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張本勲さんの死去、韓国紙も追悼 「民族差別だけでなく障がい者差別とも闘った…引退まで帰化せず韓国籍」

  • 2026.9.12

9月9日、元プロ野球選手の張本勲さんが亡くなったと訃報が伝えられ、各方面からその死を悼む声が寄せられている。

張本さんは1940年生まれの86歳。日本プロ野球界でただひとりしかいない通算3000本安打を記録した偉人でもあった。

張本さんは、在日韓国人二世。幼少期に火傷で右手に障がいを負ったが、それを乗り越えて偉業を達成したことでも知られる。

そうしたなか、韓国紙『Seoul Shinmun』は、「癒着した指も凄まじい差別も乗り越えた…3085安打製造機」として、張本さんの死去を悼む記事を伝えていた。

「4歳で右手に火傷、5歳で原爆被害。日本通算最多安打…野球殿堂入り。障がい・民族差別と闘い大記録を達成。引退まで帰化せず韓国籍を維持。

1981年に引退直後の張本氏にインタビューした際、『当分は休みたい…世間からは生意気だと言われている』という言葉を残した。

民族差別が激しかった日本で、韓国籍を維持したまま孤軍奮闘しなければならなかった重荷を下ろした後の晴れやかさと疲労感が同時に感じられる一幕だった。

韓国では苦難を克服した不屈の闘志を持つ人物として、日本では不滅の記録を残した野球界の英雄として記憶されている張本氏が9日に死去した。86歳だった。

1970~80年代の日本プロ野球界で最高の打者に君臨した張本氏は、日本統治時代の記憶が残っていた当時の韓国人に希望と勇気を与える象徴であった。

しかし、彼が闘わなければならなかったのは、民族差別だけでなく、障がい者差別でもあった。

(中略~)同氏が野球選手になろうと決心したのは、それが日本社会で成功できる唯一の道だと信じていたからだ。

野球を始めたのは中学からと遅かったが、才能を開花させた。だが、プロ野球選手になることも簡単ではなかった。

同氏を獲得しようとした球団は、外国人選手を2人に制限していた規定を理由に挙げながら、日本への帰化を勧めたが彼はそれに応じなかった。

結局、日本野球機構(NPB)が『日本で生まれ育った選手を外国人選手枠から除外する』という規定を新設したことで、プロ選手になることができた。

引退以降に日本国籍を取得したとはいえ、韓国人という理由で差別を受けながらも韓国籍を維持したまま選手生活を続け、韓国人たちに大きな誇りを与えた」

張本さんは2025年に韓国紙のインタビューで「数年前に国籍を変えた。今は日本国籍」と告白。

そのうえで、「日韓関係には歴史的なものがある。差別もあった。朝鮮半島は日本人が支配していた。 いろいろな意見があるだろうが、韓国も助けられた。日韓両国が協力して韓国が途方もなく発展し、近代国家になった。 お互いにもっと理解すべきだと思う」とも述べていたという。

筆者:井上大輔(編集部)
画像提供:Getty Images

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