1. トップ
  2. エンタメ
  3. なぜ人は“不倫ドラマ”を見てしまうのか?不倫に対して嫌悪も理解も生んだ、名脚本家の最高傑作【ネトフリドラマ】

なぜ人は“不倫ドラマ”を見てしまうのか?不倫に対して嫌悪も理解も生んだ、名脚本家の最高傑作【ネトフリドラマ】

  • 2026.9.19
undefined
宮沢りえ (C)SANKEI

2025年にNetflixで配信された『阿修羅のごとく』は、向田邦子の最高傑作と言われる連続ドラマのリメイクで、『万引き家族』の原案・監督・脚本・編集や『怪物』の監督などで知られる是枝裕和が監督・脚色・編集を務めている。

※以下本文には配信内容が含まれます。

本作は東京で暮らす四姉妹の物語だ。 昭和54年(1979年)のある冬の日、三女の竹沢滝子(蒼井優)は長女の三田村綱子(宮沢りえ)、次女の里見巻子(尾野真千子)、四女の竹沢咲子(広瀬すず)を集める。滝子は、父親の恒太郎(國村隼)に愛人と子どもがいることを姉妹に伝える。

物語は竹沢家の父と母と四姉妹の家族の関係を描くと同時に、それぞれの恋愛模様を掘り下げていく。

夫に先立たれて後家となった長女の綱子は、生け花の師匠として生計を立てていたが、料理屋の主人で妻帯者の桝川貞治(内野聖陽)と不倫の関係にあった。 次女の巻子は、専業主婦として夫の里見鷹男(本木雅弘)と二人の子どもを育てながら幸せな家庭を築いていたが、鷹男が不倫をしているのではないかと疑っていた。 図書館で司書として働く三女の竹沢滝子は、恋愛に対して不器用な性格だったため独身だったが、父の身辺調査を依頼した興信所の調査員・勝又静雄(松田龍平)と次第に恋仲となっていく。 四女の咲子は、ボクサーの陣内英光(藤原季節)と同棲していたが、明日どうなるのかわからない危険な仕事ゆえに姉妹からは、あまり良く思われていなかった。

そして、母のふじ(松坂慶子)は、姉妹の前ではいつも通り振る舞っていたが、実は父の浮気に気付いていた。

向田邦子の脚本を昭和の時代劇として撮った是枝裕和

『阿修羅のごとく』はNHKで、1979年にパート1が全3話放送され、1980年にパート2が全4話放送された。
今回のNetflix版『阿修羅のごとく』は、パート1とパート2をひとつにまとめた全7話となっており、細かい脚色はあるものの、向田邦子の脚本に忠実な物語となっている。
リメイクというと、原作の古い価値観を現代的なものに変更したり、時代設定を現代に置き換えることが多い。
しかし、本作は放送当時の昭和の価値観を、そのまま描こうとしており、ここまで原作に忠実なリメイクも珍しい。
ただ、それは脚本においてのみであり、演出に関しては全く異なるアプローチとなっている。
NHKドラマ版『阿修羅のごとく』が高く評価されたのは、向田邦子の脚本だけでなく、演出も斬新だったからだ。

まず多くの人が衝撃を受けるのが、メフテル(トルコ軍楽)『ジェッディン・デデン』の使い方だろう。この曲はOPで流れ、劇中でも繰り返し流れる。そのため、『ジェッディン・デデン』の印象がそのまま『阿修羅のごとく』のイメージとなっているのだが、日本の家族の物語の劇伴として使用するには異物感が強すぎるため、普通なら出てこないアイデアだ。
これは他のシーンでも同様で、音楽の使い方や映像がとても斬新すぎて困惑する場面がとても多い。役者の芝居と物語はとてもシリアスなのに、映像と音楽は異物感を強調する二重性が、NHKドラマ版『阿修羅のごとく』の不思議な味わいとなっていた。

対して、Netflix版『阿修羅のごとく』は、端正で安定感のある映像となっており、脚本と役者の演技が際立つように演出されており、古き良き日本映画を観ているようだ。おそらく、Netflix版『阿修羅のごとく』は、もはや遠い過去となった昭和を時代劇のように撮ろうとしたのだろう。 その結果、物語の中にある普遍的なテーマが、より鮮明になったと感じる。

家族と不倫の物語

『阿修羅のごとく』のような不倫を描いたドラマは、今も多く作られている。
芸能人の不倫スキャンダルが報道され話題になる度に、なぜ不倫は、ここまで人の心を惹きつけるのかと不思議だったが、本作を観ると、不倫に怒る人の気持ちも惹かれる人の気持ちも、理解できるようになる。

本作の四姉妹は、口喧嘩ばかりしているが、結束は強く、普段から連絡を取り合っており、何か問題があると集まる。
宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すずが演じる四姉妹の丁々発止のやりとりはとても楽しく、本作最大の見せ場だが、彼女たちのやりとりを見ていると、口ではどんなに酷いことを言い合っていても、強い絆で繋がっているのが家族なのだと思う。 しかし、そんな家族でも埋められない寂しさがある。その寂しさを長女の綱子と父の恒太郎は不倫で埋めようとした。
だが、不倫は家族にとっては裏切りである。だから、母のふじと次女の巻子は怒ると同時に深く傷つく。
本作が不倫ドラマとして誠実だと感じるのは、不倫をした側とされた側、双方に孤独と哀しみがあることを描いていることだ。

家族が集まっている場面の明るさと比べると、色恋を描いた場面は暗くて湿っぽい。三女の滝子と静雄、四女の咲子と英光の不倫ではない恋愛もそれは同様で、恋愛自体を暗くて後ろめたいものだと向田邦子が捉えていたことが、とてもよく理解できる。

昭和の家族を描いているため、令和の視点で観ると恋愛に対する暗い価値観は古風過ぎるように見えるかもしれない。
だが、家族と不倫の本質に迫る描写は、いまだ古びておらず、いつの時代でも通用する普遍性が存在すると言えるだろう。

だから『阿修羅のごとく』は、古典として残ったのである。

の記事をもっとみる

注目コンテンツ