1. トップ
  2. 「自分で自分の二次創作をしてしまいそうで怖かった」――プロットなしで紡がれた新作『ファイア・ドーム』。辻村深月がデビュー20年超で見つけた新しい挑戦【インタビュー後編】

「自分で自分の二次創作をしてしまいそうで怖かった」――プロットなしで紡がれた新作『ファイア・ドーム』。辻村深月がデビュー20年超で見つけた新しい挑戦【インタビュー後編】

  • 2026.7.18

この記事の画像を見る

辻村深月さんにとって初めての本格的「事件小説」となる新作『ファイア・ドーム(上・下)』(小学館)。架空の地方都市を舞台に、25年前と現在で起きた二つの誘拐事件が交錯する本作は、担当編集者からの「現代ミステリーを書いてほしい」という一貫したオファーから生まれたという。

身近な場所で起こった事件に対し、誰もが「当事者になりたがる意識」や、純粋な“心配”から発せられた悪意のない言葉がいかにして炎となって燃え広がり、人を追い詰めていくのか。SNS時代にとどまらない現代社会の本質的な問題と、人が大きな事件に魅了されてしまう理由を描く本作。インタビュー後編では、被害者家族と加害者家族を掘り下げていく過程で生まれた葛藤や、本作を「新しい挑戦」と位置づける理由についてお話を伺った。

自分の「怒り」を起点にしつつ、「誰かを糾弾したい」という気持ちにならずに書けた

――本作を読みながら、根底には辻村さんの強い怒りがある、と感じつつ、これまでの作品とは怒りの表出のされかたが違う、とも感じました。ご自身では意識されていましたか。

辻村深月さん(以下、辻村) おっしゃるとおり、これまで私は喜怒哀楽のなかでも特に、私自身が怒りを感じることを起点にテーマが決まることが多かったんです。だけどだんだん、同じ怒りを描くにしても、私個人の感情とは少し違うものが投影されるようになっていった。誰かを断罪するような激しさとはまた違う怒りを書くようになっていくなかで、今作は久しぶりに「他人の尊厳が誰かの軽い気持ちによって脅かされる」ことへの怒りという、自分自身の感情を発端に物語を書き始めました。ただ、以前の私なら、脅かした人に対して「謝れ」と迫るような気持ちがあったと思うんですよ。誰が悪いとか、誰かを糾弾したいという気持ちにならないまま書けたのは、自分でも不思議な感慨があります。今の自分が書いたらこうなるのか、と。

――だからといって、登場人物一人ひとりが負った傷や「許したくない」という気持ちを軽くしているわけではないですよね。それはそれとして、ときに激しく描きながらも、断罪するだけでは解決しない社会のありようを浮き彫りにしている。それが、事件そのものを俯瞰的に書くことで生まれた凄みなのだろうなと。

辻村 ありがとうございます。たとえば、誘拐事件が起きたとき、被害児童の担任だった佐村美冬が電話に出られなかったことに対し、週刊誌が「エステに行ってたって本当ですか?」と質問しますよね。エステじゃなくて鍼灸院だし、記者側の報道の思惑が透けて見えて、腹のたつ質問だけど、だからといってその記者を捕まえて謝らせても仕方ない。その記者が報道しなくても、別の角度から何かしらの矢が飛んでくるかもしれないし、どうしたって、そういう事態は起きる。その現実のどうしようもなさに、誰よりも直面してきたのが25年前の被害者遺族である新沼忠治です。また、美冬の恋人であり報道する側でもある新聞記者の桜木透真も発信する立場からの葛藤を抱えます。

下巻は、そんな彼らが「それでもそんな社会の中で自分はどう生きるか」に向き合っていく物語になったと感じています。そこにたどりつく小説になるとは、書き始めた当初は思っていなかったですし、それがあったからこそ、おっしゃるような俯瞰的な視点を感じていただけたのかもしれません。

「書いていいのだろうか」葛藤した、被害者家族と加害者家族の対面シーン

――美冬と透真、それから忠治を軸に、視点人物がさまざまに変わっていくからこそ、生み出されたフェア性が本作にはあったなと思います。とくに美冬は、当事者に近い場所にいるけれど、当事者ではない。だけど、噂の的になる。ものすごく曖昧な立場である彼女の視点があったことは大きかったなと。

辻村 これまで何度もお話ししていることですが、私は基本的に、プロットをつくらないんですよ。それは今作も同じなので、いろんな方に「よくできている」と言われるたび、緻密に組み立てたわけではないことにがっかりされないか不安でたまらないです(笑)。

――むしろ「プロットなしでよくぞここまで」と、いっそう感動すると思います(笑)。

辻村 決めていたのは一章の終わり、25年前に市議会議員だった忠治が、娘を誘拐されたあとの議会で不規則発言をしてしまうところまでなんですよね。そこがクライマックス、くらいの気持ちだったから、書き終えたら物語自体も終わってしまうんじゃないかと思いつつ、『ファイア・ドーム』と名付けた以上はもう一度事件で揺らされるのだろう、きっと現代でも事件が起きるのだろうと予感はしていたんです。でもそれがどんな事件なのかは、まったく想定していなくて。誘拐された紗英と同じ年頃の女性を出そう、というところから新米教師の美冬が、現代の事件を追う存在として、25年前の事件を記憶している年上の恋人である透真が、それぞれ生まれました。

くわえて、被害者遺族という立場で、心ない噂にさらされ続ける忠治の現在も描きたかったのですが、その三人だけだと読んでいて苦しすぎるかもしれない。息継ぎに、小学生になる忠治の孫・光汰朗の友達である速斗の視点も入れようと決めたのですが、そこでもやっぱり、何が起きるかは決まっていなかった。実は当初は、美冬が誘拐される案もあったのですが、考えた末、「かつて娘を誘拐・殺害された忠治の家から、再び孫がいなくなる」という展開が一番過酷ではあるけれど、その先に絶対に何かがあると直感して書き出した、という感じでした。

