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デス・メタルを作った男は、病床でも新曲を聴いていた。没後25年で日本公開

  • 2026.8.21

人間の声をかなぐり捨てたデス・ボイスと、暴虐性に振り切ったスピード。ヘヴィ・メタルのなかでも最も異端として進化してきたデス・メタルというジャンルには、それを一人で立ち上げた男がいる。その生涯を追ったドキュメンタリー映画『デス・バイ・メタル〜デス・メタルを作った男〜』が、9月25日よりシネマート新宿、池袋シネマ・ロサ、シネマリスほかで全国順次公開される。(フロントロウ編集部)

バンド名が、そのままジャンルの名前になった

配給のキングレコードによると、本作の主人公はチャック・シュルディナー。1983年にフロリダで結成されたバンド、DEATHを率いた人物だ。

DEATHは、バンド名がそのままジャンル名になったという、音楽史でもかなり珍しい存在にあたる。スラッシュ・メタルから枝分かれし、より速く、より過激な方向へ突き進んだその音楽は、やがてデス・メタルと呼ばれるようになった。ジャンルの名前を耳にしたことはあっても、その起源にひとつのバンドがいたことまでは知らなかった、という人のほうが多いだろう。

『デス・バイ・メタル〜デス・メタルを作った男〜』場面写真
©2016 Table14, Inc. All Rights Reserved.

イメージとは正反対に、彼は驚くほど繊細だった

この映画がすくいあげるのは、ジャンルの荒々しいイメージとは正反対の人物像だ。彼は驚くほど繊細で、音楽に対して誠実だった、と作品は描く。

その誠実さは、周囲にとっては厳しさでもあった。理想の音を追求するためなら、たとえ長年の仲間であっても容赦なくメンバー・チェンジを繰り返す。バンドは徐々に彼のソロ・プロジェクトの様相を呈していき、独裁者とも言える完璧主義ぶりは、時に非情とも呼ばれた。だが、それこそが妥協のない音楽的進化を可能にした原動力でもあった——というのが、共に作ってきた仲間たちの証言から浮かび上がる評価だという。

作品は、テープ・トレードを通じて音楽を分かち合っていた青春時代から始まり、バンド結成、幾多のメンバー交代、絶えざる音楽性の進化を経て、やがて彼の身体を蝕む病魔との闘いへとたどり着く。34歳という若さで世を去るその最期まで、彼は音楽を作ることをやめなかった。

終盤には、病床で電話越しに新曲を聴き、遠く離れた仲間たちと涙するエピソードが置かれている。暴力的なジャンル・イメージからは想像もできない、ひとりの人間の静かな強さが残る場面だ。

『デス・バイ・メタル〜デス・メタルを作った男〜』場面写真
©2016 Table14, Inc. All Rights Reserved.

出演は本人のアーカイブ映像のほか、スティーヴ・ディジョルジオ、ジーン・ホグラン、リック・ロズといったバンドの元メンバーたち。加えてジェーン・シュルディナー、ベサン・シュルディナーという家族も証言者として登場する。監督・脚本は、製作も兼ねるフェリペ・ベラルカサル。2016年のカナダ作品で、上映時間は107分だ。

同じ日に、ジャンルの「親」を描いた映画も封切られる

公開が今年に設定された背景には、節目が2つ重なっている。ひとつは、彼が世を去ってから今年で四半世紀にあたること。もうひとつは、メタリカ、スレイヤー、メガデスらが歴史的名盤を送り出した「奇跡の1986年」から40年という区切りだ。

そのため9月25日には、そのベイエリアのスラッシュ・シーンを本人たちの証言で追った『マーダー・イン・ザ・フロント・ロウ〜俺たちのベイエリア・スラッシュ物語〜』も同時に封切られる。配給側は、世界的にも異例のピンポイントな2作同時劇場公開だとしている。片方でジャンルが生まれ、もう片方でそこから枝分かれした先が描かれる、という並びだ。

『デス・バイ・メタル〜デス・メタルを作った男〜』は、9月25日よりシネマート新宿、池袋シネマ・ロサ、シネマリスほか全国順次公開。作品の詳細は公式サイトで確認できる。

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