ完全にはわからない。だからこそ、決めつけずに見つめ続けることができる。変わり続ける「私」と世界の間で、キムさんの探求も続いていく。

JINHEE KIM

キム・ジンヒ

PROFILE 1985年、韓国・釜山生まれ。2008年中央大学校(ソウル)写真学科卒業。同年代の女性の抱える痛みや不安などの繊細な心象に同調する〈Whisper(ing)〉シリーズでデビュー。写真に刺繍や切り抜きなどの手法を取り入れながら、自分自身や他者、女性、社会との「関係性」を探究する。〈Finger Play〉で「THE REFERENCE ASIA: PHOTO PRIZE 2019」優秀賞を受賞。主な個展に「The Way We Hold Hands」(2020年、La Heen、ソウル)、「Finger Play」(2019年、KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY、東京)など。グループ展に「Penelope’s Web」(2022年、Plate2Place、ソウル)、「Decades 2000_2020」(2021年、KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY、東京)、「Body Politics: What Defines the Body?」(2018年、KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY、東京)など。作品は清里フォトアートミュージアムに収蔵されている。

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