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犬山紙子・劔樹人夫婦が語る、『サヨナラの引力』が描く幸せのかたち「“ハッピーエンド”だけがすべてではない」

  • 2026.7.3

韓国で観客動員260万人を突破した話題作『サヨナラの引力』(公開中)。恋愛や結婚、仕事、家族――人生の岐路で揺れる男女の姿を描いた本作は、単なる恋愛映画にとどまらず、「幸せとは何か」「自分の選択をどう受け止めるのか」という普遍的なテーマを投げかける。

【写真を見る】ジョンウォンのお気に入りのソファは、半地下の部屋には置くスペースがなく、結局捨てられてしまう

今回、本作について語り合ったのは、エッセイストの犬山紙子とミュージシャン・漫画家の劔樹人。夫婦として日々を共にしながら、それぞれの視点で恋愛や結婚、家族について発信してきた。一足先に作品を鑑賞した2人に、本作の魅力と「誰かと生きること」の難しさについて語ってもらった。

※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。

『サヨナラの引力』について熱く語ってくれた犬山と劔
『サヨナラの引力』について熱く語ってくれた犬山と劔

「“ハッピーエンド”だけが幸せなんだろうかって考えさせられる作品でした」(犬山)

――まず、お二人は今回どのように作品をご覧になったのでしょうか。

犬山紙子(以下、犬山)「一緒に観ました。普段も娘が寝たあとに、2人とも興味がある作品なら一緒にドラマや映画を観ることはあるんですけど、恋愛映画を一緒に観る機会は意外と少ないかもしれないですね」

劔樹人(以下、劔)「僕自身がそもそも、ほとんどホラー映画しか観ないんですよ」

高速バスの中で、ジョンウォンに一目惚れしたウノ [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
高速バスの中で、ジョンウォンに一目惚れしたウノ [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――そんな劔さんが、この作品をご覧になってどう感じましたか?

劔「思った以上に食らいましたね。恋愛とかそういうことについて、普段はほとんど考えないんですよ。子育てしていて、毎日いろいろありますし。でも、この映画は観終わったあともずっと残っていて。なんか胃がもたれるような感覚というか(笑)。こんなにショックを受けるんだって自分でも驚きました」

犬山「観ている途中に『ここどう思ってるんだろう』と気になって夫の顔を見たら、ちょっと泣きそうになってたりして(笑)」

劔「いや、本当に結構きましたね」

やがて恋に落ちたウノとジョンウォン [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
やがて恋に落ちたウノとジョンウォン [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――どんなところに心を動かされたのでしょう。

劔「“人生の選択”の話として観ていた気がします。誰にでもあると思うんですよね。『あの時こうしていたら違ったかもしれない』っていうことが。でも、それを後悔しながら生きるのか、それともいまの人生を肯定して生きるのか。その答えって簡単には出ないじゃないですか。この映画はそこをすごく丁寧に描いていると思いました」

犬山「結婚したり結ばれたりすることが、“ハッピーエンド”として描かれることが多いと思うんです。でも、この作品を観ていると、幸せって本当にそれだけなんだろうかって考えさせられるんです。相手の幸せを願うこと、自分の幸せを見つけること、その両方が描かれていて」

「その時の悩みが人生のすべてみたいに感じる20代の頃を、すごくリアルに描いていると思いました」(劔)

ゲーム作家を夢見るウノと、建築家に憧れるジョンウォン [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
ゲーム作家を夢見るウノと、建築家に憧れるジョンウォン [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――本作では、2008年のソウルを舞台に、夢を抱いて上京したウノとジョンウォンが、紆余曲折を経て恋に落ちます。しかし、リーマン・ショック後の不安定な社会情勢や、住宅問題、家族の事情など、様々な現実が2人を追い詰めてもいきます。

犬山「ウノは、ジョンウォンの『建築家になってソウルに自分の家を建てたい』という夢を叶えてほしいし、彼女も『ゲームを作りたい』というウノの夢を応援したい。でも現実には、お金がない。家族の問題もある。生活もしなきゃいけない。生きることに何も不安がなければ、そのままお互いの夢を応援し続けられていたはずなのに、それが次第にままならなくなるという…。そのジレンマが本当にリアルでした」

劔「確かにそうだよね」

犬山「場所や時代設定は違っても、いまの日本の若い世代にも通じる話だと思うんです。いまの日本って、都会で暮らし続けるだけでも大変な時代じゃないですか。本当は相手の夢を応援したいのに、余裕がなくなってしまう。それこそ、昨今日本でも、『お風呂やトイレが共同の部屋が“いまっぽい”』なんて切り口でメディアに取り上げられたりもしますけど、本当は誰も好きでそこに住んでいるわけじゃなく、そうせざるを得ない人がいる、という話でもあって。そんな苦しさが、更新料が払えずに、“半地下”の部屋に引っ越さざるを得なくなる、ウノとジョンウンからも伝わってきました」

劔「僕は、若さもあると思いました。20代の頃って、その時の悩みが人生のすべてみたいに感じるじゃないですか。今振り返ると『まだ全然やり直せるじゃん』と思うことでも、その時は本当に世界が終わるんじゃないかっていうくらいの気持ちになる。そういう感覚がすごくリアルでした」

ウノは自分の夢を後回しにし、金銭的な理由で建築の勉強を諦めたジョンウォンを支える [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
ウノは自分の夢を後回しにし、金銭的な理由で建築の勉強を諦めたジョンウォンを支える [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――作中では、余裕を失ったことで強い言葉を投げつけて相手を傷つけてしまう場面もあります。剱さんはあの描写について、どう感じましたか?