――25年前の犯人は捕まり、事件は解決しているけれど、忠治のなかでずっと事件は終わっていない。その心理も丁寧に描かれていたからこそ、ラストで加害者家族と対面するシーンに、揺さぶられました。でもきっと、辻村さん自身にとってその対面は「気づけばたどりついていた場所」で決めていたわけじゃないだろうなと思ったのですが……。

辻村 そのとおりです。でも正直、その道筋が見えてなお、書いていいのだろうか、と葛藤もありました。直接会うことはきっと、忠治にとっても加害者家族にとっても怖くてたまらないことだっただろうけど、私自身も、怖かったです。その対面で、忠治が相手側にかけた言葉は、ふつうならとうてい、口にできないものだと思うんですよ。それこそ当事者ではない人間が、あれこれ想像するだけでは、決してたどりつけない感情を、忠治は私の予想をこえて吐露してくれた。孫を誘拐した犯人にかけた言葉も、最後に娘の墓前でこぼれた言葉も、私が頭で考えただけでは決して出てこないものばかりでした。許せないし忘れたくない、だけど25年前から続いている事件を終わらせたい。その一心で、彼はずっと戦い続けてきたんだということに、私自身、著者であっても、書き終えて、初めて気づきました。忠治に教えてもらうことが、今作は本当に多かった。

――忠治のパートは、これまでの辻村作品では触れてこなかったような密度と凄みがありましたし、彼に導いてもらうような言葉もたくさんありました。それこそ「断罪するだけでは意味がない」ことが身に染みている彼を介したからこそ、見える景色があったというか。

辻村 25年という長い月日が存在したことが物語にとってよかったんだろうと思います。後半、勇気という言葉が何か所か象徴的に出てくるのですが、つらいことのすべてに向き合い耐えながらも受け止めることだけが勇気ではない、ということを忠治が教えてくれた。そうした人物像を描けたのもまた、今の自分だからだと思います。

――忠治は誰よりも傷つき絶望しているのに、というか、だからこそ、美冬や透真たち、登場人物のことを導いていく存在でもありましたよね。

辻村 「誰も傷つかない記事を書いてほしい」と、忠治が透真に言いますよね。自分で書きながら「なんてセリフだろう」と思ったんです。記事に限らず、小説をはじめとする文章表現で、誰にも不快感を抱かせず傷つけずに書くことはおそらくできない。そのことは私自身、痛感しているはずなのに、忠治はそれを口にして、透真も葛藤しながら彼の思いに応えようとする。そしてその透真の姿勢が、噂がなくならないであろう世界に対する、抗いや願いのようなものにつながっていった気がします。忠治に限らず、登場人物みんなが私の意図しないところで戦い続け、大きな世界に立ち向かうため、小さな世界を守っていくことに目を向けるようになるところに着地することができたのは、本当によかったなと思っています。

デビュー20年以上を経て、新しいものに挑戦できた喜び

――そして、息継ぎとおっしゃっていた子どもたちの視点があることで、過去と現在の事件を行き来するだけでなく、未来への希望も見えた、と感じました。彼らの生きる未来が健やかなものであってほしい、という願いが、もしかしたらこの社会をよりよくしていくのかもしれないと。

辻村 実際、「子どもたちの未来が明るいように祈ります」「読み終わったあとの世界で、未来が少しでも明るいものであるように」という感想をいただくことが今回、とても多いんです。読者のみなさんが、登場人物と一緒にちょっとだけ先の未来を見つめながら、祈りや願いみたいな気持ちを抱いてくださっていることに、私自身、心強さを感じています。

――ちなみに、ラストで解き明かされる真相も、書きながらたどりついたもので、決めていたわけではなかった……?

辻村 決めていなかったです(笑)。25年前に誘拐事件のかたわらで起きた未解決事件が現在にも絡んでくるのですが、その未解決事件自体、当初は設定として考えていなかったものなんです。ただ、今作を熱望してくださった担当編集者が警察小説などもたくさん編集されてきた方だったので、「もう一つ、読者を引っ張る謎として事件があったほうがいい」とか「読者が(途中で)ホッとしてしまわないために、ここでもう少し展開を起こして、引きをつくったほうがいい」とか、ミステリーの作法をそのつど教えていただきながら書いていたんですよね。透真の書いた新聞記事も、連載時はただ概要を書いていただけだったのですが、「記事全文を書いてほしい」と言われて……。

――スパルタ!

辻村 無理だよ、って最初は思ったんですけど(笑)、監修してくださった新聞記者の方に、この場合はどれくらいの文字数になるのかとフォーマットを教えていただきながら、実際にデスクから紙面の依頼をもらった気持ちで書きました。その時期は本当にいつも以上に新聞記事を読み込んだし、おかげで事実を積み上げる書き方でも記者の思いが出せるんだということもよくわかり、発見もたくさんありました。

デビューして20年以上もたつと、私らしい小説は何かと自分で認識する以上に、何が私らしいと思われているかもわかってしまい、期待に沿ったものを書こうとしてしまうところがあって。自分で自分の二次創作をしてしまいそうで怖かったけれど、こうして新しいものに挑戦できたのがとてもうれしいんです。やり遂げたという想いと、まだやれることがあるかもしれないという気持ちを抱かせてくれたこの小説を、今、書けてよかったと本当に思います。

取材・文=立花もも 写真=島本絵梨佳

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