劔「ものすごくわかる部分はありましたね。責任感が強くなると、全部1人で抱え込もうとしてしまう。余裕がなくなると周りも見えなくなるし、言わなくていいことを、つい口にしてしまうこともある」

犬山「まさにそうなんですよね。社会から男らしくいることを求められ、『自分がなんとかしなきゃ』って、抱え込んでしまう男性はリアルでも多くいる。実は、つるちゃん(劔さん)も、結婚後、うつ状態と長く付き合っていて、私も最初の頃はどう接したらいいかわからなかったんです。自分のせいで彼を苦しませているんじゃないか…と思ったこともありました」

――難しい問題ですね。

犬山「でも、結局は話し合うしかないんですよね。この映画を観ながらも思ったんですけど、もっと早い段階で不安を共有できていたら、違った未来もあったかもしれない。男性でも女性でも、『不安だ』『怖い』って言っていいんです。味方なんだから」

【写真を見る】ジョンウォンのお気に入りのソファは、半地下の部屋には置くスペースがなく、結局捨てられてしまう [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
【写真を見る】ジョンウォンのお気に入りのソファは、半地下の部屋には置くスペースがなく、結局捨てられてしまう [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――まさに、劇中のウノにも当てはまります。

犬山「ジョンウォンは、ウノに対してあんなにも健気に、『愛してるよ』『あなたの幸せを願ってる』って、ちゃんと言葉にして伝え続けているのに、彼にはその気持ちがなかなか伝わらない。でも、決してウノの人間性が悪いというわけではなくて。心から相手の幸せを願い合っている2人でさえ、一緒に暮らし続けるのは難しいんだなっていうのが、この映画の肝だと思っていて。『実はこういう不安があるんだよね』って、お互いに心情を吐露できていたら、例えば、『じゃあ、期限を切って何か別のことをやってみよう』とか、『行政の支援を頼ろう』とか。もっと建設的な話し合いができたかもしれない。でも、1人で抱え込んでしまったことで、さらに視野も狭くなって…ということが、いろんな局面であったと思うんですよね」

――劔さんとしては、ウノの気持ちも分かりますか。

劔「いまの話を、『なるほど……』と思いながら聞いていました。でも、もしもあの2人がお互いにもっといろいろ自分の弱い面もさらけ出して、あの時、あのまま別れずに一緒に居続けたとしたら、それはそれでいまよりもっと幸せだったかもしれないけど、“夢の実現”といった観点からすると、また違う結果になったのかもしれなくて…」

「恋愛至上主義ではない“幸せの多様性”が描かれていて、いまの自分にすごくマッチしました」(犬山)

厳しい現実のなかで、少しずつすれ違っていく2人 [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
厳しい現実のなかで、少しずつすれ違っていく2人 [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――お二人は、お互いに仕事を続けながら、子育てもされていますが、これまで危機をどうやって乗り切ってこられたんですか?

犬山「乗り越えられているのかなあ…(笑)」

劔「きっとこれからも、まだまだいろんな危機に直面することにはなるだろうね」

犬山「私は仕事を諦めたくないし、夫にもバンドを続けてほしい。でも全部を100%は無理なんです」

劔「物理的に無理ですね」

犬山「だから『何が一番大事か』を、私たちは2人で何度も何度も話し合う。全部は守れないけど、お互いに本当に大切なもの。絶対に譲れないものだけは守ろうって」

夢も希望も見いだせない日々に疲れていくウノ [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
夢も希望も見いだせない日々に疲れていくウノ [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――譲れないもの、というのは?

犬山「たとえば、つるちゃんのバンドのために私が仕事を辞めるって言ったら、つるちゃんは嫌でしょ?」

劔「それはちょっと困るっていうか…」

犬山「自分のために相手が夢を諦める姿を見るのは…」

劔「それはやっぱりしんどいです。彼女のいいところを失ってしまうんじゃないかって思いますよね」

――その考え方は映画にも通じますね。

犬山「そうなんです。だから私は、この映画を観ながら何度も『話し合えたら違ったかもしれない』と思いました。でも同時に、それだけでは抗えない社会構造もある。だから、ウノとジョンウォンが一緒に居られなかったのは、あの2人に何かしら落ち度かあったからなのかと聞かれたら、そんなに単純な話でもないと思うんですよね」

ウノと過ごす時間がつらくなってきたジョンウォンが選んだ決断とは… [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
ウノと過ごす時間がつらくなってきたジョンウォンが選んだ決断とは… [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――映画『花束みたいな恋をした』(21)を思い出したという声もありそうです。

犬山「私もまさにそう思って、さっきその話をつるちゃんに振ってみたんですけど」

劔「僕、観てないんですよね。ちょうど、僕の原作エッセイを映画化した『あの頃。』と公開時期が近かったので」

犬山「うん」

劔「向こうが大ヒットしてたから、なんだか“観たら負け”な気がして(笑)」

犬山「しょうもな(笑)」

――(笑)。

犬山「でも、こういう小さなプライドが積み重なって、ウノとジョンウォンもああなったんですよ」

劔「ああ、確かに」

犬山「『花束みたいな恋をした』は、価値観や環境の変化によって2人の気持ちがどんどん離れていくという、“現実”を突きつけるパワーが本当に強かったし、そこに魅力が詰まっていました。一方、『サヨナラの引力』は、現実はしっかり描きながらも、“幸せの形は一つじゃないよね”、というところに着地する。どちらの方がより優れているとかではなく、『サヨナラの引力』には、恋愛至上主義ではない“幸せの多様性”が描かれていて、それがいまの自分にすごくマッチしたんです」

「自分が選んだ人生をどう肯定していくか――観終わってからずっと考えてしまいました」(劔)

10年ぶりに再会したウノとジョンウォン [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
10年ぶりに再会したウノとジョンウォン [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――お二人は、ウノとジョンウォンとは違い、途中で別れることなくご結婚されたわけですが、映画を観ながら「もしもあの時……」と思い巡らす瞬間もありましたか。

劔「いやあ、あんなドラマチックな展開、僕らにはないですよ」

犬山「えっ?あったじゃん!」

劔「あったっけ!?」

犬山「もちろん映画ほどドラマチックな話ではないんですけど、私はありましたね」

――よろしければ、詳しく伺いたいです!

犬山「私、昔、卵巣嚢腫で手術をしたことがあったんです。その時はまだ付き合う前で、つるちゃんとは友達だったんですけど、私が実家のある宮城で手術を受けることになって」

劔「うん」

犬山「そしたら、つるちゃんがわざわざ宮城の病院までお見舞いに来て、甲斐甲斐しくお世話をしてくれたんです。それこそ私の家族もいるし、きっとすごく勇気がいる行動だったと思うんですけど」

――それは確かにかなり大きな出来事ですね。

犬山「この映画をご覧になった方ならきっと、『ああ、なるほど…!』と伝わると思うんですけど、あれは私にとって、つるちゃんが“電車に乗ってくれた瞬間”だったと思っています。あの時、『この先、この人と一緒にいたいな』と思ったんですよ」

劔「僕はそんな大げさなつもりじゃなかったんですけどね(笑)」

犬山「でも、本人にとっては何気ない行動でも、相手の人生を変えることってあるんだなと思います」

「もしも、あの時…」 [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.
「もしも、あの時…」 [c] 2025 KC VENTURES CO., LTD AND K WAVE MEDIA LTD ALL RIGHTS RESERVED.

――では最後に。お2人は『サヨナラの引力』を、どんな人にすすめますか。

犬山「それこそ普段、恋愛映画をあまり観ない人にこそ観てほしいです。恋愛映画って、時に軽く見られてしまうことがあるように感じていて。でも恋愛を描くことって、社会構造からコミュニケーションまであらゆることを包括していて。この作品にも、人がどう支え合うのか、どう別れるのか、どう生きるのかというテーマが詰まっている。だから、恋愛映画食わず嫌いの方にもきっと届くと思います」

――劔さんはいかがですか。

劔「僕がまさにそうだったので(笑)」

犬山「説得力あるね」

劔「本当にそう思います。観終わってからずっと考えてしまったんですよ。恋愛の話なんだけど、結局は人生の話なんです。選ばなかった道のことを考えるし、後悔もある。でも、しっかり後悔したうえで、自分が選んだ人生をどう肯定していくか――。僕はそのことをすごく考えさせられました」

――そういえば、本作を手掛けたキム・ドヨン監督の前作『82年生まれ、キム・ジヨン』(19)は、結婚後、子育てや仕事との両立に悩みながら、少しずつ追い詰められていく女性を描いた作品で、恋愛映画でありながら、ある意味、ホラーとも言えるかもしれません。ホラー好きの剱さんにも、ぜひ観ていただきたいです。

劔「いや、それも絶対ズドーンと来るやつじゃないですか(笑)」

犬山「きっと良質なズドーンだよ(笑)。余裕がある時に、また一緒に観ましょうね」

取材・文/渡邊玲子

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